「我輩は猫である。」「まどか」 | Civaオフィシャルブログ「極天論」

「我輩は猫である。」「まどか」

今回のアルバムのキー曲になった2曲を少しだけ紹介します。

 

ジャケット等にも使われているように、今回は「我輩は猫である。」が主題の様になってます。

 

猫は、自由気ままで、尊大なイメージがあり、
そんな尊大な猫が、少しずつ心を開いていく様を描いてます。

ちょっとずつ、尻尾が見えてくるというか。

猫目線の歌詞なんだけど、実はサビだけご主人目線なんです。


この歌が出来たのは、今年の1月くらい。
大分に一人でライブしに行く途中の車の中で1曲出来上がりました。

 

作った理由は二つあって。

 

 

俺の数少ない友人の一人の家で飼ってた猫が、もうかなり高齢で。

そういう別れは俺も経験してきたけど、言葉じゃ説明出来ないくらい辛いもので。
言葉で取り繕えない俺は、歌と物語にすれば、ほんの少しでも救いになるんじゃないかと思ったんです。
猫が、ちゃんと感謝してるって。

ここに来て良かったって。

そう、言ってるんだと伝えたかったんです。

 

残念な事に、その子が居なくなるまでに曲が間に合わなかった。

そこは悔やまれる。

 

 

もう一つは、自分の飼ってた猫の話で。

「ちょび」って名前の猫が居て、俺が自分の部屋に戻ろうとすると庭の茂みからダッシュで現れて、ニャンニャン言いながら部屋に付いて来る猫で。

そいつとは、本当に後悔の残る別れ方をして、一週間くらいは足元にすりついてくる幻が見えてました。出来るならちょびに謝りたいし、もっと可愛がってあげたかった。

 

新しく引き取った猫が、育つとなんだかちょびに似てきて、今はそいつをすごく可愛がってます。

 

猫には9つの魂があって、何度でも生まれ変わって逢いに来てくれるんだと、そういう希望を一つ込めて歌にしました。

 

 

俺にとって、とても大切な歌になりました。

猫同様、ずっと可愛がって行くと思います。

 

 

 

 

「まどか」

 

この曲は、11月に入って、一瞬で降りてきた曲です。

そもそも音源に入れるつもりも無く、というか曲自体なかったんだけど、突然、一気に出来ました。多分、絶対に伝えなきゃ行けないものなんだと認識しました。

 

楽しい事も、悲しい事も、喜びも、憂いも、妬みも、争いも、何もかも。

 

君が居なかったら、何も無かったんだ。

 

そういう曲です。

 

 

 

何かの存在が居なくなるって事は、簡単に割り切れるものではなくて。

俺は、それがどんな存在だったとしても、関わったものであれば、胸に穴が開きます。

 

「ああ、本当に居ないんだな」

 

そう思ってもなかなか受け入れられないし。

ふと、現れたりして。

 

「嘘だったんだよ!実は元気でした!」とか言い出すんじゃないかと。

それで、「てめえ!ふざけんなよ!」って怒ってる方がどれだけマシか。

 

居なくなったら、怒ることさえ出来ない。

 

何度もそういう経験はしてきました。

 

 

 

死ぬ事に対して、運命に逆らえない部分もあると思う。

でもそれじゃ、残された人達は、悲しむ事しか出来ないわけで。

 

それが生きる事の全てであるならば、あまりに悲しいと俺は思って。

 

別れが運命なら、出会いだって運命だと。

 

運命なら、きっと次の世界でも絶対逢える。

 

 

 

 

だから、リバアスデイ、でした。

 

 

 

 

生まれ変わっても、また君に逢いに行く。