踊る孤独。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.

 
 八時半過ぎに日記しだしボーッとしつつやっていたら、さっき、データが吹っ飛んでしまった。どうしたわけかバックアップもされず、チャラになった。で、日記し直しになり、もう、面倒臭い。けっこう濃いことを記していたのに、二度と書く気になれず、残念ではある。未だにこういうことがあるから、げにPCは恐ろしい。
 
 記憶しているのは、本日の買い物行動の内なる強迫観念がアセスメントという意識に直結していて、築地の豊洲移転問題とかオリンピックなどと密接に関係しているだろうということとか、それが私が便所の給水管に衝動的に手を出した理由であるとか、難解なことだったかな。そして、FMトランスミッターのランダム再生の異常さを克服するために私が採った想像を絶する対処策が、人力ランダムデーター作成だったという衝撃的な事実などだった気がする。
 が、吹っ飛んでしまった今、記憶能力が著しく欠如している私の脳内には、正確なデーターは一切ない。
 いや、ひとつだけあった。
 近頃この曲がやけに気に入っている理由を記し、YouTubeのタグを貼ったことだ。
 
 
 もうしらけてしまったので繰り返す気はない。日記はリアルタイムのライブにこそ意味がある。アンコールもないのだ。今、この瞬間だけが、日記のすべてなのである。記すのは過去のことだらけだが、その過去ですら、今なのである。いや、未来も記すが、その未来もまた、今なのである。
 今、このひと時、この瞬間こそが、日記なのだ。
 
 今、私がやったことがわかるだろうか。
 保温容器に入れてあった湯割り焼酎を、愛用のカップの七分目くらいまで注いだのである。たまたまこの日記を目にしたあなたは、わかっていただろうか。さっきの改行と、次に書きだされるまでの間に七秒くらいの間があったことを。
 それは言葉としては記し得ない間であり、いわゆる行間の、というか、行間過ぎる出来事だけど、それが事実であり現実なのだ。
 なんて、ややこしく記すのは、もちろん、せっかくせっせと記していた日記が吹っ飛んでしまい途方に暮れて腹が立ってケケケッとなり頭がいかれて発熱し熱を冷まそうと焼酎を呑もうとカップを手にしたら空だったので、イーペーイーペーフーイーペーとかぼやきつつまた一杯注いだせいである。
 
 ついさっきまで政治的な話を中心にやっていたけど、もうそういう気はなくなった。
 音楽と絡めて、いかにポピュラーというものがヘンかみたいなこともやっていたけど、もうそういう気はなくなった。
 今は、なにもない。語りたいことはなく、書きたくもない。
 すべて、さっき、吹っ飛んだ。
 ジャストシステムの一太郎のせいである。
 いや、私のキーボード操作が悪かったのかも知れないけれど。
 
 しかたないから、明日への希望だけを記して寝よう。
 明日は、稽古に行くが、その前にカジュアルおでんを仕込んでおこうと思っている。先日本格おでんをやって私は飽きているが、妻子は好きなので、作るのが面倒臭いとおでんにする。ただ煮れば良いだけなので。もちろん、具材ごとに工夫は要りそれを丁寧にやれば手間のかかる立派な日本食だが、いくらでも手抜きでき、手抜きしてもたいしたことないのもまたおでんの優れた利点である。
 しかし、計画しているのはただのおでんではなく、練り物を一切使わない、超あっさり系であり、ことによってはただの煮物ということになるか。なぜならば、それを主菜にする気はないからである。あくまでも副菜としての、つまりはせいぜいつまみ程度のおでんに過ぎない。
 では、主菜はなんなのか?といえば、これがまだ謎である。今夜はロールキャベツを主とする洋食にしたから、明日は和系にして、ならばおでんっぽいのがラクで良いけど、この前もおでんにしたから、メインは別にしようかなァなんて考えたからである。
 明日も家族そろっての晩餐だが、こういうことに頭を悩ませているのは、主夫である私一人だけ。
 主夫たる私にとって、晩ごはんとは、孤独な戦いなのである。
 JDサウザーは私に語りかける。
 「ねえ、君は、ただ孤独なだけだろ」
 そう、主夫として晩ごはんの計画を練る私は、孤独なオンリー・ロンリーなのだ。おでんのその先が、なかなか見いだせない、あたかも日銀の黒田くんとか、政府の安倍くんとかみたいに、孤独ゆえに多言にヨヨヨとしそうなオンリー・ロンリーなのだ。
 あっ、なにを書いたか思い出したッ。
 けど、もう面倒臭いので、このままでいこう。
 所詮、誰しもオンリー・ロンリーなのだし。
 今夜、ロールキャベツを食みつつ娘と話したが、支店長が先日の飲み会で狂ったように踊っていてみんな辟易していたという。支店長は私よりかなり年下だそうだ。
 「組織社会に頼る生き物は、みんなそうだろ。その方が出世しやすいから」というと、娘はため息を零した。
 「でも、五十歳とか思うと、なんか悲しくない」
 「悲しい以前だよ。無様というか、そうでもしないとはぐれそうで怖いんじゃないか。本人は愉しんでいると勘違いしていると思うけど、だいぶストレスをためる結果になっているはずだし」
 「なんか、切ないわね」
 「うん、切ないんだよ。人間って。でも、切なさの中で生きていくしかないんだろうな」
 みたいな馬鹿話をする家庭もあまりないと思うけど、わが家では普通のことである。
 きっと、今夜のBGMがかかっても、支店長は踊ったのだろう。
 所詮、誰しも、オンリー・ロンリーだしッ、とか投げやりな気分で。
 組織社会にありがちな感じかなと思い、娘には、そういうのはただ眺めて笑って忘れとけよ、と教えた。