学生生活は悲惨だったかというと、そうでもないです。
スキーの同好会に入ってたし、他の大学のサークルも行ってたし、夜の街にもやけに詳しかったり・・・。

病院に通ってた頃も、実際のところたいしたことないと思ってました。
病院にいけば異常が見つかるという経験しかしたことがなかったから、検査というのは、すごく、とっても、異常が出やすいものだと思ってたのです。
健康な人でも調べたら異常が出るようなもんなんじゃないかって。

後でそれはとんでもない誤解だって気がつくわけですけど。
だってよくおじさんが「肝臓がひっかかっちゃって」なんてニコニコ言ってるし。
だいたい、リアリティがなさすぎるのよね。私が病気だなんて。

体調の悪い時は、1日中寝ててもシャワー浴びる元気もないという状態でしたけど、入院しろとは言われなかったから、体調のいい時を見計らっては、遊び回ってました(笑)。
気晴らししなきゃ、やってらんないじゃん。

授業は・・出席がうるさいからいちお出て、途中で抜け出して学食でグッタリ、でした。
実習は、脊髄反射でこなしました。
立ってないといけないから何度か倒れたけど、なんでそんなタンカ騒ぎになるん? 中学の朝礼で倒れてた人は今どうしてるん?
中学の頃は倒れたことはなかったけどさぁ。

そんなだったから定期試験はかなり大変でした。
若かったからできたんでしょうねぇ。三夜漬け。

なんとかスレスレで進級し続け、4年で無事卒業、国家試験も通りました。
でもその後、医療関係の仕事は一切してないので、つまりは授業は出てない、知識の更新もしてない、胸をはって薬剤師ですなんて言えないあやしい薬剤師、なんですわー私。

役に立ったと言えば、人を驚かすのには効果的だったなぁ。
薬剤師のイメージとかなりギャップがあるようで(笑)。
「歌って踊れる薬剤師めざしてまーす」これはなぜか結構うけたし。

ただ最近になって医療系の論文など読んでると、何が書いてあるのか、だいたい理解できるんですよね。試験前にとりあえず詰め込んだだけの情けない知識でも。
専門の教育カリキュラムって、すごいなって思うところです。


学生時代の特筆するべき出来事といえば、「絶交状」をもらったことでしょうか。

ある日、よくつるんでいた友達グループ全員の署名入りの絶交状をいただきました。
「あなたとは今後、友人つきあいできません」

その時はいきなりのことでかなりショックで、別の友人に見せたら
「いい年して何やってんだか」
と笑い飛ばしてくれたので落ち着いたのですけど、家に帰ってよくよく考えてみました。

私は口を開けば「だるい」というばかり。いつもぐったり。
資料を借りても何をしてくれても「私はこんなにシンドイんだから、友達なら助けてくれて当然」と思ってろくろくお礼も言ってなかったし。

客観的に考えて
「こんな友達、私もイヤだ」
と思って笑っちゃいました。


「だるい」という言葉は、言う方は何気なく言うけれど、聞く方にはとても重く響く言葉なんですね。
病気というのは本能的に忌み嫌われるもの。これは人が生き延びるための生存本能だから仕方のないこと。
その本能を抑えるのが、人の理性と、やさしさ。
重症に見えないなら理性が本能を抑えられません。
そして人のやさしさにも、限界があります。

人はみんな、幸せで、ハッピーでありたいのです。

その日から「だるい」は禁句にして、「笑う」ということを始めました。
笑顔をみればほっとするのも、また本能。単純なものです。

鏡を見て練習をして、最初は目が笑ってないだのなんだの言われましたが、作り笑いも慣れるうちにだんだん馴染んでいき、そのうち考え方までお気楽になっていきました。

この後、私はかなり運に恵まれ、人に恵まれてきましたが、それはこの時に「笑う」ということを覚えたおかげだと思ってます。


絶交状にはその夜にお返事を書き、翌日に渡しました。
「ごめんなさい。病気だからといって甘えすぎていました。いままでどうもありがとう。この反省を胸に生きていきます。ほんとうにいままでありがとう」

後味の悪そうな顔をしてましたね。
あとで言われました。「普通にあやまってくれたら元通りだったのに・・」
わかってますがな。

でもね、遊び半分で困ってる私に塩を塗りこむようなことをする友人は、要らないし。
ちょっとした意地悪返し。けけけー。
教訓はありがたかったけども、それはそれ、これはこれですわ。