吹きだまりに、孫。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.

 

 しかし、墓参りから始める正月というのは、三年目くらいになると、なかなか陰気で粋なものだなと感じてきた。寺に行くと毎年意外に墓参りしている人がいて驚くが、たぶん元旦が命日の霊魂は多くないだろう。わが亡父は、やはり、狙ったな、と改めて思う。
 寺の本堂で仕来り的なお詣りを済まし、寺の住職から屠蘇をいただく手順になっているが、屠蘇を注ぎつつ住職は、「今年も喪中ですから、新年のご挨拶はなしにしましょう」と言った。こういう点は、檀家の良いところで、坊さんも昨年経を上げたばかりだと憶えていてくれる。
 午前に墓参りし、午後は予定通りわが家で宴会となった。従兄弟二名がヤバそうな風邪に罹患していたため、人数が少し減ったが、お節の売れ行きは悪くなく、暮れの労働は酬われた。が、もっとも自慢したかった白菜とスモークサーモンの一夜漬けを仕込んでいたのを忘れていて、振る舞えなかった。仕方なく、皆が帰った後、われら家族で平らげた。美味かった。
 

 孫は虫の居所が悪かったらしく、かなりの時間、泣いて暮らした。アンパンマンのDVDを見せると、口を開けて眺めているけど、私がテレビ画面と孫の間にいきなりバァッと顔をだすと、号泣した。これが面白くて、何度もやってしまった。
 曾婆さんと子世代、その子世代とその子が居並んだから四世代揃い踏みか。死者たちもいれば、たいそう喜んだことだろう。
 孫というのは何時間眺めていても飽きることがなく、感慨深い。
 この小さな生きものに自分の遺伝子もいくらか紛れこんでいるのだろうと思うと、それはもちろん父母から受け継いだものであり、さらにその先祖たちから引き摺られてきたものである。そういう流れの中に、妻の方の遺伝子が注ぎこみ、かつて他人だった遺伝子がミックスされて、孫に流れこんだ。なんて思うと、実に面白い。
 わが家のイメージから推すとたぶん南方系の血で、妻の方のイメージから推すとほぼ北方系の血だろう。妻の方はエスキモーやアイヌの系とは違い、顔つきや骨格から分析すると、ロシア系だろうと思われる。うちの方の顔つきや骨格を眺めると、たぶんアラブとポリネシア辺りが混合されたのだろうと思われる。
 そのような血流が、日本という海流やプレートの吹きだまりのような島国で合流し、混合され、ビービー鳴き騒ぐ孫という姿に結晶した。
 世間の経済カルトたちはグローバルとか騒ぎ続けているが、日本人の血は、とっくの昔にグローバルだったに違いない。グローバルの行き着く先にあるのは、やはり吹きだまりであり、差別意識の放棄ということになるのだろう。
 そのような意識と自覚の中で育まれる愛国心こそ、吹きだまりの日本にふさわしいと私は思う。
 

 正月の行事も、ほとんどは大陸渡来だろう。
 それが千年くらいの時の中で、日本という吹きだまりに適する形に練りあげられてきた。という点では、日本伝統のスタイルだけど、元にあるのは大陸渡来の文化といって良いだろう。などと思えば、日本人の故郷は大陸にあり、さらに遡れば、人類発祥の地とされるアフリカ東海岸に至るわけで、真のグローバルとは、そういう故郷への回帰に他ならない。デズモンド・モリスなどが追い求めていたのがそんなグローバリズムかなという気もする。
 雑多な人種とか文化などの枠を超えて交流し、途上国を食いものにするなんてのが先進国のいうグローバルとしか思わないが、グローバルの原点を眺めれば、先祖返りになってしまうかなと感じる。
 してみると、孫という存在は、現世で目撃できるグローバルの結晶ということになるだろうか。北方と南方の男と女がまぐわり創出した遺伝子が、孫の中にある。
 なんて思いつつビービー泣き喚く孫を抱いて少し表を歩くと、孫は泣くのを止めた。そこには父母がいないという現実を認識したのだろう。そして、私に笑いかけた。
 おッ、こいつ、意外に要領が良いな、と思った。
 

 そろそろドッと疲労感が襲ってきたから、もう寝よう。
 まあ、愉快な年明けだった。