名前と精神疾患 | kyupinの日記 気が向けば更新

名前と精神疾患

今日の話は真面目に聞かなくていい。まぁ僕みたいなタイプの精神科医でも、こんなことを考えることもあるという話。僕が入局した当時、ボーダーラインや摂食障害は、現在の患者さんとタイプが違っていた。中核症状がはっきりしていたのである。あの頃の患者さんは、今どうなっているのだろう?

病棟のナースルームのボードには患者さんの名前のカードが掛けられ、ひとめ全員の患者さんの名前がわかるようになっていた。たまたまそれを見ていた時、医局の助手(僕のオーベンだったわけだが)、「こんな名前をつけるから・・」とポツリと言ったことがある。当時のボーダーラインや摂食障害の患者さんは普通の○子とかいう平凡な名前が少なく、カタカナが多かったり、そうでなくてもちょっと気合が入りすぎているものが多かった。精神科のボードはちょっと変わった名前のオンパレードだったのである。まぁこれは真面目に言っているわけではなく、笑い話的なエピソードであった。

その翌年、25歳か26歳頃、ある病院でアルバイトをしていた時、なんと、病院内に同姓同名の統合失調症の患者さんが3名も入院していた。苗字、名前の漢字もすべて同じだったのである。病棟では名前を呼ぶのに困り、○○さん○○ちゃんと呼び方を変えていた。もう1名は違う病棟にいたので、問題がなかった。

この時、僕は苗字に対し、ひょっとしたら決してつけてはならない名前があるのではないだろうか?と思い始めたのである。この辺から、僕の頭の中は水平線までオカルトの世界が広がっていく。基本的に僕は好奇心が強く、自分が納得できるまで調査しないと気がすまないところがある。僕は、精神疾患では統合失調症と躁うつ病の2大疾患をメインに考えており、名前について、特に統合失調症のみの関係について調査してみた。(僕の頭の中心には統合失調症が置いてある)

普通、姓名判断のプロには、おそらく統合失調症の人の名簿は手に入らないと思われる。この調査はたぶんした人がいないだろうし、精神科医でもこういうバカなことが気になって調べる人はそうそういないと思う。僕は姓名判断はアマなので、書物を買ってきて画数を調べる程度であった。あと、占星術も出来る限りの書物を集めた。ただ、当時、僕はまだ研修医であり、他にも勉強することがたくさんあり、命をかけてまではやっていない。僕は統合失調症の患者さんの姓名と生年月日および時間をパラメータにした。診断ははっきりしているので、問題は生まれた時間がわかるかどうかであった。

ところで、5人兄弟で4人が統合失調症とか遺伝負因が大きい家族を見かけることがある。この場合、名前も生まれた時間もない。しかし最近の傾向は、兄弟が少なく、しかも叔父叔母も少なく、全く精神疾患を持つ親戚がいない家族歴のケースが多い。家系的に因果関係が乏しいのに不運に見舞われる要因の調査をする感覚であった。

名前を調べ始めた頃、統合失調症の人たちは、あまり良い名前がないという第一印象があった。少なくとも名をつける前に、画数を調べたとか、考慮した形跡があまりないのである。(20年以上前の話だし) ひどいと思ったのは、役場に言った時、子供の名前を書き間違えて出してしまったというもの。そういえば、僕の学生時代、オヤジが役場で書き損じて変な名前になったという友人がいた。彼が言うには「そういうのを子供に後で言わないでほしいと思わないか」と憤慨していた。まぁ、これは結果オーライだったわけだが。

ところで、僕の名前なのだが、母親は「しんご」という名前にしたかったらしい。(漢字をどのようにしたかったかまでは知らない)ところが、うちのオヤジが0.5秒で今の名前に決めてしまったと言う。そういうのも、後で子供に言わないでほしいと思う。

生年月日と平行して調査を進めていくと、どうも姓名よりは生年月日が優先されると思うようになった。ニワトリとタマゴではないが、まず生年月日ありきで、しかも生まれた時間が重要に見えるのである。生年月日、時間のタイミングが悪いと、なぜか良くない名前が結果的に付けられていることが多かった。全体を通してみると、生年月日および特に生まれた時間が重要で、姓名の良し悪しはそう大きな要因ではないように思われた。

名前については、生まれる前にもう決めている親がたぶん多いと思うので、これは僕にとって非常に謎なことであった。あらかじめ決めていた名前が、生まれる時間を操作できるものであろうか? こうして、ますますオカルトの迷宮に誘いこまれるのであった。

占星術でも、数時間違えば夜空の星の位置は全く違ったものになる。同じ生年月日でも時間が違えば全然、意味が異なるのである。「生まれた時間が重要」まで行き着いた頃、急にモチベーションが落ちてきた。なぜなら、サイエンスとはほど遠いから。僕はいったい何をしているのだろうか?

僕は、当時、サイエンティスト派の精神科医を目指していたのである。それと、仮に名前について何かわかったとして、患者さんには一銭にもならない。治療に対し何かメリットになるものが見つからない。こういう親を恨む要素を見つけようとしているのがダメだと思ったのである。

こうして、当時書き溜めていた膨大なノートは破棄した。

ここで結論的なものを言えば、すべては偶然なのである。なぜなら、生まれた時間がすべてとか、もしそれが重要なら、姓名のように人為的なものが入り込む要素が極めて少ないから。

今は患者さんの名前がどうかとか生年月日がどうかとか気にすることはないし、自分でも、新聞や雑誌の占い欄をみることはほとんどない。僕は占いについて嫌いまではないが、ひとことで言えば興味がない。だいたい、こういうことって、細木和子さんが言うのならまだわかるけど、精神科医の僕が言ってたらダメでしょ。

しかし、ごく稀に、そうね300人に1人くらいだけど。入院患者の手続きをしているとき、僕は書類を何枚も書く。その患者さんの名前を何度も何度も手書きしているうちに、どうしてもこの名前は、統合失調症ではありえないと思うことがある。

これは、本当に不思議な感覚なんだけど。

でも、ふと前をみると、確かにそうなんだ。

そんな人の生い立ちというか生活歴をみると、普通の患者さんとはかけはなれていることが多いのよね。彼らは、きっと誤って統合失調症になってしまったのだと思う。