昨日の日中は東京は春も春、今までが寒かっただけに体感的には五月頃の陽気にさえ感じられた。
そうはいっても、朝方は冷え込むかと警戒していたが、仕事を終えて太陽の昇りきった方向目指してバイクで帰宅の途に着いてもヘルメットの隙間、手先や肩、脛の辺りへの風当たりも、拍子抜けするような程度の寒さ厳しさだった。
となると、自宅でのロッキングチェアーでの居眠りに一層、拍車が掛かろうというもの。
居眠りに心地よく誘われるためには、本を手に取るのが一番なのが小生、トルストイの「アンナ・カレーニナ」をメインに、合間には手に軽い(重さのこと。中身は別)本を持って、転寝(うたたね)の時の到来を待つのである。
→ 15日夜半過ぎ、都内某所の公園にて。写っているのはトイレ。夜中ともなると使うのは不審者か小生くらいのものか。撮影にフラッシュは使っていない。満面の笑みを湛えた月光がやんわりと世界に満ちているのみ。
過日は島泰三氏著の『はだかの起原―不適者は生きのびる』(木楽舎)を読み、この季語随筆でも「はだかの起原、海の惨劇」(February 06, 2006)や「「はだかの起原」…シラミから衣類の誕生を知る?」(February 12, 2006)などで若干の感想を書いたりしてきた。
この本にやや重なるようにして、中橋孝博氏著の『日本人の起源―古人骨からルーツを探る』(講談社選書メチエ)も就寝前などに読み、つい先日読了した。
前者は、人類が誕生したと思われる数百万年前から現生の人類につながるクロマニヨン人までの歴史を遺伝学や人類学などの最新の知見を総覧しつつ、「はだか」になったと筆者が考える約7万年あまり前の<出来事=突然変異>を考察している。
後者は、ブックレビューに「日本列島の旧石器時代はどこまでさかのぼれるか。縄文人から弥生人への移行の真相は。遠くアフリカ大陸に誕生した人類は、どのような道のりをたどり日本列島にたどり着いたのか??。最新の知見をもとに、「日本人の起源」へのさまざまな疑問を解き明かす」とあるように、日本列島に焦点を合わせて日本人の起源を探っている。
本書『日本人の起源』については、「日本人の起源 書評 本よみうり堂 YOMIURI ONLINE(読売新聞)」(評者・新谷 尚紀(国立歴史民俗博物館教授))がそつなく纏めてくれていて助かる。
「人類の起源をめぐる議論がキリスト教神学の呪縛(じゅばく)から解放されたのは19世紀後半のこと。ダーウィンが『種の起源』を著したのが1859年、ネアンデルタール人の化石人骨が発見されたのがその3年前の1856年である。それから約1世紀半、人類の誕生と揺籃(ようらん)の地がアフリカであることが明らかとなってきている」とした上で、「そのアフリカを舞台に類人猿と人類とが分かれたのはいつか。2001年に中央アフリカのチャド北部で発見された通称トゥーマイ(生命の希望という意味)の頭蓋(ずがい)化石の年代が600万~700万年前というのがその最新情報である。本書はこれら人類進化の最先端の研究成果をわかりやすく解説したもの。およそ250万年前、人類は急速な脳の拡大を始めてホモ・ハビリスからホモ・エレクトスへと進化する。この段階こそ人類が初めてアフリカを出てユーラシア大陸へと拡散していった時期だという」。
人類がアフリカ大陸を出てユーラシア大陸へ拡散し、一時はジャワ原人、北京原人などがそれぞれ個別に現生の人類へと進化を遂げていったという説もあったが、現在は、「1987年に発表されたミトコンドリアDNAの分析によ」り、「すべての現代人の起源はおよそ20万年前のアフリカの一女性へと行き着く。つまり、旧人ネアンデルタール人はもとより北京原人もジャワ原人も現代人の祖先ではなく、絶滅する彼らにかわって、アフリカでいち早く進化した新人が新たに十数万年前に中近東を経て世界中に広がったのが私たち現代人の祖先だという」見解にほぼ定着している。
つまり、類人猿から人類が分化したのも、ホモ・ハビリスからホモ・エレクトスへと進化(分化)したのも、共にアフリカ大陸の何処か、というわけである。
現生人類につながるクロマニヨン人は、ネアンデルタール人と一時は競合しつつ、一万年以上は共存していたようだが、やがてネアンデルタール人はクロマニヨン人に圧倒されていく。あるいはクロマニヨン人が「はだか」という場合によっては致命的な身体的特徴を<獲得>してしまった結果、その不適合を衣服や家を作る知恵を創造し、仲間との協力を「ことば」を介して学習し最終氷河期に対応したようなわけにはいかなかったのかもしれない。
この点は島氏はネアンデルタール人は埋葬も恐らくは知らない毛者(ケモノ)だったのであり、クロマニヨン人は「ハダカ」の王様(こんな表現は島氏はしていない)だったと推察しているわけである。
さて、日本列島へは一体、いつごろ人類がやってきたのか。残念ながら確たる遺跡・遺物は見つかっていないようだ。「日本列島への渡来経路はヒマラヤの南回りか北回りか」も、共に可能だったようだと言えるだけのようだ。
本書『日本人の起源』では、かの「旧石器発掘捏造問題」が考慮されているが、残念ながら、まだ日本ではこの事件の余波が大きく、研究はゼロからの再スタートとなっているようで、まdまだ模索状態にあることを認めているようだ。
この「旧石器発掘捏造問題」については、「日本考古学協会第67回総会パネルディスカッション: 「旧石器発掘捏造問題」をいかに解決するか ―日本の前・中期旧石器研究の現状と問題点― -報告- 」なる頁が参考になる。
「藤本強氏(新潟大学教授)」による以下の指摘が現状の理解ということなのだろう:
・考古資料は元来無口で、とくに前・中期旧石器は分析可能な属性が少なく、資料自体も限られている。有機質遺物が滅多に残らないため、石器と出土土層のみを手がかりに研究の蓄積による位置づけをしていかなければならないが、日本では中期旧石器時代の研究は1980年代から、前期は1990年代からで、未だ未成熟と言わねばならない。
・海外と比べ、日本は火山灰層の酸性土壌で人骨や動物骨が残らず、石器自体からの体系化が難しいことが事件の背景としてある。
・この件で研究者の意欲がなえてはならず、地道な調査の積み重ねが必要だ。
小野昭氏(東京都立大学教授)は、「考古学は歴史学の一部と位置づけられてきたため、文学・人文学部に属しているが、旧石器研究に適した環境ではない」と語っているが、やや机の上の人類学に偏重した気味があるのだろうか。
本書『日本人の起源』の著者である中橋孝博氏は、その点、経歴を見ると、「九州大学理学部卒業、同大学大学院修士課程修了。医学博士。九州大学大学院比較社会文化研究科教授」で、専攻は人類学だが、理学部の院生時代までは遺伝学的研究(遺伝子分析)に携わっていたという。
つまり現代では必須の知識であり武器である遺伝学的素養を有し、その上で古人類学に惹かれ、人類学の研究へ飛び込んでいかれたというわけだ。
あとがきに、恩師の制止を振り切って人類学の分野に飛び込んで「早三〇年、今では古代人の遺骨、とりわけ完全な女性頭蓋などに出会った時には、ある種、美しさのようなものを感じることも稀ではなくなっている」とあったりする。
つまり、本書では、「以前はおとなしく室内にこもって試験管相手に実験を繰り返していた男をして女性頭蓋に見とれさせるほどに変えてしまう陰にどういう知的遊技の世界があるのか、その面白さの一端でも読者に伝えられたならば」という思いが篭っているわけである。
その面白さという点では、「「考える人」HTMLメールマガジン129号」での紹介が好感が持てる。
「それでは、本書が科学的でつねに冷静であるが故にやや面白みにかけるのかといえば、決してそうではありません。本書の魅力のふたつめは、この本の著者、中橋孝博氏が人類学的な視点だけでは発露されることのない、個人としての人間への愛情に満ちあふれていることです。それは、第一章で取り上げているアマチュア考古学者相沢忠洋をめぐっての記述にはっきりと現れています」とした上で、「群馬県の赤城山嶺に住んでいた相沢忠洋は、兄弟との死別、父母の離婚など、貧しさのなかで厳しく辛い場面を次々と経験しながら、少年の頃からその虜になっていた土器や石器の発掘に情熱を注いだ人でした。行商や納豆売りを日々の仕事とし、仕事を合間をぬって土器や石器の発掘を続け、やがてその地道な努力と曇らない目の力によって、日本における旧石器の発見を果たした人です。しかし相沢忠洋の旧石器発見の功績には光が当たりませんでした。」と紹介されている。
リンク先を覗くと、相沢忠洋氏のエピソードがもっと詳しく紹介されている。是非、この頁を、いや、本書の一読を薦める。
どうも、順番が乱雑すぎるが、一応、目次を示しておくと、以下のようだ:
第1章 太古の狩人たち―旧石器時代の日本列島人
第2章 人類の起源と進化
第3章 アジアへ、そして日本列島へ
第4章 日本人起源論―その論争史
第5章 縄文人から弥生人へ
第6章 倭国大乱から「日本」人の形成へ
小生にしてもそうだが、一体、日本「人」のルーツは何処にあるのかという興味は尽きない。本書でも人類学の知見や遺伝学の成果を示しつつ、決して単純ではない日本列島の人の源流を辿っている。
ネット検索していて見つけたのだが、ブログでは「EP end-point 科学に佇む心と体 Pt.1 日本人の起源とその反省」が目を引いた。
本書『日本人の起源』をバランスよく問題点も含め理解するにはとても参考になる。
本書を読んで残念だったのは、これは研究の現状が未だ不確定のようだから筆者の責任ではないのだが、「弥生時代開始時期の五〇〇年遡上問題」がやや棚上げとなっていた点である。
本書の出版は二〇〇五年の一月(あとがきは二〇〇四年の十一月)なので、その後、一定程度でも論争の帰着点が定まってきたのだろうか(この点は、後日、ネット検索で多少でも探ってみたい。下記注参照)。
さて、島泰三氏著の『はだかの起原―不適者は生きのびる』(木楽舎)、中橋孝博氏著の『日本人の起源―古人骨からルーツを探る』(講談社選書メチエ)と読んできたので、次は、いよいよ日本の古代史を久しぶりに総覧してみたい。
ということで、次は、小生が勝手に敬愛するところの上田正昭氏著『講学 アジアのなかの日本古代史』(朝日選書)を手にすることになる。
敬愛するとはいえ、上田正昭氏の本を読むのは実に久しぶりなのが情けない。
そのうち、また、感想など綴るかもしれない。
「弥生時代開始時期の五〇〇年遡上問題」など、本稿に関連する、幾つかのニュースを「歴史ニュース」より抜粋してみる:
*稲作伝来、500年早まる
国立歴史民俗博物館は、水田耕作が日本に伝わり弥生時代が幕を開けたのは、定説より約500年早い紀元前1000年頃、と特定する研究成果を発表(2003年5月)
*縄文中期、500年古く
縄文時代中期の年代が、これまでより約500年さかのぼって、約5500年~4500年前になるとする測定値を、国立歴史民俗博物館が発表。(2003年5月)
*古墳時代、100年早まる
水田稲作が伝来した弥生時代が、約500年さかのぼるという測定結果をはじき出した放射線炭素年代測定で、今度は濃尾平野の古墳時代の始まりが従来説より100年前 後早い西暦80年頃とする結果が出た。(2003年6月 )
*現代人の祖先、最古の化石発見
エチオピアで見つかった人骨化石が、現代人としては最古の16万年前の化石であることを日本と米国、エチオピアの国際共同チームがつきとめた。現代人がアフリカから広まったとする「アフリカ起源説」を裏付ける有力な証拠。(2003年6月)