ガラスの粘り。 | 境界線型録

境界線型録

I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 冷たい一日だったのに、陽の降る窓辺にいると、体が緩む。透明な玻璃を、透明な光が突きぬけてくる。ガラスはなんて偉大なのだろう。
 英語ではglassともgrassともいうらしいが、grassは草でもある。オランダ語だとglasで、ビードロはポルトガル語のvidroでやはりガラスの意味。
 昨年、ガラス工芸の工房を目にする機会をいただいた。高温の窯で固形原料を溶かし、吹いたり伸ばしたり曲げたりして成形する。硬そうなケイ酸塩鉱物が粘度の高い液体のようになり、人の手によって自在に飴のように扱われるのを眺めるのは愉しい。
 あ、そろそろまたBGMも初心に還ろう。



 たまにパンやうどんやパイ生地を作るが、粘性の物質を弄ぶのは、快い。思いのままに伸縮し、好き放題に形を作りだせる。どんな形になるか、すべては自分次第。
 以前はたまに陶芸もやって遊んだが、やはり同じような快感がある。
 自分が生みだす形が、現実として顕現する。
 水分を含むものは、乾燥の過程で縮んでいくので、イメージよりもひと回り大きくしなければならないが、ガラスはどうなんだろう。

 ガラスは固形物で硬質だが、ビードロのように薄いと可変性もある。パキパキの個体でもなく、液体でもない、その間の、きわめて固体に近い液体的物質、だろうか。
 ガラスは脆さの象徴ともされる。ガラスのようなと形容すれば、デリケートな存在に思える。私の心は玻璃のように打ち砕かれてしまった、などというと、あーん、可哀想と優しくしてもらえるかも知れない。しかし、実のところ、ガラスは粉々に粉砕されても、溶融することで蜥蜴の尻尾みたいに再生することができる。きわめてタフであり、しぶとい。
 プラも再生利用できるけれど、化合物は再生過程でなにかしら怪しい物質が発生している気がするが、昔ながらのガラスには無理がない。熱いとどろどろに溶けて液体に近づき、冷めると限りなく固体に近づいていく。液体から固体に転じる過程であれこれやると、目の覚めるような見事なものが作りだされたりする。

 最近、エコガラスという製品が流行っていると思うが、あれの基本は二重ガラスで、その間になにかしら金属膜のようなものを挟んで、太陽の熱を跳ね返し、光を透過するらしい。二重なので空気層が挟み込まれ、窓の気密性が高まり、断熱性能が上がる。とてもすぐれた製品だろう。しかし、それをエコとという言葉で表すのには胡散臭さを感じてしまう。エコロジーなのだろうか?
 太陽の恩恵は熱と光。が、エコガラスは熱を排除する。これは夏場の冷房効率を飛躍的に上げると思われるが、冬場の暖房コストは熱を利用するのに比較すれば劣ることになる。気密性が高いので過去よりはエコノミー面にメリットが期待できるが、熱を使えるならばもっとエコノミーになる。
 人のやることは、なんでもかんでも、あちら立てればこちらが立たず。

 ガラスは透明が良い。が、ステンドグラスは光と色とコラボレーションする絵画で美しい。
 太陽の存在がそれを活かす。
 私は太陽光の次に薪の炎が好きで、次が真空管のフィラメントや白熱灯。蛍光灯やLEDランプはどうにも好きになれない。光はあるけど、熱がないからだろうか。
 このブログの表現傾向を読めている人には意外だろうが、私はお熱いのがお好きな方。志向は冷たいが、熱を好む。理由は簡単、寒がりだから。

 太陽は光だけではなく、熱があるから太陽なのだ。
 太陽光発電は、光から電気を生むが、熱は捨てている。昔流行ったソーラー給湯器などは光は捨てて、熱だけ使った。
 なぜ、光も熱も活かせないのだろうか?
 真のエコエネルギーならば、吝嗇であるべきで、熱も光も余さず活用するもの。捨てるものが一切無い、という状況となって初めて高度な技術といえるのではないか。せっかく存在する有益な性質を排除して、偏向した機能ばかり追いかけると、必ず捨てたものを人工的に補完せざるを得なくなる。政治や行政、というか人間のやることはほとんどそれだが。
 まあ、難しいことなのだろうけど、難しいほどやりがいがあって愉しいはずなのに。
 どうも技術は、早く現実に実現することを急いで、挑戦すべきハードルを下げてばかりいる気がしてならないのだが。
 低いハードルなら、発明しても簡単に真似される。それじゃあ、得できないから特許だの権利を主張して護らなければ、となる。21世紀は、これの争いがさらに過酷になるのだろう。そんなヒマがあるなら、ほんとうに根本的に人類に利する基礎技術の研究に勢力を注げば良いだろうに。

 今夜の日記は約一名の方の他には意味不明かな。
 春物仕事の兆しも出てきてしまい、当分ドタバタ生活になりそうだけど、この世に資する生業を護り、次世代大衆にほんとうに愉しい面白いやりがいのある本物の仕事や遊びを受け継ぐために忍耐してこそこそ陰謀しなくては。