リストカット | kyupinの日記 気が向けば更新

リストカット

リストカットは些細な失望や失意を契機に、主として自分の手首をカミソリやカッターナイフなどで切創することを言う。若い青年期の女性に多いが、そうでない人にもみられる。普通「理解されなかった」とか、「裏切られた」などの対象喪失感をきっかけに行われることが多い。その際にトランス状態を呈していることもある。  

リストカットは若い人の場合、そう深くない「Delicate cutter」であることが多い。Delicate cutterとは、簡単にいうと、「浅い傷を繰り返すタイプ」である。何本も平行して入れている場合も多い。普通は手首が多いが、場合によると前腕部位に広く入れている場合や、ウインナーソーセージのようにはっきり判るように腕の外側を切っているような人もみられる。これは、きっと他の人に見てほしいのだと思う。この外側に入れている人々は、20年前にはあまりいなかった。これはおそらく時代の変化だと思っている。

他、かなり深く、時に腱や血管まで切ってしまうリストカットは「Coarse cutter」と呼ばれ、これらは生命を脅かす場合もある。coarseという単語は、「あらい、粗大な」という意味で医学にはよく出てくる。このCoarse cutterの人々は、積極的に希死念慮を抱いていることが多い。特に若くない統合失調症の患者さんの突然起こるリストカットは、まさに「Coarse cutter」で、たまに死に至ることもある。あんがい反復性はなく、むしろ年配、高齢者に多い。彼らは背景に死にたいという願望が強いので、リストカットを選ばず、大胆な方法をとる場合もある。それは舌を切るとかペニスを切断するなどである。

リストカットは、300年前くらいはどうだったのだろうか?とたまに思ったりする。たぶん、Coarseのタイプはあったにしても、Delicateなタイプはあまりなかったのかもしれない。このように考えてくると、リストカットと漠然と言った場合、あらゆる疾患に出現しうるので、さほど疾患特異性がないといえるかもしれない(リストカットで診断が決まらないと言う意味)。つまり、頻度の相違があるが、神経症からボーダーライン、躁うつ病、統合失調症などに満遍なく生じうると言える。ただ診断基準的には、「リストカット」は境界性パーソナリティ障害と演技性パーソナリティ障害に採用されている。「Delicate cutter」は後に「Coarse cutter」に転じることがある。

リストカットをした人に聞くと、傷をあまり痛がっていないことが多い。切った直後はむしろ気分的にすっきりしている。これは「解離が関与している」だけでは片付けられない。僕が不思議に思うのは、リストカット痕がほとんどと言ってよいほど化膿しておらず、普通に止血してきれいに治癒していることだ。さほど消毒もしていないのに。

もともと、剃刀やカッターナイフなどの金属には細菌が多くない。なぜなら金属自体に細菌を殺す作用があるから。何かで読んだことがあるが、いろいろな職種の労働者を調査したところ、旋盤工の手が最も清潔だったらしい。つまり旋盤工の手についている金属粉が細菌をかなり減じていたということだろう。そういうことを差し引いても、このリストカット痕は奇妙に化膿していない。

典型的には1つまたはいくつかの切創が平行してみられ、生々しく「赤いラインの乾燥した傷」になっている。これには、何か理由があるような気がしていた。リストカットの力動学的理解として、「他者に対する攻撃性が自己に向かう」とか流血と痛みにより「自己の存在感を取り戻す」とかいろいろに理解されているようであるが、こういうのは僕は詳しくはない。

僕は、単に左手首ないし腕の切創に意味があるような気がしている。(左利きの場合は右手の切創)特に「Delicate cutter」の場合、左腕にそのような傷を入れることで、右の脳に直接ないし間接的に刺激のようなものを与えているのかもしれない。

また、東洋医学で瘀血という考え方があるが、これに近い意味もあるのかもしれない。つまり、あのリストカット痕からは、何かが出ているのかもしれないのである。何か悪いものが出ているからこそ細菌が入りにくく化膿し辛いような気がしている。

神田橋條治氏によれば、リストカット痕からは「邪気」が出ているのだという。この考え方はちょっと面白いというか、オカルトで笑えるのであるが、これはたぶん当たっていると思うよ。

いつだったか、このブログ内のコメントで、「リストカット痕は神聖なもの」と書いたことがあるが、こういう僕の考えから来る。

もう少し現実的なことに戻ると、メンヘル系の人々でブログやホームページを開いている人の中で、たまにリストカットの写真をアップしている人がいる。ブログを書くことが治療的かどうかは議論があると思うが、もし治療的であったとしても、ブログでリストカット痕の画像を載せてしまうと、すべての意味がなくなるほどのマイナスであろうと思っている。

なぜなら、リストカットのsecondary gain(2次的利得)が更に大きくなるような気がするからである。