近頃の虚実。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.

 
 うちの北東の角に食器が積まれていて、ご自由にお持ちください、と張り紙があった。
 ああ、本当なのか、と思った。が、どうも、釈然としない。
 裏の家の奥さんが癌になり余命宣告を受けたので、引っ越すことにしたそうだ、と近所の情報通の奥さんから妻が聞かされ、私の耳にも届いていた。が、意味がわからなかった。なぜ、余命宣告と引っ越しが対応するのだろうか?と。
 日曜日から引っ越し作業らしい音が聞こえていたので、事実なのだろうと思う。
 が、どうも、釈然としない。
 なぜ、引っ越しと余命宣告が接続するのだろうか?と。
 
 そのお宅が転居してきた日、わが家に庭木を切った丸太が落下したらしかったが、私は気がつかないまま三日くらい経った。妻が気がつき、私に報告した。
 切ったのだから落ちたことくらい気がついているはずなのに、ひと言も言いに来ないことに私は腹が立ち、すぐ怒鳴り込んだ。おいおい、非常識が過ぎるんじゃないか、と。
 始め奥さんが出たが、慌てて亭主を呼んだ。ガテン系の格好で肩を怒らせて現れたが、私が「自分の尻ぬぐいもできないのか、あんたは」と詰ると、しゅんと小さくなった。その頃近所では、なんだか強面っぽい一家が引っ越してきたと噂で、実際、そこらの家の横に無断で車を停めて平然としていて、数件の人から妻が「なんか、好き放題にされてしまいそうで心配だけど、怖そうだから困る」と聞かされていたという。なので、ついでだからそういう事情も解決しておこうと思い、そこらに勝手に車を停めるんじゃないと命令した。
 と、ご夫妻ともに穏やかな方々で、「いえ、もう、そんなご迷惑をおかけするつもりはなくて、なにもわからないものですから。どうか、お許しください」と平謝りだった。翌日にはうちに落っことして放置していた丸太を撤去し、好き放題に停めていた車もなくなった。
 以降、うちとは良好な関係で、どちらかというとうちの庭木の方があちらさんにご迷惑をおかけしているので心苦しいが、奥さんはイヤな顔ひとつせずせっせと掃除してくださっていた。うちの北側は完全な私道で、そこに接する三軒の家が駐車場にしていて常時四台駐まっている。うちの北の赤要黐の生け垣がそこに沿っていて、また藪椿や鼠黐も茂り、今頃になると花や実が車に降りかかり、多大なご迷惑をおかけする。が、文句を言われたことは一度もない。もちろん、そういう季節になる前に私がばっさり伐採してなるべくご迷惑にならないようにするからだけど、そういう作業をして後片付けの段になると、きっと奥さんが箒とちり取りを手にやってきて、私と一緒に片付けをしてくれた。
 「どうぞ、これはうちの仕事ですから、私がやりますから、気にしないでください」と、私は告げるが、奥さんはニコッと笑うだけで手を止めなかった。
 あの奥さんが癌になり、余命宣告を受けたのか、とちょっと驚いた。
 が、私にはなにもしようがないので、起こることを傍観するより他にない。
 あらかた引っ越し作業は進み、たぶん、今月末でいなくなるのだろうと思う。
 私にしてみれば、相変わらず、なぜ、余命宣告と引っ越しが対応するのだろうか?と首が傾げるばかりだが、如何ともし難く、ただ静かに成り行きを見守るしかない。
 
 
 ご近所さんというのはやはり気になるもので、この二週間くらい、斜向かいの武道家さんの姿が見えないのも気にかかってしかたない。昨年は情熱的に屋根の張り替えをなさっていて、格好いいなぁと感動していたし、私がポンコを修理していると「うちにあるネジを使ってよ」とボルトナットを提供してくださった。昨年末、栂をチェーンソーでガリガリ切り詰めたら、「やあ、ずいぶんやりましたね」と声をかけてきた。
 どう見てもお元気そのものだったが、姿が見えなくなると心配になる。
 もしかして、ご夫妻で長期の旅行にでも行ったのかなと想像するが、そんなときはたぶん、ひと声かけてくださるような気もする。
 この何年かの間に、私の仕事部屋の表に真っ直ぐ伸びる坂道沿いに、三軒の空き家ができた。すべてお名前は覚えていないけど、顔は知っているし、少しご縁もあった方々だったが、ある日気がつくと居なくなっていた。たぶん、老後を安逸に暮らすためにどこか低地に転居したり施設に入ったり子供のところとか近くなどに移ったのだろうと思うけど、真相はまったくわからない。
 ある日、気がつくと、居なくなっていた。
 その坂道はけっこうな急勾配の七十メートルほどのもので、左右に十数件の家がある。そのうち三件が空き家というのは、けっこう多い率だろう。いずれも、高齢系のご家庭だった。
 
 日本が直面している問題がこんな場末の住宅地にも明らかに顕現している。
 姉は余命宣告を受けた時点で、人生を諦めた節があった。私は「余命なんて医者がわかりゃしないから、生きると信じろ」と告げたけれど、アホな私が生まれたときから知っていた姉は、医師の言うことしか信じられなかったのだろう。私よりも霊能力が高次元のはずの姉ですら、そうなってしまうのか、とかなり驚いたのが正直なところである。
 裏の奥さんにも「生きると信じなさいよ」とか言いたいが、そんなことを言えば、部外者が野次馬気分で言っていると思われるに違いないから言う気はない。
 私にできることは、なにもない。
 ただ、秋が深まる頃、私が切り落とした枝葉を一緒に掃除したことが思い出されるだけ。
 所詮は他人だから、私の知ったことではないし、あちらさんも、私に知らせる必要などない。その方がお互いにラクでもある。まさか、今どき、昔の日本の村社会みたいな鬱陶しい濃厚すぎるご近所づきあいなどしたくもない。各家が勝手に好き放題やればそれで良い。
 が、周囲の、それとなく馴染んだ人々の消息が不明になると、気になってしようがなくなる。
 
 町道場というのもそんな感じで、いつも会わせる顔が見えないと、ちょっと気になる。体調を崩しているのではないか、風邪をひいたのか、私事でなにかがあったのかなとか、要らぬことを想像する。要らぬことで気を迷わせるのだからバカバカしいが、もしかして、それこそがコミュニティーの本質的価値ではないか、という気もする。
 前回の稽古で久しぶりに弟弟子と顔を合わせた。私より歳が一回りも上だけど、何処かでヤバいことなどやってないだろうかと心配でならなかったから安心した。
 おれたちは、コミュニティーだな、と思った。
 ご近所さんたちとはコミュニティーになりかけているはずだけど、なかなかコミュニティーにならない。社会通念上はコミュニティーと定義されているはずだけど、コミュニティーになっていない。が、合気道の一回りも年上の弟弟子と私はコミュニティーなんだなと感じる。
 コミュニティーってなんなのだろうか?と謎めいて感じられる。
 デモクラシーという考え方には、コミュニティーという各論の安定的なソリューションが不可欠だろうと思うが、それが何処にもないだろう。いや、ナショナリズムも同じかな。
 批判は重要で、ソリューションの原動力がそれでしかないが、昭和に私が物心ついてから後、公的問題解決のために払われるまともな批判のようなものにはほとんど触れた記憶がない。ただただ私的なばかりで、なんの役にも立ちそうにないことばかり。
 人間というのは感性の生き物なので、けっこう敏感に嘘を嗅ぎ取る。が、あっさり嘘に取り込まれてしまうものもかなり多いのが現実ではある。虚実をはっきり明確にし得る関係性作りのヒントが、ご近所付き合いなどにあるのだろうとも思う。
 が、今日では、そんなこともやりにくい時代になったろうか。