ワールドカップラグビーフランス大会 | kyupinの日記 気が向けば更新

ワールドカップラグビーフランス大会

今、ワールドカップラグビーをフランスでやっているのを皆気がついているだろうか?

日本はこの大会にも出場しているのであった。実際、ほとんど話題にもなっていないけど。未だかつて、日本は出場を逃したことがないが、いかんせん本戦ではほとんど勝っていない。1991年のイングランド大会でジンバブエに勝った1勝のみなのである。

日本 52-8 ジンバブエ

この試合、テレビでライブ観戦したが、戦前から日本がトライの嵐で勝つだろうと言われていた。この試合に限れば番狂わせでもなんでもなく、順当勝ちだったのである。この時のジンバブエほど弱い出場国はあまりなかったような気がする。日本にボコられているんだもん。

当時、まだアパルトヘイトのため、南アフリカ共和国は参加できない状況だった。

1995年大会はアパルトヘイトの撤廃で国際舞台に復帰した南アフリカ共和国で開催された。南アフリカ共和国は、アパルトヘイトで長く国際試合ができなかったが、世界最強ではないかという噂があった。ベールに包まれていたのである。この大会で南アフリカは国際試合に慣れていなかったこともあり、ラインアウトでリフティングの反則を取られまくり、そう楽には勝てなかった。特に準決勝のフランス戦は大苦戦だった。試合終了直前、ゴール前にフランスに押し込まれ、まさに逆転負けを食らいそうだったのである。観客席からは女性サポーターの悲鳴が上がっていたのを記憶している。

南アフリカ 19-15 フランス

決勝はニュージランドとの対戦になったが、同点のまま延長戦に突入。

南アフリカ 15-12ニュージーランド

結局、延長の末ぺナルティゴール1つ分の差でかろうじて優勝した。たぶん、ホームでやったからこそ優勝できたわけで、フランス、ニュージーランドにはアウェーだったら勝てなかっただろう。こうしてマンデラ首相から、エリス・トロフィーを受け取ることができたのである。この大会は南アフリカが国際舞台に復帰した象徴的な大会と言えた。ワールドカップラグビーのカップがなぜエリス・トロフィーと呼ばれるかと言うと、サッカーの試合中、エリス少年が突然ボールを持って走り出したという故事に基づく。

ワールドカップラグビーが開催されるようになった由来だが、北半球ではかなり昔から5カ国対抗ラグビーが行われていた。5カ国とは、イングランド、ウエールズ、スコットランド、アイルランド、フランスである。特に、フランス以外の4カ国はホームユニオンと呼ばれる。今は6カ国対抗ラグビーとなりイタリアも入っている。

この5カ国対抗ラグビーがニュージーランドやオーストラリアはうらやましくてたまらず、実際には南半球の国の方が実力は上だったわけで、世界大会の開催を強く希望していたのである。世界ラグビーボード(サッカーのFIFAみたいなもの)は当時、5カ国とニュージーランド、オーストラリア、南アフリカの8カ国で構成されていたが、5カ国はワールドカップには乗り気ではなかった。彼らは、5カ国対抗ラグビーで十分だと思っていたからと言われているいるが、実は到底勝てないと思っていたのも相当にあるような気がする。ラグビーは番狂わせはほとんど起こらないからだ。しかし、時代の流れでもあるのだろう、遂に1987年第1回大会がニュージランド、オーストラリア共催で行われたのである。この大会ではニュージランドが圧倒的な強さで優勝している。

ところで、5カ国対抗ラグビーは僕の生まれる前から、たぶんNHKで放映されていたと思う。子供の頃に良く観ていたから。たぶん就学前からラグビーはテレビで観ていた。当時はサッカーよりはラグビーの方が好きだった。今は、5カ国対抗(6カ国対抗)はスカパーでしか放映されていない。ほとんどの日本人は観ることができないのである。近年のラグビーの人気のなさはこのあたりにも原因があるような気がする。5カ国は実力が拮抗しているので、毎回どちらが勝つかわからないところがあり、ラグビーにしては接戦になりやすく楽しめるのである。

5カ国のうち、アイルランドだけは構成がちょっと他の競技と異なっている。アイルランドに北アイルランドという地域があり、これはイギリス領になっている。この北アイルランドは、ワールドカップサッカーの予選にも参加しており、かつて出場もしている。伝説のサッカー選手、ジョージ・ベストは北アイルランドの選手なのである。サッカーでは別な国として戦うが、ラグビーでは一緒に「アイルランド」の選手として戦っているのである。

以前、あめぞうに立てたスレッドから。(たぶん2000年頃)

1らんちゅう投稿者:kyupin  投稿日:04月03日(月)21時07分39秒
半年ぶりに従兄弟に会ったのだが、らんちゅう、熱帯魚、小鳥、犬を飼っているという。(かなりの動物好き=病気に近し)

最近2匹で60万のらんちゅうを買ったところ、7日で逝ってしまわれたそうだ。彼曰く、水が合わんかった、とのこと。(らんちゅうは人工的な生き物なので弱い)まだ何匹か持っていて、先日、らんちゅうの品評会に出品(?)したらしい。入選どころか佳作にも入らんかった、と嘆いていた。僕がどういうところで入選が決まるか聞いたところ「容姿」と話していた。(あれってコブだらけだろ??)

犬だが、ブルドックが最近3匹続けて亡くなったという。ブルドックは日本の気候に合わず、病気になりやすいという。一匹は尿管結石だと言っていた。このブルドック、1匹平均40万したらしい。

しきりにらんちゅうを飼うように薦められたが、「旅行に行けなくなるんで・・」と断った。すると、「バカタレ」と叱られました。(歳がだいぶ上なんだな)こういうイカれた話を聞くと、ココロが洗われます。(笑)

2投稿者:ハガキ  投稿日:04月03日(月)21時17分31秒
「らんちう」と書いた方が、雰囲気でますな。

4投稿者:係  投稿日:04月03日(月)21時21分37秒
らんちゅうは、背中が丸くて、横から見て背中と尾ひれが直角になっているものが高級とされています。ただ最近が背中が平べったいものにも一定の評価があるらしい。あと、色がちゃんとした赤でないものとか頭のこぶがしっかりしてないものは駄目ということになってますね。あれはあれでなかなか奥深いものがあります。

6投稿者:ハガキ  投稿日:04月03日(月)21時23分52秒
『オレンジ共済』の友部議員のバカ息子はアジアアロアナという熱帯魚を買いあさっていた様ですが。ワシはレオンベルガーもしくはミニチュアピンシェルという犬を飼いたいと考えております。

7投稿者:kyupin  投稿日:04月03日(月)21時25分40秒
僕は、そんないつ死ぬとしれない生き物を買うぐらいなら、同じ値段ぐらいのマランツのCDプレイヤーを買います。<<貧乏性なのか・・

8投稿者:係  投稿日:04月03日(月)21時27分46秒
>5
自分も金魚を飼ってるのでだいたいの知識は入ってきます。らんちゅうの品評なんてとてもできないけど。らんちゅうは、安いやつだと600円くらいで買えるのでたまに買ってきて飼うのですが、他の魚に比べて弱いのでけっこう気を使います。ペットショップに行くと、たまに一匹5万とかするのが売ってるのでびっくりします。あんなのとてもではないが買う気がしない。

9投稿者:ハガキ  投稿日:04月03日(月)21時30分11秒
魚でしたら、熱帯魚およびドイツ鯉は好きです。あとはサンゴとクラゲかな。クラゲをプカプカ浮かべて眺めるのはとてもノー天気になれて良いです。

10投稿者:kyupin  投稿日:04月03日(月)21時32分43秒
日本マランツ/SACDプレイヤーSA-1、55万円。どうしても、物質的になってしまう。僕は動物は嫌いだからなおさらそう思うのだろう。

12投稿者:ハガキ  投稿日:04月03日(月)21時35分50秒
音響機器は疎いもので、レスできません。麻酔科の友人が、長期出張になった時に引越しを手伝い、一つで80万円とか言う冷蔵庫のようなスピーカーを運ばされた日には、死ぬかと思いました。それを今度は8階のマンションに運び入れた・・。物凄いブランド品らしく手荒な真似も出来ず、悲惨だった。

16投稿者:あげさふ  投稿日:04月03日(月)21時40分04秒
らんちうは小学生の時に飼っていた。デメキンやメダカと同じ水槽に入れていた。カルキ(古い表現)抜きした水をバケツに入れて、水槽の掃除をするのが大変だった。小えびを入れたこともあったけど、速攻で喰われたときは泣いた。


18投稿者:あげさふ  投稿日:04月03日(月)21時42分31秒
>kyupin先生
わたしはスピーカーはダイヤトーンの古いのを使っていて値段は不明。ビクターの500シリーズとか、やや小型のが欲しい昨今。ボウズ、JBLあたりのスピーカーをマッキントッシュのプリ&パワーアンプで鳴らしてみたいと思う社会人になりました。

21投稿者:kyupin  投稿日:04月03日(月)21時44分54秒
その従兄弟が話していたのだが、どの熱帯魚を買うかで職業がわかるという。医者などは、エンゼル・フィッシュなど優しい、優雅な熱帯魚を好み、肉体労働者は獰猛で肉食の熱帯魚を好むらしい。だから自分はピラニアを飼っていた、と笑っていました。

22投稿者:あげさふ  投稿日:04月03日(月)21時46分40秒
ちなみに数ヶ月前まで同じ職場にいた先輩は、音楽に収入の大半をつぎ込む超マニア。スピーカーだけで400万だそうです。CDプレイヤーはフィリップスのDAコンバーター分離型。アンプはようわからんシロモノ。ちなみにクラシックに凝っていて、数十万のアナログLPコレクターでもあった。

完全な趣味スレッドですなぅ。

23投稿者:ハガキ  投稿日:04月03日(月)21時47分34秒
3メートルくらいの水槽にネオンテトラ・カージナルを数百匹泳がしたかった・・。しかし、今の90センチ水槽ですら管理しきれず家族に苦情を言われました。新築中の家では禁止といわれた。熱帯魚ルーム作ろうと思っていたのに・・。

24投稿者:kyupin  投稿日:04月03日(月)21時48分05秒
ピラニアは5000~6000円で比較的安い? 金魚などの生き餌をやるらしい。あまり餌をやらないと、共食いを始める。

27投稿者:ハガキ  投稿日:04月03日(月)21時50分55秒

肉食系は子供の頃興味を持ちましたが最近は調べていません。アロアナなどの高価なものは個体ごとの識別マイクロチップを埋めこむらしいですね。


29投稿者:あげさふ  投稿日:04月03日(月)21時53分04秒
>ハガキさん
>アロアナなどの高価なものは個体ごとの識別マイクロチップを埋めこむらしいですね。まるでシュリの世界ですなぅ。

30投稿者:kyupin  投稿日:04月03日(月)21時53分43秒
>27ハガキさん
万引きされんようにですか?(笑)

39投稿者:kyupin  投稿日:04月03日(月)22時08分20秒
>あげさふさん
昔、洋楽のLPをたくさん集めていたが、CDの時代になってパーになってしまった。卒業してあちこちに赴任するときに荷物になっただけだ。メディアは絶対ではないので、それ以来バカみたいに集めないようになった。しかし、CDは結構、持ってはいます。

40投稿者:あげさふ  投稿日:04月03日(月)22時09分58秒
>ハガキさん
結局アナログのほうが圧倒的に情報量がおおいんでしょうね。ヴォーカルの「生」の感覚とか、サックスのつんざくような響きとか、バイオリンの音色とか、フルートの澄み渡る感覚とか、やっぱりアナログのほうが奥が深くて暖かい。と言いつつも、CDの便利さの前に屈している私。

41投稿者:kyupin  投稿日:04月03日(月)22時11分05秒
20Hz~20000Hzが人が聞ける範囲でしたっけ。しかし、20Hz以下も体で感じられるのよね。

42投稿者:あげさふ  投稿日:04月03日(月)22時14分40秒
>kyupin先生
もったいない!
私は実家にアナログプレイヤーを含めて保存していますよ。でも、最近聴いてる音楽って、どうもアナログにこだわりを持たせるほどのものはないんですよね。どうしてもCDに流れてしまう。でも、最近はCDよりMDかな。ソニーのCD/MD一体型のコンポを買ったら、余計拍車が掛かった。

43投稿者:kyupin  投稿日:04月03日(月)22時17分00秒
1000枚集めるとなんとかロック喫茶が開けると、上智大に行った友人が言っていたので頑張ったが・・ まだかなり残っているが、デノンのプレイヤーを捨ててしまい聞けない。

45投稿者:あげさふ  投稿日:04月03日(月)22時20分56秒
突然ですが、私は結構kyupin先生と趣味がかぶっているような気がするんです。たぶんkyupin先生のほうが私よりも大先輩なんだけど、そうとうなスポーツ好きと拝見しました。私はレークプラシッドのアイスホッケーはさすがに観ていませんが。ちなみに私はDetroit Redwingsのファンです。Yzerman、Fedorovが素晴らしい。それからラグビーはオールブラックスのファンでもあります。

46投稿者:あげさふ  投稿日:04月03日(月)22時23分28秒
>プレイヤー
デノンやテクニクスのものが有名ですよね。最近では、DJブームのおかげで、入手しやすくなりました。

47投稿者:kyupin  投稿日:04月03日(月)22時38分10秒
>あげさふさん
僕は以前はサッカーよりラグビーが好きだった。フランスのエステープやレスカルブラを知ってるかい? ところが大学にサッカー好き少年がいて、感化されてサッカーファンに。テレビで見た試合はよく憶えている。

エステープはヨーロッパ特急?なんて言われていて、とても足の速いウイングだった。1度5カ国のイングランド戦で、右端にトライできたのだが、わざわざ正面にトライしようとして回りこんでいたら、イングランドのウイングにタックルされて、インゴールでノックオンしてしまった。ああいうのは初めてみた。僕は6歳の頃から5カ国は見ていたらしい。(家族の証言) 

レスカルブラはフランスのスタンドオフだった。センターぐらいの背番号のこともあった。ドロップゴールが得意で、プレイスキックでも入りにくい距離のドロップゴールを決めていた。ドロップゴールはワンバウンドさせて蹴らないといけないので、かなり難しい技のように、子供心に感じた。

51投稿者:あげさふ  投稿日:04月04日(火)04時59分05秒
>kyupin先生
フランスシャンパンラグビーと言えば、フルバックのブランコくらいしか覚えていません。なので、さすがに前述の選手達のことまでは分かりません。5ヶ国だと、ギャビン・ヘイスティングスが印象に残っているかなあ。イングランド・ウェールズの選手はイマイチimpactに欠けますね。ちょっとフルバックに偏ってますか?

54投稿者:kyupin  投稿日:04月04日(火)21時02分57秒
そういえば、ギャビン・ヘイスティングスは引退後、不動産業をしているんだそうだ。ちょっと驚いた。

55投稿者:あげさふ  投稿日:04月04日(火)22時23分16秒

>kyupin先生
ギャビンは兄貴のほうですよね?弟はは何してんだろ? イングランドのアンダーウッド兄弟は頼りないカンジですなぅ。つーか、イングランドはセンターのガスコットが好きだった。もう片割れのキャプテンはなんかスキャンダルやってましたよね。ガスコットのヒョロヒョロっとした柔らかいプレースタイルが印象的です。イングランド代表と言えばサッカーのガスコインもいて、一時期脳細胞が混乱していた。

56投稿者:kyupin  投稿日:04月04日(火)22時52分43秒
>55
一度5カ国でイングランドとスコットランドが、3戦全勝で最終戦を戦ったことがあった。前評判はイングランド有利。勝てば優勝プラスグランドスラムとなる。(当時5カ国対抗では、ホームユニオンの3カ国に勝つとトリプルクラウン、さらにフランスにも勝つとグランドラムと言われ非常に名誉なことだった)

しかし、スコットランドのホーム(アームズ・パーク?)だったため、スコットランドの優勝だった。この試合すごく楽しみにしていて朝早く起きてNHKの生放送でみた。

59投稿者:あげさふ  投稿日:04月04日(火)23時01分47秒
5カ国の思い出ってなんだろ?私が見てた頃はいっつもフランスが勝ってた。ちなみに私が小学校の頃は釜石が強かった。森、松尾、千田、永岡、とか良かった。洞口さんに合掌。

61投稿者:kyupin  投稿日:04月04日(火)23時07分25秒
僕が見ていたころも実力はフランスが上の感じがすることが多かった。>>当然だ。だって残りの4カ国は人口も少ない。しかし審判が5カ国の他の協会から来ているので、たいていフランス不利のジャッジが多かった。いつもフランスが負ける時は反則で自滅していた。

63投稿者:kyupin  投稿日:04月04日(火)23時18分35秒

そういえば87年のニュージーランドのW杯では、ニュージーランドのスタンド・オフはフォックスというプレイスキックしか能がない選手だった。控えにボティカというファンタジスタがいたが使われず、残念だった記憶がある。

64投稿者:あげさふ@デッド  投稿日:04月05日(水)04時44分15秒
フォックスはよーく覚えてます。確か91年にも出てたのではないでしょうか? 芸はなかったですが、ともかく堅実でした。ディフェンスはできたと思いますが。ともかく87年のブラックスは、フィッツ・パトリック、ジンザン・ブルック、マイケル・ジョーンズといったFWが圧倒的に強くて、人間とは思えなかった。5カ国の盟主だったフランスが決勝でボロ負け。それまで伝説的・伝聞的な強さでしかなかった南半球の島国の脅威が初めて現実化したメモリアルゲームでした。北の湖が勝てなくなってきたこと以来の、カルチャーショックだったように思います。カーワンは凄かった・・・・・・。190センチ90キロのウイングなんて、今では常識だけど、ちょっと反則だった。

65投稿者:kyupin  投稿日:04月05日(水)08時16分58秒
実は87年の前年(86年)ニュージーランドはフランス遠征している。3試合のテストマッチで、ニュージーランドは2勝1敗だった。フランスは当時5カ国で一番強いぐらいだったが、ニュージーランドが相当強いことは自覚していたのでこの「ナントの勝利」は自信になったようだ。

現に87年の準決で接戦の末、オーストラリアを破った。この試合は第1回大会のベストゲームだったと思う。終了間際のブランコのトライは、自陣から攻撃を切らさず回して、15人全ての選手が少なくとも1度はボールを触るという、シャンパン・ラグビーの真髄を見せた攻撃だった。

監督がインタビューの時、感激して、「今日はフランス・ラグビーのフィロソフィーが見せられた」なんて言っていた。

66投稿者:悦男  投稿日:04月05日(水)16時38分21秒
オーストラリアはナイスゲームが多いですよね。91年のアイルランド戦が圧巻なんだろうけど、99年の準決勝、南ア戦も(キックばっかりだったけど)好ゲーム。で、87年は準決勝のフランス戦。95年は確か準々決勝で負けたと思うんだけど、イングランドが相手だったかな? 91年決勝のリベンジだったように思うけど、記憶は定かではない。

67投稿者:悦男  投稿日:04月05日(水)16時55分43秒
いままで見てきたすべてのラグビーのゲームで一番印象的なトライは何か?と訊かれたら、結構迷ってしまいますか? 私なら、国内だと、

①95年(神戸製鋼の連覇の夢が途絶えた年)の社会人決勝、三洋電気vsサントリー戦、ロスタイムのサントリーの同点トライ。自陣深くに蹴り込まれたタッチキックになりそうなボール、これを取りに戻ったのはなんとフッカー坂田。そこから徹底的につないで執念で持っていってしまいました。最期は尾関だったかな? 35歳の早稲田OBウイング、吉野選手が3トライしたことでも話題になったゲーム。

②91年、大学選手権決勝の早明戦。4年生に堀越、今泉、郷田を擁するスター軍団早稲田と、4年生の吉田主将を中心に近年の不振からの再建を進めてきた明治との頂上決戦。ちなみに対抗戦は12-24の劣勢から終了間際の連続トライで早稲田が24-24の同点に追いついたという因縁のゲーム。13-12と早稲田がリードを奪った後半25分過ぎ、明治の誇る希代の快足ウイングは、左タッチライン際を駆け上がり、フルバック今泉を振り切って執念の逆転トライをあげる・・・・・・。

68投稿者:悦男  投稿日:04月05日(水)17時04分29秒
国外だと、
①87年、初のW杯、ベールを脱いだオールブラックス歴代最強ウイングとも称されるジョン・カーワンの90メートル独走トライ。世界は広いと認識させられた瞬間。スゴ過ぎだった。

②95年、W杯準決勝のNZvsイングランド戦、またもやブラックスに舞い降りたスーパーウイングは弱冠20歳ソコソコのジョナ・ロムー。195センチ、110キロを超える巨体でイングランドのバックス陣を粉砕してしまう4トライをあげる。ぶちかまして行ってしまう前半のトライも凄かったが、この体でステップを切った後半のトライが最大の驚愕だった。

ブラックスFANである私は、どうしてもブラックス贔屓の目で見てしまいますなぅ。

69投稿者:kyupin  投稿日:04月05日(水)20時46分20秒
>悦男さん
名前変えましたね。僕は5カ国をよく見てたので、どこのファンとかいうのはないです。

87年の思い出といえば・・
87年の大会でフランスとスコットランドは同じ予選リーグに入っていた。フランス対スコットランドは大熱戦となり引き分けとなった。しかしフランスの方がトライ数が多く、規定によりフランス1位、スコットランド2位となった。この試合、内容はスコットランドの方がまさっており、ツカロというウィングが顔面、血だらけになりながらトライを決めたシーンが記憶に残っている。

試合中、判定に微妙なところがあり(具体的にはブランコが自分1人で持ち込んで正面にトライした。スコットランドの選手は笛が聞こえなかったのか皆突っ立っていた。)スコットランドとしてはとても悔しかったらしい。

この試合について、ザ・スコッツマン紙は「この引き分けは、敗北に等しい。なぜなら決勝トーナメントでいきなりニュージーランドと当たるではないか。ブランコの取った行動は正しい。しかしスコットランドの選手は、誰も抗議はしなかった。」(このあたりスコットランドの選手ならあんなことはしなかっただろうといった雰囲気がありあり。古い記憶だが・・)

75投稿者:悦男  投稿日:04月06日(木)05時33分04秒
ブランコはホント、シャンパンラグビーの申し子だったように思う。キャリアもそうだけど、プレイスタイルがフランスそのものだった。あんなにフランソワな選手はもう出てこないんじゃないだろうか?

最近ハヤリのなんとかっつーQBは、悦男的にはイマイチですなぅ。南アのファン・デル・ヴェストハイゼンは別な意味でグレイトなんですが。

81投稿者:kyupin  投稿日:04月06日(木)20時07分41秒
ラグビーについて、もうちょっと。
80年代で最も衝撃を受けたのは、1985年か86年、ラグビー協会100周年を記念してトウィッケナムで行われた、南半球選抜対5カ国選抜の試合。この時、南半球選抜には15人中6人くらい南アの選手が選ばれていた。この時生まれて初めて南アの選手を見た。スタンド・オフは伝説的に語られていた、ボタ。あと11番や13番くらいのバックスの重要なポジションは南アの選手だった。(フォワードはニュージーランドの選手が主体だったが・・)

試合中、自陣それもインゴール内からつないで、一気に13番が駆け抜けトライを決めた。最後のディフェンスを振り切り、突破する勢いというか、速さは素晴らしかった。結局、44対20ぐらいのダブルスコアで南半球が勝った。(まあ、当然だ)この時、南アはまだスポーツは閉鎖された状態だったので、問題にならなかったのは、ちょっと理解できなかった。解説者は「これは100周年を記念して、特別に。」なんていっていたが、言い訳になっていないと思った。

83投稿者:悦男  投稿日:04月06日(木)22時39分44秒
>kyupin先生
そんなゲームがあったんですか・・・・・・。
それもBSでやってたんですか?ビデオがあれば、と~っても見てみたいですね。若き日のブランコや、マイケル・ジョーンズが見れそうです。解説は、日比野さんだったんでしょうかねぇ・・・・・・。ちなみに私が80年代で最も衝撃を受けたのは、釜石ということになりましょうか。7連覇の最期の年、松尾引退の年、大観衆・大声援の日本選手権、敵陣ゴール前でペナルティキックを得た松尾は、空中に「8」の字を書きました。直後、ナンバーエイトの千田が飛び込んでトライ。北の鉄人達の信頼の絆を重く感じた瞬間でした。

84投稿者:kyupin  投稿日:04月06日(木)23時06分51秒
>悦男 さん
なんと、教育テレビでやっていました。(笑) 日比野さんではなかったです。けっこう出てくる解説者で顔は憶えていますが、名前がちょっと思い出せません。ブランコはたしか出ていました。

2~3回見たのでそこそこ憶えているのですが、ビデオは捨ててしまったと思います。(実は膨大なスポーツのみのビデオがあったんだが、ある時決意して全て捨ててしまった。その時、ついでに医学書も額面で300万円分くらい子供会の廃品回収に出しました。笑。)

85投稿者:悦男  投稿日:04月06日(木)23時47分28秒
ビデオ、捨てるなんて勿体ない。せめて悦男が見てからにしてほしかった・・・・・・。医学書は何百万であろうが、キョーミがないんですが。ガノレス(?)あたりの古典だったら、欲しいですけどぉ。

86投稿者:kyupin  投稿日:04月07日(金)00時01分23秒
あまりにも、こんなのを大事に持ってるなんてオタクっぽいよなぁ。と自己嫌悪に陥った。だから、吹っ切るというか、ショック療法のつもりで捨ててしまいました。