一生青春です。
昨年2月3日、暖かい陽射しに誘われて
京都の節分行事を観光に行きました。
聖護院→河道屋養老→重森三玲庭園美術館→
京都大学総合博物館(小惑星探査機「ハヤブサ」の特別展示)→
吉田神社等。
快晴で和かい陽射しは、春の兆しです。
京阪、神宮丸太町を正午に出発し、徒歩散策が始まりました。
春日上通を東へ京大病院を左に見て東大路を横断すると、
聖護院の門前町右側に聖護院八ッ橋本舗、
左側に老舗の河道屋養老、
細い筋を挟んで聖護院門跡の石碑が目に飛込む。
総門前では青鬼が参拝者とカメラに納まっている。
門をくぐると山伏姿の修験者の一団、
この寺院は本山修験宗総本山です。
明治の前、御所の火災で孝明天皇が仮御所とした所でもある。
式台と本殿を仕切る右側の築地塀の中程に、
本殿前庭に出るくぐり門があり、
赤鬼と黄鬼が右往左往している。
暫しストップを乞いカメラに撮って、中に入ると
左手の白梅が数輪開花して梅香を漂わす。
本殿前の広い白洲には四方に斎竹を立て、
注連縄で結界した護摩供養の火床が、
桧の濃い緑葉が艶やかに映る。
聖護院の節分(祭)は、広い本殿の回廊を舞台に
年男・年女がまく豆に、赤・青・黄の三鬼が逃げ惑い
最後は本殿前に平伏して降参、改心する筋書き。
その後、本殿回廊から参拝者に向け福豆がまかれた。
隣接する積善院準提堂(準提観世音菩薩)と
地蔵堂(崇徳院:なまって人喰い地蔵)、
道路を挟んで節分行事で賑わう須賀神社・交通神社にも詣でる。
老舗「河道屋養老」では縁床越しに坪庭を観賞する
古来の日本座敷で「鰊そば」を食す。
次は、昭和を代表する庭園家・重森三玲の庭園美術館へ。
重森三玲は日本美術学校に日本画を学び、生花、茶道を研究した人です。
その後、庭園研究家・作庭家として東福寺・松尾大社等に代表作を残す。
力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水庭園が有名です。
重森三玲庭園美術館は、昭和18年に三玲が
吉田神社の社家・鈴鹿家から譲り受けた邸宅。
書院前の庭園は三玲の力強い立石を配する見事な枯山水庭園。
書院東側は州浜と波際を白砂と敷石で表現、
自ら設計した二つの茶席は、書院裏の壺庭を挟んで対峙する。
江戸末期の書院と昭和の茶席が壺庭を介して融合してました。
京都大学総合博物館では、
小惑星探査機「はやぶさ」帰還カプセル特別公開を約30分待ちして見学。
「はやぶさ」は、7年間約60億㎞の旅をして地球に帰還する。
カプセルは世界で初めて、月と彗星以外からの物資を
小惑星「いとかわ」から持ち帰った。
実物の展示品を目前にして、
科学者、技術者を支える技術力と物作りの魂、
研究者の頭脳と執念に感動を貰う。
京大の構内には武田五一が設計した時計台。
今年で百年を向かえて化粧中。
武田五一は鈴蘭街灯や掘りコタツを考えだしたアイディア豊富な建築家。
次に「太閤の石仏」を探して旧白川街道を東北へ。
京大農学部前の今出川通に出る所に大きな大日如来の石仏が二体、
左側の如来様は上品印を結んでおられる。
此が「太閤の石仏」か?と道行く地元の御老人数人に尋ねてみるが、
定かでない。
此処は今出川通の南側だから吉田地域。
以前に訪ねた北側に北白川の石仏
【通称は子安観世音:刻像は阿弥陀如来】を確かめるため
今出川通を横断する。
この石仏は太閤秀吉が好むにふさわしく堂々としている。
昔から白川女が市中に花売りに出る際、必ず献花合掌したと云う。
今日も切りたての水みずしい菊花が美しい。
所在は北白川東久保田町。「太閤の石仏」の標榜はない。
太閤秀吉が通りがかりに見とれて、惚れて聚楽第に運ばせたが、
夜毎に里恋しと地響きをたてるので、石仏は里へ帰したと伝える。
吉田神社の参道へ戻る。
節分詣りの参道は両側に縁日の出店と参拝の善男善女で賑ってます。
本殿に詣でる。
神社では、お札や福豆を授与する巫女に、
アルバイトの女性は氏子の若い子かな~、
日本髪を結っての和服姿が良く似合ってました。
一際、目を引く一人、本格的な舞妓の髪型「おふく」には
赤地に白い鹿子絞りが冴える舞妓はだしのプロポーションにみとれる。
境内では祭神に奈良の春日神を勧請した、藤原山蔭を祀る山蔭神社・
お菓子の祖を祀る菓祖神社にも手を合わす。
最後に母屋の平面が八角形の斎場所大元宮に。
応仁の乱後、神官の吉田兼倶が八百萬神を奉斎した。
正面の千木は尖端を水平に切り、
後面の千木は垂直に切った珍しい本殿。
前には直線の庇が、後には唐風の庇が付く。
屋根は庇を含め茅葺きで、頂上の棟は前面八角の中央から
後面八角の中央へ一直線に棟を通し、
前に丸材3重ね三組が・中央に宝殊・後に四角二組の堅魚木を載る。
前面と成る正面の屋根は破風の入母屋造。
本殿の後方、右側には殿社の屋根に二組の堅魚木が載る内宮を配し、
左側の外宮の屋根には三組の堅魚木が載る。
本殿の両側には朱塗が鮮やかな連座の祠が囲み
日本全土から勧請した神様を国名と御神体数を祠ごとに祀る。
吉田山の清閑な山頂では「紅萌ゆる碑」にロマンを求め、
吉田山の三角点103mを確認して、
竹中稲荷社・宗忠神社(江戸末期岡山に起った黒住教、黒住宗忠が祖)には
静寂の中に霊気が漂う。
神楽岡道を今出川通りに突き当たり、哲学の道に沿って流れる
琵琶湖疏水の延長越しに見えた中華ラーメン屋で虫養い、
閑静と雑踏が交差する巷を
参拝・飲食・観賞・見学・古跡を訪ねた散策を振り返る。
日没まで快適の散策日和に感謝して、
暮れなずむ街中に北白川から百万遍を経由して
最後は出町柳に出る。
高野川に架る河合橋と賀茂川に架る出町橋を渡り、
妙音弁財天にお詣りして、桝形通り商店街に寄って帰る。
約二万歩を越す、五時間超の行程でした。