京都検定ファンBLOG

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詳しくは、3月6日 の記事をご覧くださいお・ね・が・い
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ペンネーム:京田辺のアラ古稀一休

 

11月1日から京都非公開文化財特別公開が始まり、法性寺(ほっしょうじ)の国宝 千手観音菩薩立像を見に行きました!この像は藤原忠平が寺を創建した10世紀はじめ頃の作とされています寺普段は予約が必要で今まで行きそびれていましたので、この機会を待っていましたキラキラ

 


お寺の室内は写真撮影禁止なので、拝観後、入口にある案内看板の千手観音菩薩立像を撮影しました看板やはり、実物の方が霊験あらたかで美しいと思いました祈り

 


 
拝観後、法性寺から伏見街道を下り、東福寺の中門から東福寺の境内へ入りました歩く
すぐ南に雪舟庭園がある芬陀院(雪舟寺)の前を通り、東福寺南側の六波羅門を南下しました↓

 

 

東福寺六波羅門山門

 

 

すぐに筆の寺で有名な正覚庵の前に出ました筆

 


ちょうど筆供養の案内がありました目11月23日に供養があるようでしたなるほど!

 

 

さらに南下して行くと、徳川家康の正室であった旭姫の墓がある南明禅院がありましたジュエル・red衆知のごとく、旭姫豊臣秀吉の妹でもありましたサル有名な歴史の主人公に思わず合掌しましたて

 

 

さらに細い道を下って行きますと、伏見稲荷大社に出ました神社相変わらずの人出でしたが、中国からの観光客と修学旅行生などで本殿や千本鳥居はごった返していましたバス40年ぶりでしたが以前と違って参拝者の半数以上は外国人のようでした地球

 

 

境内の東丸神社神楽殿の間の細道を南へ進みますと、墓地があり、ぬりこべ地蔵の前に出ました地蔵このお地蔵さんは歯痛をやわらげてくれるとかで、念のためにお祈りしておきました虫歯歯ブラシ 青

 


そこから南へ5分ほどで石峰寺に着きました石黄檗宗で本山は萬福寺だそうです。中国風の入口が迎えてくれました入口

 

 

伊藤若冲が晩年に住んで、釈迦如来像十大弟子五百羅漢の石仏像を作成したことで有名ですが、石仏像は写真撮影が禁止で残念でした撮影禁止また、若冲のお墓もあり、素晴らしい石仏像を残していただいたことに感謝してお参りしておきました音符

 


 
境内は季節の花が綺麗に咲き、特にホトトギスがいっぱい咲いていましたコスモス

 


京阪電車の東福寺駅から出発して、同じく深草駅で帰路につきました地下鉄マーク幸い天気に恵まれて約3時間ほどの心地よい散策でした太陽

 

 

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ペンネーム:京田辺のアラ古稀一休

 

 六波羅は現在の鴨川東岸から東大路通までのうち、当時の五条大路(現在の松原通り)から七条大路までをいい、平安時代平氏の邸宅、鎌倉時代六波羅探題があった川もともと六波羅蜜寺があったことから、この地域が六波羅と呼ばれるようになったらしいびっくり!!
建仁寺勅使門六波羅探題の北門を移築したものといわれ、矢立門とも言われている凱旋門ちなみに南門は東福寺六波羅門だと言われている。ここをスタートし、南下して行ったGo

 

 

しばらく行くと、お盆の迎え鐘で有名な小野 篁ゆかりの六道珍皇寺があり、六道の辻の石碑もあった石碑この辺りは鳥辺野という墓地の入口でもあったようだ入口

 


さらに西へ向かい、幽霊子育飴の店の前を南へ曲がると六波羅蜜寺が見えてきたペロペロキャンディ


 

境内には、平氏六波羅第鎌倉幕府六波羅探題跡を示す石碑が付近から移築されていたびっくり

 


 
また平清盛公の塚もあり、このあたりに平氏清盛公の政権の中心があったことを示している♪.・。*

 


 
平氏の時代の痕跡は他に地上では見当たらないが、付近の住所に当時の様子が残っていた虫眼鏡
町内の案内図に、門脇町三盛町池殿町が記載されているツーリングマップル
門脇町は平家邸宅群の惣門の脇に教盛の居館があり、教盛は門脇殿と呼ばれたことから。
三盛町は、もと泉殿があったので泉殿町ともいったらしいが、六波羅に邸宅を持った清盛、頼盛、教盛あるいは平家の勢力を築いた正盛、忠盛、清盛の名を付けたとも言われている。
池殿町は、清盛の弟の頼盛が池大納言と呼ばれていたためらしく、門脇町の南西にある。

 

 
 平安時代から鎌倉時代の痕跡は、五条通りを超えてもあったえがお
東大路五条下がる一つ目の交差点は馬町と呼ばれ、この近くに義経と行動を共にした佐藤継信忠信兄弟の墓と言われていた馬町十三重石塔江戸時代末期まであったようだなるほど
馬町の交差点を東に50mほど行った北側に馬町の佐藤継信忠信の石碑があった。
 墓は石碑がある路地を北に行くとすぐにあった北
この辺りは六波羅の出口にあたり、江戸時代の「都名所図会」では馬町十三重石塔が馬町にあったと記載されているきらきらまた鎌倉時代六波羅探題と鎌倉との出入り口であり、馬屋が置かれていたので馬町の地名になったようであるウマ
 その後、十三重石塔は昭和になって戦前に解体され、現在は京都国立博物館に移築されている京都国立博物館馬町の元のあたりには石碑と墓が設置されたオバケ

 

 

次に京都国立博物館へ向かったNext途中に平重盛の別邸小松殿の庭園、積翠園(旧東山武田病院)を見に行ったが現在はホテルになっており、利用者以外は見学できなかった見れない

 


国立京都博物館では、馬町にあった十三重石塔平成知新館の西側に移されていた塔
あまり訪れる人も少なく、歴史ファンとしては寂しい気分になった涙

 


 

京都国立博物館では、国宝展(10月3日~11月26日まで4期に分けて)が開催されており、そのⅡ期では大徳寺塔頭の龍光院から「曜変天目茶碗」が出展されていたカービィ(宝箱とても美しく、普段は非公開なので小生には大きな収穫だったピース

 


本日の散策の成果に大満足して、帰路についた満点

 

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ペンネーム:京田辺のアラ古稀一休

 

秋分の日の9月23日に梨の木神社萩まつり高瀬川舟まつりを目当てに出かけましたゴー!!
 御所の清和院御門北側にある梨の木神社萩まつりは行われていました凱旋門

 

 

普段は静かな神社も、珍しく観光バスが来ていて、境内は多くの人出がありましたバスバスガイドさんを同時に2人見かけました人旗

萩の花には俳句の短冊がかけられており、読んで巡るのも結構楽しいものでした俳句

 

 

 

境内には京都三名水のうち唯一現存する染井の井戸もあり、すぐ横ではこの水を使った茶席があり、行列ができていました日本茶
 

 

 

近くの紫式部ゆかりの廬山寺では、源氏庭に咲く有名な桔梗とは別にムラサキシキブの実や、花虎の尾(ハナトラノオ)の花を見かけました平安

 

ムラサキシキブ

 

花虎の尾


寺町通りの丸太町を下がって竹屋町通にある革堂(行願寺)では藤袴が咲き始めていました。この周辺では10月になると沢山の藤袴が咲き誇り、「藤袴まつり」が開催されるようです祭り
 


寺町通り二条を東へ、木屋町通りまで行くと、二条から御池までが歩行者天国になり、一之舟入周辺で高瀬川舟まつりが開催されていました小舟クイズラリーや宝探しなど多くのイベントがあるようでした宝箱舞妓さんの撮影会もあるため、その時間帯は多くのカメラマンであふれていましたカメラその撮影の場所取りのため動けず、残念ながらその他のイベントには参加できませんでしたガーン
川沿いの木々で綺麗に撮影できる場所は限られていましたので、数枚撮影した後、樹木に遮られて困っていた隣の外国の方に場所を譲ってあげましたキラキラ大変喜ばれ英語でお礼を言われました爆  笑その後の気分が爽快になり、帰途につきましたHAPPY

 

 

当日は秋分の日で天候にも恵まれて、萩まつり高瀬川舟まつりと多彩な行事を見学でき、同時に秋の草花も鑑賞できて結構有意義な散策になりました音符

 

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山科のNanibah(なにば)です山


8月11日に上階から町が一望できる八坂の塔祇園閣に上りましたキラキラ

 

観光客が多い地域ですが、八坂の塔に上る人はあまりいませんドコモ絵文字写真としての美しさを重視するためか、坂の下から塔の写真を撮る人が多いようですカメラ SP

 


八坂の塔と呼ばれていますが、実は臨済宗建仁寺派の法観寺というお寺なのです。高さは46メートル。重要文化財に指定されています。聖徳太子耳が創建し、中に仏舎利を収めたという言い伝えがありますおんぷ

 

何度か焼失、再建を繰り返し、1440年に将軍足利義教に再建されたものが現在の塔です塔

 

浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)の法力により傾きかけた塔がもとに戻ったという伝説も残っていますゆ浄蔵さんと言えば、祇園祭の「山伏山」ご御神体にもなっていますまつり一条戻り橋で葬儀の列に出合い、亡くなった父三善清行(みよしきよゆき)を一時蘇生させたという話も有名ですね行列

 

12世紀の焼失の原因として、清水寺衆徒と祇園神人(ぎおんじにん)の紛争がありますが、背景には興福寺と延暦寺の抗争激化があり、それが興福寺末寺の清水寺と延暦寺末社の祇園社の争いを生んだとのことです戦い

 

塔の中には金剛界の五智如来、大日、釈迦、阿弥陀、宝生、阿閦(あしゅく)が安置されていますニコニコ

 

階段は狭く勾配が急なので、上るにはちょっとした勇気が必要です段もともと仏を祀るための塔で、展望台として建てられたものではありませんから、景色を見るために上るというのは邪道なのでしょう。しかしながら、上から見る景色はなかなかのものです。祇園閣も見えました目

 

 

法観寺の境内には、家臣によって手厚く葬られたという木曽義仲の首塚もありますお墓

 


八坂の塔の近くに、で有名な八坂庚申堂があるので、ちょっと覗いてみましたじー・・・。

 

浴衣浴衣を来た参拝者が大勢いました浴衣シロも色とりどり、浴衣もカラフルで、全体が現代ポップアートの展示場のようにも見えます?

 

八坂庚申堂は大黒山金剛寺という由緒のある天台宗のお寺です寺そして、開基は傾いた八坂の塔を加持で元に戻したという浄蔵貴所なのです。浄蔵さんの名前はあちらこちらで聞きますね音量設定

 

には欲望のままに動く猿を抑え込むという意味があり、人間が自分の欲望を制御するように諭しています×そのには願い事が書かれていますサル自分の欲望をひとつ押さえて、願い事をすれば願いがかなうということのようです流れ星

 

庚申日は一年に6回あり、その日は猿の形をした厄除けのコンニャクがふるまわれ、北を向いて無言で食べると無病息災のご利益があるそうです北

 

 

次に、今年の京の夏の旅で公開されている祇園閣に向かいました歩く

 

祇園閣は大雲院の中に祇園祭の山鉾をモデルにして建てられた建造物です祇園祭り昭和3年の御大典記念として、元大倉財閥の大倉喜八郎が建築家の伊東忠太に設計させたもので、金閣、銀閣と並ぶ銅閣にしたいという思いもあったようですゴールドメダルシルバーメダルブロンズメダル祇園閣登録有形文化財に指定されています。

 

大倉喜八郎は幼名が鶴吉、雅号が鶴彦でした。屋根の鉾の先で鶴が羽ばたいています鶴?

 

 

内部の壁画は昭和63年に完成した敦煌の壁画の模写で、神秘的な雰囲気が漂っていますすばらしい世界旅行また、魔物が白い球を抱えるというデザインの照明もあり、一体今どこにいるのだろうという不思議な感覚に陥ります

電球

 

コンクリート造りの階段は上りやすく、八坂の塔のような冷や冷や感はありません↑残念ながら、祇園閣は内部だけでなく閣上からの眺望の撮影も禁止で写真は撮れませんでしたが、すばらしい眺めでした満点

 

余談ですが、喜八郎は自分が収集した美術品を収蔵するために日本初の私立美術館「大倉集古館」(東京都港区虎ノ門)を建てました工事国宝重要文化財も多数あるとのことです。この大倉集古館も伊東忠太の設計で、歴史的建造物として登録有形文化財に指定されています京都国立博物館現在は改修のため閉館していて、2019年にリニューアルオープンするそうですオープン

 

さて、大雲院というのは織田信忠の法名です。正親町天皇(おおぎまちてんんおう)の勅命で、織田信長・信忠親子の菩提を弔うために作られたお寺で、開山は信長とゆかりの深かった浄土宗の貞安上人(ていあんしょうにん)だそうです手をつなぐということで、もちろん信長と信忠のお墓もありますが、驚いたのは石川五右衛門のお墓があったことです小判「泥棒でも有名人だと、こんな立派なお墓が作ってもらえるんだなあ」という参拝者の感嘆の声が耳に入ってきましたお客

 

 

桃山時代の鐘楼もなかなか素敵でしたチュー

 

 

8月の暑い盛りに歩き回り、けっこう疲れてしまいましたが、八坂のランドマークの八坂の塔と独創的なデザインの祇園閣に上って眺望を楽しめたので大満足ですはなまる

 

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山科のNanibah(なにば)です。

 

7月23日に大原へ行きました。暑い時期なので観光客の多い三千院と寂光院を避け、山の中にある古知谷の阿弥陀寺声明で名高い勝林寺を訪問しましたチョキ

 

最初に訪れたのは古知谷の阿弥陀寺。古知谷まで京都バスバスで行くことも可能ですが、本数が少ないので、往復の時間を確認することが大切です。幸いなことに、今回は大原の友人が山門まで車で連れて行ってくれましたリムジン前

 

山門は中国風のスタイルですが、阿弥陀寺はもともと知恩院派の浄土宗の寺院です。山号「光明山」の文字は素朴で温かい感じがします照れ

 

石碑に書かれた「弾誓佛一流本山」は開山の弾誓上人(たんぜいしょうにん)を弾誓佛として阿弥陀如来像とともにご本尊とする、その独自性を示しているようですうずまき

 

 

阿弥陀寺は山門から参道を歩いて20分ぐらいのところにあります歩くこの参道は緑豊かな山道で、涼やかな空気と木々の香りと控えめな蝉の声が自然の精気をもたらしてくれますせみ森林浴にもぴったりではないかと思いました木

 

 

参道の途中で、京都市指定の天然記念物、樹齢800年の古知谷のカエデカエデを見ることができます目木の幹が長老のお顔のようにも見えます。800年のお山の歴史を見守って来たのでしょうね。老いていても堂々とした威厳のある樹で、今も大切に保護されていますきらきら

 

 

阿弥陀寺に近づくと、こんな注意書きがあります看板階段も苔むして滑りやすくなっているからでしょうか※みなさまもお気を付けください

 

 

 

阿弥陀寺のご本尊は開山の木食上人(もくじきしょうにん)弾誓の尊像です木この像は弾誓が霊木を彫って作ったもので、自分の頭髪をその像に植えたのだそうです。ただ、現在は肉眼では頭髪が植えてあるのかどうかははっきりとわかりません霧

 

弾誓上人は修行中に木の実や木の皮を食し自らの身体を樹脂化して、即身仏(ミイラ仏)として入定(にゅうじょう)されましたミイラ男上人のミイラ仏は石棺に収められ、本堂の横にある「開山窟」の中の石廟に安置されているとのこと棺畏れ多くて、開山窟の中に入ることはできませんでしたが、そこに近づくと、ひんやりとした霊気を感じましたキョロキョロ

 

弾誓上人入定の百年後に上人の行跡を慕った澄禅(ちょうぜん)上人が阿弥陀寺に入り、山の岩穴の中で5年間修行をして入定されたという話も伝わっています石見銀山

 

「即身仏になる」という考え方を理解することは現代人の私にはとても難しいのですが、苦行を続けたお二人の上人の強い信念には敬服します拝む

 

阿弥陀寺の庭はこぢんまりとしていますが、とても美しく、借景というよりは庭が山に溶け込んでいるという感じです。お庭にはかわいい石像も並んでいました。

 

 

静かな山の中のお寺にはゆったりとした時間が流れているようで、自分が今どの時代にいるのかもわからなくなりそうですいしおの

 

阿弥陀寺で「弾誓佛」の御朱印をいただきました。参道は新緑の季節が風情があってなかなか良いとのことです新緑また、庭で大切に育てている九輪草もその時期に可憐な花を咲かせると聞いたので、新緑の季節にまたここへ来てみたいと思いますflower1

 

 

大原の里に戻って、勝林寺(大原寺 だいげんじ)を拝観しました。山号は声明の寺にふさわしく「魚山」です。1013年に寂源(じゃくげん)により声明の根本道場として創建されました。

 

来迎橋を渡ると極楽です神橋つまりお寺の境内が極楽なのです。そして、橋の下には「三途の川」が流れているではありませんか川ひっそりと流れる小さな川ですが、現世に生きているのに「三途の川」を渡れるなんて驚きですねびっくり

 


来迎橋から立派な本堂が見えます。柱の白い文字は右が「勝林院」、左が「大原問答」です。

 

 

大原問答」とは1186年に法然上人を招いて行われた宗教談義です。法然上人は様々な宗派の僧侶から投げかけられた数々の難問に答え、念仏により極楽往生ができることを説きました。そのとき、ご本尊の阿弥陀如来が手から神々しい光を放ち、法然の説が正しいことを示したという伝説が残っています手キラキラこの阿弥陀如来は「証拠の阿弥陀如来」と呼ばれているそうです。阿弥陀如来はとても穏やかな美しいお顔をなさっているので、仏女(ぶつじょ)にも人気があるようです↑

 

本堂では録音された声明を聞くことができます耳ほの暗いお堂で、阿弥陀様のお顔を眺めながら声明を聞くと、心が解放され、とてもリラックスできますおんぷ

 

勝林院には昭和の歌人、平井乙麿(ひらいおとまろ)の歌碑があります。声明が里に広がっていく様を詠っています。「苔の上をまろぶが如く流れゆく呂律の里の弥陀の声明

 

鐘楼の梵鐘は藤原時代のもので、重要文化財に指定されています重要保護のため普段は使われていませんが、大晦日には除夜の鐘が鳴らされるそうです除夜の音

 

 


勝林院でいただいた御朱印は「大原問答」と記されています。これも独特ですね御朱印

 

 

山門のそばに法然上人腰掛石があります。とても座り心地の良さそうな石でした石

 

 

声明の道場を訪ねたついでに、声明の呂と律にちなんで名づけられた呂川(りょせん、ろがわ)と律川(りつせん、りつがわ)のほとりを歩いてみました歩く呂川は三千院の南側を流れ、律川は北側を流れています。二つとも小さく細い遠慮がちな川です。

 

「呂律が回らない」というのは酔っぱらいのしゃべり方というイメージですが、もともとは声明の呂旋法と律旋法の使い分けが上手にできないという専門用語だったんですねmegamawaru

 

呂川                        

 

律川

 

さて、大原と言えば紫蘇が有名です。広大な紫蘇畑を見ることができました眼鏡800年前から栽培されている大原特産の赤紫蘇です。大原の朝夕の寒暖差と霧の湿気がこの紫蘇の栽培に適しているそうです畑

 


その昔、大原の里の人が傷心の建礼門院をお慰めしようと柴漬けを差し上げたところ、建礼門院は大層お喜びになったとのこと爆  笑

私も大原のお土産に柴漬け紫蘇ジュースを買って帰りましたピース

 

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