嘘の感触。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 狐猿の数日は懐かしく、自分の性に合っているんだなと改めて実感した。所詮はただの嘘吐きだけど、この世には、吐きべき嘘が在る。経済目的の嘘など些末すぎるが、この世のほとんどの人間は、その手の嘘を本気で、必死に吐いている。実に、信じ難いほど本気で。
 この数日吐いた嘘は、昨夜もバラしたが、換毛の嘘である。主に可愛い兎の換毛についてのことだが、それは、自然環境に応じて毛色を変えるために過去を脱ぎ、未来の生存に着替える無自覚の行為。兎たちはまったく無自覚のはずだが、遺伝子が嘘を吐かせる。私は日常生活ではそんなに嘘を吐かないが、仕事となると大量の嘘を吐く。車夫のときはほとんど吐く必要がないけれど、たまに吐く。吐けば愉しく、嘘って良いよなぁと思う。
 けれど世間一般には、嘘ほど嫌われるものはない。なのに、なぜか、誰も彼もといって良いほど、平然と、本気で、必死で、嘘を吐いている。
 今夜は牡蠣がお安かったので、とりあえずゲットし、スーパーから帰宅してから献立を考え、あれこれ作るのは面倒臭いから、なにもかも放りこんでグツグツ煮ればすむごった煮鍋とすることに決めた。出汁など取らず、顆粒アゴ出汁と昆布出汁と鰹出汁の合わせ技でやっつけた。調味などと洒落臭いこともせず、ただ塩をハラハラと振り撒いた。何処にも嘘のない、真っ正直な鍋であった。
 しかも、美味かった。妻の提案で柚胡椒だけ使うと、なんと、抜群に美味くなった。
 こんな美味さを経験すると、いつもあれこれやっているのが莫迦らしく思われてくる。
 ただ、莫迦正直に煮れば、美味いのだ。
 丁寧な加工も、微妙な調味も、真っ正直な鍋の美味さには、とうてい及ばないのか、と複雑な気持ちになった。

 食事していると、民放テレビが煩わしくなり、また映画に切り替えた。午後ロードのシークレットサービスも悪くなかったが、もっと、ずっと懐かしい嘘に触れたくなっていた。
 鍋から一粒の牡蠣を自分の器に取ると、私は箸を置き、棚からDVDをひとつ抜き、プレーヤーに挿入した。
 カサブランカだった。もう何度も観たが、また観たくなった。
 別にボギーファンではないし、映画としてどうこうなど知ったことではないが、嘘まみれなので気に入っているのだ。そもそも、誰が「君の瞳に乾杯」なんて口にするというのだ。いかに相手がイングリちゃんだったとしても、おしょすくて、口にできるわけがない。それを平然とやってしまうボギーは、とんでもない嘘吐きに他ならない。
 それは過去の出来事だから仕方ないとして、この映画の嘘はなかなか重層的に仕組まれているので愉しい。暑苦しい革命話にしなかったところも良い。うんざりして冷め切っている男の中で燃えているのはただの色恋沙汰といういかがわしさも悪くない。実に嘘まみれで小気味良い。冷静に考えてしまえば、この女はなんなんだよ、と疑問を抱いてしまうけど、男たちの単純さが美しい。ただのロマンスだけれど、嘘のおかげで味が膨らんだのか。

 現実を越えるほど現実を曝け出せるのも、嘘の効能だが、そういう価値ある嘘はあまりあるものではない。太宰くんなどが憧れた嘘だろうか。
 嘘が好きなものは、一生懸命嘘の吐き方を工夫するが、素晴らしい嘘など、一生に一度吐けるかわからない。四十年近く毎日のように嘘を吐き続けても、そんな嘘は吐けるものではない。嘘に嘘を重ねて、嘘を吐き疲れて眠るだけである。
 カサブランカの落ちの嘘は、いつも、今ひとつと感じる。なにか、もうちょっと方向の違う嘘にしたいところだな、と。ここを悩みたくて、度々観てしまうような節もある。
 なにかしら、もうちょっとマシな嘘はなかったのか、と。

 今日も江戸では千二百ちょっとくらいの陽性だそうで、緊急になってからずっと、こんな感じが続いている。緊急って、まさか、嘘だったんじゃないか、と思われる。世間の何処にも、緊急感がないから。
 最近メディアでは毎日、現在と昨年第一回目の緊急時の町角人口の比較などやっているが、較べるまでもなく結果は分かりきっている。二回目の緊急にビビるものはあまりいないわけで、狼が来たァーッというのと似たようなものである。今回というか、前にも記したが昨年十一月頃の方が緊急状態だったけど、この国ではゴーツーとか呑気にやっていた。順番がまったく逆というか、まるで国家全体でなんの価値もない嘘を吐いているような印象がある。無知蒙昧な大衆としては、なにが緊急なのさ、と思うだけだろう。実は、昨暮れこそが本当の緊急だったはずでも。
 こういう対応にはまず嘘などないと思うが、表れている現象は、ほぼ嘘のように見えてくる。この時期こそ、引きこもりたいときなのに、経済最重要カルトは町をせっせと動き回る。もちろん、コロナを媒介しようなどという意図はなく、真っ正直に感染対策して、あの町この町と動く。活気があって良いじゃないか、とも思うが、それがコロナ対策の現実かなとも思われる。
 まるて、嘘みたいだな、と感じたり。
 もしかして、いま我々は、人類史に仕組まれた、希有壮大な嘘吐きの現場に生きているのかも、なんて気までしてくる。
 やがて、愉快な嘘の時代として笑えれば良いが、昨日のことすら忘れてしまう私には、そんな先のことはわからない。あ、ボギーをまたパクってしまったッ。