国歌を思う





「君が代」は、日本の国歌である。日本人は、いやどこの国でもだろうが、始めに終わりを思い、また

反対に、終わりに始めをおもったりする。国家あって国歌がない国は聞いたことがない。


日本の国旗、国歌はH11年からは衆参両院の議決を経たから法律になったし、それまでは、事実たる慣習法だった。したがって、いまは法律の解釈問題としては一応決着した。


ところが、 そう思いきや、 「心、此処にあらずんば、見ても見えず』で、一部にはなんだか日本人が日本の国歌にしきりにケチをつけている。どう考えても不思議であるというか、大きな勘違いだ。


わたしは次のように理解している。

①、民と民の関係は、倫理道徳常識の領域の世界だから通常は何も問題はない。ところが、国家は、どんな言葉を使をうとも、ルール違反に対しては強制力がないと、悪がはびこる。



②、そもそも国の歌つまり,国歌だ。,国歌のない国はない。そもそも国歌とは何かと考える場合、どんな方法で国家国民の統合統治を図るのが適切と考えるかという、一種の装置の問題として考えられたのではないか、と考える。この仮説は当たっていると思う。


③、君が代は日本の1千年以上前の古今和歌集などの古歌として、ほぼ同じ文言、歌詞が出るが、これはいわばその援用である。これに変な露骨な政治利用がないのみか、極めて平和的なものだと識者の研究にある。


④、日本の国歌は、世界でいちばん古く、 かつ一番穏やかで平和的な誇るべきものだ。これと比べて、ロシヤやヨーロッパ諸国は ほとんど戦争歌か軍歌の類が多い。たとえば、『われらの帝国―ー帝国ロシア』を強調している(ロシア国歌)。また中国は 『、、、中華民族よ、、起て!起て!起て!、、敵の砲火をついて前進しよう!、前へ!前へ!前へ!』 というのが中華人民共和国の国歌である。