20代も終わりに近づき、だんだんとそんな生活にも疲れてきて、仕事は電話で済ませちゃって会社でぼーーっとしてることが多くなってきました。
このままじゃいけないと思いつつも、だからといって何をする気力もなく、うつうつした日々が続きました。


初めて、友人に体調不良のことを話しました。
怒られましてね。
「病院に行きなさい」
「行ったけど相手にされない」
「違う病院に行きなさい」
「何件も行ったけど相手にされない」
「だったらもっと行きなさい。診てくれる病院が見つかるまで行きなさい。だってそうしてたって治らないのでしょ。だったら診てくれる先生を捜すしかないでしょ。しんどいのは自分でしょ!」

もう1度、行ってみることにしました。

でももううんざりだったので、たまたまその頃知り合った病院関係に詳しい知人(いまの夫だぁ)に病歴を書いたメールを送りつけて、「こんな状態で困ってる。治るものなら治したい。いい先生を知っていたら教えてほしい」と頼みました。

釣る前の魚には親切というかなんというか。
今だったら「アホかっ、なんでオレがそんなことせなあかんのや。まったくどいつもこいつも」っていうわね。
でも返事はこんな感じでした。

「その症状だったら内科だろうけど、キミの病歴からすると、まず婦人科の方をクリアにした方がいいと思う。それでなんともなかったらまた内科を紹介するから。とりあえず都内の婦人科でよさそうな先生を、そっちに詳しい人に紹介してもらって話を通してもらったから、某大学病院の某教授を訪ねてください。診察日は・・・」
親切でしたねぇ。


そこでの診断は、子宮内膜症からくるチョコレート膿腫で残ったもう1つの卵巣がこぶし大に腫れてる(ビックリ)。
ただ微熱や倦怠感が出るような状態は婦人科では見あたらない、ということでした。

とりあえず腫瘍をなんとかしなきゃいけません。
「この大きさだと、手術も考えた方がいいかもしれない」
「死んでもイヤです」
ということで薬で治すことにしました。


当時まだ珍しかったMRIの順番待ち3ヶ月などをしていて診断に時間がかかっている間に、なんだか結婚の話がぽんぽんとまとまり。
大阪から東京に来てる人だったので、いずれ大阪に戻るかもと言われました。そんな先のことは、知りません。
専業主婦というのは考えたこともなかったので、当然のごとく共働きなのでした。
今考えると恐ろしいけど。


7月に結婚、8月に夫に大阪転勤の内示(ありがち? でもビックリ)。
単身赴任、ってわけにもいかないので、8月末には会社をやめ、9月末に大阪に引越。
とりあえず失業保険をもらって、切れたころに仕事探そう、と思ってました。


ふと気がつけば、あっという間に、大阪で、専業主婦。
どちらも想像してみたこともなかった。
人生というのは、一寸先は闇(違)。
わからないものですなー。