月を巡る浮世絵 | 無精庵徒然草

無精庵徒然草

無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 19日には、月を巡る小文を書いた。
 せっかくなので、月の(も)描かれている浮世絵(一点だけ、日本画)を幾つか紹介する。
 観月もいいが、月の浮世絵の鑑賞も乙なもの。


Takanawatsukimi04l

→ 豊国(歌川豊国三代)・広重(歌川広重二代)「江戸自慢三十六興 高輪廿六夜」(元治元年(1864)2月) (画像は、「港区ゆかりの人物データベースサイト・浮世絵散歩 高輪の月見] 」より)


 紙面(?)の都合上、紹介には限りがあった。
 このほか、田毎の月が描かれている、安藤広重作の「田毎の月」 や、月岡芳年作の『大物海上月 弁慶』(1886年) などを紹介したかったが。


 月を巡る浮世絵の数々を見ていると、日本人も、古来より月が、月影を追うことが好きだったのだと感じさせられる。


Takanawatsukimi03l

← 広重(歌川広重初代)作「東都名所年中行事 七月 高輪廿六夜(安政元年(1854)4月 「東都名所年中行事 七月)」 (画像は、「港区ゆかりの人物データベースサイト・浮世絵散歩 高輪の月見] 」より)


 月岡芳年作の『大物海上月 弁慶』(1886年) についは、「【これが130年前!?】最後の浮世絵師が描いた『100枚の月』がとんでもなく新しい【月岡芳年】 幕末ガイド 」によると:

能楽『船弁慶』の有名なシーン。波に立ち向かっているのは武蔵坊弁慶。源頼朝の追っ手から逃げる弁慶たちの行く手を阻むのは、月をも飲み込まんとする漆黒の大波。かつての敵・平家の怨霊の仕業ですが、弁慶の必死の祈りにより嵐はおさまります。

Takanawatsukimi02l

↑ 広重(歌川広重初代)作「江戸名所 四季のながめ 高輪月の景(けい)」(弘化4-嘉永4年(1847-51)頃) (画像は、「港区ゆかりの人物データベースサイト・浮世絵散歩 高輪の月見] 」より)


【これが130年前!?】最後の浮世絵師が描いた『100枚の月』がとんでもなく新しい【月岡芳年】 幕末ガイド 」には、「幕末から明治にかけて活躍した月岡芳年(読み:つきおかよしとし)。彼が晩年に描いた連作 『月百姿』」が紹介されていて、壮観である!


0adbe32daef439fb5043ll

→ 鳥居清長作「真崎の月見図」 (画像は、「オヤGナイトさんのタグ - 浮世絵 - 写真共有のlivedoor PICS(ピクス) 」より) 「太田記念美術館」のコレクションにもある


「田毎の月」とは、「GSD 月と文学(月ことば) 」によると:

小さく区切られた階段状の水田(棚田)の一つひとつに映る月影。田毎の月の名所として知られるのが長野県更埴市の冠着山(かむりきやま/標高1252m)、別名姥捨山の北麓。因みに実際に田毎に同時に月影を見ることはできない。→帰る雁田毎の月のくもる夜に(蕪村)

D0090600_1623425

← 広重.二代作「江戸名所四十八景 駿河台.月夜」(文久2年.1862年)


 さらに、月をテーマの浮世絵と言えば、この絵は外せない。
 そう、歌川広重作の「月に雁」である。

 まさに、真打登場といったところ。切手のデザインとしても、有名。
 というより、小生は、小学生の頃、父の収集していた「月に雁」切手で脳裏に刻印された。


398px1

→ 鳥居清長作『美南見十二候 九月 漁火』 (天明4年(1784年頃)) 漁火も見えるが、お月さんの姿も。 (画像は、「鳥居清長 - Wikipedia 」より)


月に雁|歌川広重|浮世絵のアダチ版画オンラインストア 」には、以下のように紹介されている:

上空から眺めるような幾重にも盛り上がった空から、舞い降りる三羽の雁を短冊判にまとめた広重の傑作です。1949年に切手の図柄にもなっているおなじみの作品です。左右から藍のボカシを交錯させ立体感を作り出しています。冴え冴えと輝く満月、静かに流れる蒼い雲、そして三羽の落雁。澄み渡った秋の空遠く、物悲しげな雁の声が聞こえてくるかのようです。

286564_2

← 橋本関雪作「残月杜鵑」 (画像は、「特集 日本画でお月見:おんらいんぎゃらりい秋華洞 」より)


 最後に、拙稿「月影に寄せて 」より:
 

 月の光は、優しい。
 陽光のようにこの世の全ての形を炙り出し、曝け出し、分け隔てするようなことはしない。ある柔らかな曖昧さの中に全てを漂わせ浮かばせる。形を、せいぜい輪郭だけでそれと知らせ、大切なのは、恋い焦がれる魂と憧れてやまない心なのだと教えてくれる。
 せめて、月の影ほどに、この世に寄り添いたいと思う。
 窓の外の定かならぬ月影を見ながら、そんなことを思ったのだった。