いくつかの風。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.

 
 ダウに引かれて東証も軒並み上昇したけれど、どうしたことか私のやつは水底辺りを這いつくばうばかり。投資の恩恵にあずかった企業は設備投資意欲が高まり、トリクルダウンするのだろうか。ダウはトランプ効果としてわかるけど、日本の株式市場もというのは、良くわからない。巷では今年は暴騰大チャンス到来ッ!と煽ってるが、実態は見えず、激動するのは数字と欲呆けばかりか。
 安倍くんがアメリカに見放されないようにわが国も軍備に力を入れ、米国の尻馬にちょこんと乗って国際貢献しなくてはならないとか語ったそうで、となるといよいよ税収を上げなくては。では法人税は増大が見込めるかといえば、有能な脱税のエキスパートに守られているからそう易々とはいかない。ならばやはり消費税か、といくのかな。足りない分は、また適当に借金すれば良いや、なんて感じで。この国の借金漬けにはびっくりするけど。どこかの法律事務所に相談すれば、過払い金が戻るのか。
 
 何処へ行く気なのだろう?と思いつつも、そんなこと考えてもつまらないので、意外に早く体調回復した記念に、ポンコと一緒に諸税や外注支払い作戦を展開した。月末はいつだって、タコ社長には辛いものだが、ポンコと一緒なら凍てつく風を切り裂き、銀行を襲撃できる。またキャッシュが底をつきそうでビビったが、毎年前半は平和ではある。夏頃までのほほんと過ごし秋を迎え次第に不安に襲われ、晩秋にはすっからかん、というのがいつものパターンなのでもう慣れきってしまったが、どこかで一発でっかい宝くじを当てないとマズいので、今年はご祈祷に精力をつぎ込もうか。
 何日ぶりか記憶がないけど、駅前商店街へ行くと、想像していたよりも静かだった。給料が出たろうから、もうちょっと雇われ人の皆さんがうろちょろしてるかなと思っていたが、閑散としていた。振り込みと出金のためによったATMも空いていた。毎月、二十五・六日は行列ができているけれど、今日はなかった。作業の進行としては大助かりだったが、日本の消費の行方には少々不信を抱かざるを得なかった。
 もちろん、その程度のことでめげる私ではない。ゴーストタウンさながらの駅前商店街にツーサイクルの爆音を轟かせて暴走し、二キロほど東にあるスーパーストアへ向かった。今日も主夫ではなかったので大した用はなかったが、中華生麺が切れていたからである。このままでは満足な昼ごはんにありつけないという危機感が、私を突き動かしていた。
 
 風を切る爽快というのは、季節を問わずあるもので、こんな厳しい真冬日でもポンコに跨がりマッハ三で町を駈けるのは心地良い。もちろん、マッハ三だけでは周辺交通環境の安全を保つためには辛いので少々オマケしているけれど。
 こんな風の快さは、自転車でも走っていても感じる。四輪もオープンなら感じるだろうか。
 風の実感が、なにかしら、生きている体感を呼び覚ますとでもいうのだろうか。空気が冷たくて辛いけれど、気持ちが良い。ほぼマゾ的な感覚だけれど、気持ちが良い。
 足で走るということをやり出すと意外に嵌まるもので、はじめは五百メートル走るだけでも息が切れ嫌気を催したりするけれど、一キロ行けてしまえば二キロ、三キロ、五キロ、一〇キロと到達距離が難なく増えて生きやすい。速度は別として、五キロくらいを走るのはなんの苦でもなく、快感になる。
 ジョギングというのは良くわからないけど、三十代には週に四日くらいは一キロ五分弱くらいで走っていて、ほとんど風邪をひかなかった。この町に転居してきて数年後からは、年中風邪症状になった。なぜだろうと考えると、この町は急坂が多くて朝のランニングをしなくなったからだと思われた。
 走らないせいで風邪っぽいのだと踏むと、すぐ早朝のランニングを再開した。
 当初は、ウォームアップの意味で最初は下りコースを通り、息が整ってきた頃に急坂を入れ一気に頂点まで駈け上がり、最後は緩やかな下りで帰宅するようにコース取りをした。いきなり長い距離だと疲れるからとりあえず三キロくらいにして様子を見ることにした。この計画は、炊飯と同じで、はじめちょろちょろ中ぱっぱ計画と命名した。
 はじめちょろちょろは正解だった。心地良かった。が、中ぱっぱは辛すぎて、道半ばで挫折し、坂を転げ落ち、徒歩でとぼとぼと家へ戻った。ああ、もう坂を登れない身体になってしまったと悲しくなった。が、思えば、以前住んでいたのは平坦な町だったと思い出し、走行計画を練り直したのだった。
 
 距離は三キロで変えず、息が整うまでもう少し距離が必要なのだろうと考え、ルートを逆にしてみた。はじめの一キロくらいは緩やかな登りで、ジョギング程度の速度で行き、次には前よりやや緩めの坂を下るが、選べる道は多くないため距離が数百メートル延びてしまうけど遠回りするルートにし、下りきったら平坦なコースをとんとんと流し、最後に短い急坂を一気に駈け上がり帰宅。というコースにすると、距離は四キロ弱になったが、楽勝だった。
 しかし、当時はすでに四十路も半ば、合気修行のために筋力減衰計画も同時進行させていて、あまり走ることに熱心にはなれず、三ヶ月くらいでやめた。風を切る快さを感じる余裕がなかったせいではなかったかと思う。ただ健康のため、風邪っぽい身体になりにくくするためというのが動機であり、走りたいという欲望はほとんどなかった。そんなヒマがあるなら、なるべく身体にラクさせて、全身の感覚を目覚めさせたいとばかり思っていた。その頃は野口さんの「風邪の効用」という著書などに感心していたせいもあり、風邪をひく方が良いのかもなァと思っていたり。
 で、結局ランニング的トレーニングはやめ、サボり主体の修行を採用した。
 これは語っても誰も信じそうにないけれど、私は通勤時、歩く際は常にナンバの修行をした。鞄はずっと手持ちを愛用していたが、手をだらけさせるためにショルダーに変えた。どんな人とすれ違おうとも、ナンバ歩きを徹底していた。たぶん、見かけた人は、あの人病気なのかしら、と思ったことだろう。が、この成果は大きく、半年ほどで自分の体重が身体の外側へ零れていることを実感として知った。オッケー、正解だった、と歓喜した。
 そこからは加速度的に体重心感覚が見えてきたが、合気の浮き作りはまだまだ難しく、骨格に関する理屈はほぼ解明されていたけど、現実として表現するには至らなかった。骨格と物理的なことは理というものでわかるが、重心感覚のようなものがないとそれを適切に作用させ得ないとわかっていたので、とにかく焦らず、できない自分をやがてできる自分になると信じ、それを愉しみとして、自ら設定した仮説の世界を生き続けようと決心した。
 これがはっきり奏功したと今は思う。他人からどう見られようと知ったこっちゃないという恥知らずな性格に生まれて良かったなと。
 思い出話になってしまったが、つまりは、風を切る快さから、すべては始まった。
 と、言いたいのである。
 
 先週の稽古でも数名の人は私とやって、???となりいつの間にか転げていて、どうしたらそうなるんですかね?問うていたが、答えは簡単すぎて、いつも答えに窮する。
 信じにくいことを信じて、バカバカしいと思っても、そこに繋がる道だと信じたならば、愚直にしつこくいつまでもやり続ければ良いんじゃないの、と言うようなことになるが、その信じたことが間違いのことも多々あるはずで、易々とは信じ続けにくいだろう。信じ続けてしまうほど無様なことにならないとも限らないから。
 となると、これも一種のギャンブルになる。
 自分を信じて、信じる道を一途に進み、当たれば極楽、外れりゃ地獄。
 私はたぶんほぼ当たりなので不安も不信もなくお気楽だけど、そう容易に推奨できることでもない。こうすれば、浮き作り遊びができてひっつくようになるよ、なんて言えない。あ、言いまくっているかな。
 修行なんて言えば辛く厳しいと想像されそうだけど、それは次元を上げる創意工夫を意味するわけで、むしろ愉しいものだと言って良い。
 辛く厳しく鼻の下を赤くしてしまう風邪だって、身体を整える修行の経過に必然の現象なのだと思えば、不快も辛さもいくらか和らぐ。野口さんが仰有った活元というのは、そういうことなのかも知れないな、とも思う。
 子供の頃にやっていた剣道で上を目指すには、常に厳しく不快な鍛錬が要求された。はじめは信じてやっていたが、どう考えても想像していた剣術の世界とは違うので、イヤになった。剣術の技が身につく実感でもあれば愉しいから続いた思うけど、想像されるのはただ筋力や運動能力を鍛えて相手に勝つだけのことで、私が求めていた術理の世界とはまったく違っていた。辛い稽古を抜け出し、水飲み場で頭から水を浴び、私は思った。「おれは、風のふじまるになりたいのに、なんでこんなことしなきゃならないんだよッ」と。
 
 いや、また道を踏み外したか。
 憧れの風のふじまるは、風邪をひいたかどうか、私は知らないが、彼は風を味方にする術を身につけていた。カエルだって、ふじまるの味方だった。
 三十代の私は風を味方にすることで、風邪を撃退し得たらしい。
 が、四十代には風に見放され、風邪に魅入られた。
 五十代の今、風にそっぽを向かれ、また風邪引き続けの微熱親父に戻ったが、合気にはかなり接近し得た。
 しかし、風邪を敵にしたわけではなく、今も私は風を友にして遊んでいる。ポンコと一緒に受ける冬風を喜び、鼻水を垂らしながら町を走り回る。
 であるならば、合気と風はなんの関係もないと言うことになるか。
 ま、でも、私的には、なんとなく関係があるので良いのである。
 今日頬に受けた冬の風が心地良かったから、それをお題になにか記して寝ようと思っただけだが、どうしても合気方向に行ってしまい、またも意味不明になったかな。
 それでも、言いたい。
 風が合気を呼び覚ましたのだ、と。しかし、その風は、この身体に吹きつける冷たく厳しい風ではなく、何処までも私を乗せていく異世界から吹きつける風だと。
 
 朝、テレビで北極の異常現象というのを目にした。どう見ても地軸がコロッとしたせいじゃね、と思うが、そうは言われなかった。未だに温暖化だと言われるならそうなのだろうとは思うけど、歴史サイクル的にはやはり間氷期だろうし、あるいは氷河期に移行しつつあるのか。氷河期の話はまともな学者さんなどには近年真剣に語られているような気がするけど、だから人間がなにをなし得るのか?という問題でもないだろう。なにもできないだろう、人間には。せいぜい、温暖化だという口実などで経済活動を活性化させる程度のことではないか。その結果、アセスメントの曖昧すぎる原発だの太陽光発電だのとやり、後世に先送りせざるを得ない粗大ゴミを大量生産しているのが現代ではないか。そして、そういうことはないかのように振る舞い、経済振興こそが人間の幸福なのですと言って憚らない政治家が跋扈する。あまりの恥知らずぶりにびっくりするより他になく、まして、国際社会に貢献するために軍事力を高めなければならないのですッなどと考える思考回路が悩ましい。いや、狂おしい、というべきかな。
 明らかな狂気が、この社会の中枢で平然と語られている光景には、やはり唖然とするしかない。
 経済のために、人間は戦争をするのです、と語っているかのような。エーーーッ、マジっすかッ!?と驚くしかない。おいおい、今は、戦国の世かッ!?と。
 いくらトランプ効果でダウが史上最高値で金魚のフンの日本市場も三百円近く上がったからって、それで人間が幸福になるわけなどないのに。
 どうも、今も、ヘンな風が世界中に吹いているようで、不気味ではある。