難しい民主主義

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難しい民主主義







あのイギリスという国には、かって鉄の女サッチャー首相がいた。イギリスは彼女をを生んだ凛とした国と思っていた。ところが今般、あの理想の高いE C〈欧州経済共同体)という政治組織について、こともあろうに国民多数が「E C離脱」を選んだ。これはどう考えても『世界史もの』である。



イギリスという国のこの「E C離脱」という国民投票とその結果は、民主主義というものが如何に脆いものかについて、世界の教訓になってくれるのだろうか。それとも大衆の感情刺激とポピュリズムが民主主義の敵である何よりの証拠だということなのだろうか。 一市民になっても、いろいろと考えさせられる。



そこヨーロッパには、43の国がある。日本より面積が大きい国は、6つだけである。ましてや日本より人口の大きな国は唯一つ、ロシアだけだ。西洋史は、隣の国同士が根限り喧嘩をやり、つまり物欲で戦争ばかりしていたことがわかる。その中にはイギリス、ドイツ、フランスなどを含む。 大国からの支援も要る。


欧州が関税をかけないでお互い助け合っていたはずだ。もう23年の実積がある。そういう仕組みがあるから、ロシアの脅威、猛威をさほど意識しないで居れたと思っていた。政治は良くて当たり前と思うし、アジア・アフリカの一部やシリアの戦争難民や、移民多数が来る、其の反対運動をする政党が点を稼いだ。



近代民主主義は、イギリスに始まったというのだけれど、考えてみるとこれからは、イギリス式の議院内閣制は日本もそうだが、「政党」が一番大衆受けする主張をするものだ。このいわゆるポピュリズムが総合政策無く、移民反対なら反対それだけを、一点突破の水平展開するので大衆が騙される。



それにしてもキャメロン首相は、「EC離脱か否か」を国民投票にかけた。ところが、反対する側は「移民がけしからん,」「ECは自国の権利を主張しにくい、」「移民がどんどん入ってくるのに拒んでいない」「。移民が職場を奪っている。」「キャメロンはもっとイギリスのことを考えろ、」という一方的な論法だ。



こんなことから、いろんな不満のすべては、キャメロン反対、イコールEC反対にさせられてしまった。

政党の責任は、重い。民主主議は賢明な国民の上にしか成り立ちそうにもない。

・・・ああ、この矛盾。


つづく

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『舛添発想』 に思う。

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『舛添発想』 に思う。









(事実関係と事の発端)


舛添問題とは、時の焦点とされる東京都知事という重い人物の、予想外の事実と其の評価に係る発言が、マスメデイアから、にわかに批判的スポットを当てられて、これに大衆が同調し反発反応して、ついに日本国中はおろか海外にまでも取り上げられ、急炎上したものである。




〈そもそも、本質的な問題は何だったのか)

2~3思うことがある。


Ⅰ、先ず、氏は「ズル賢」 過ぎたと思う。 控えめ、遠慮、謙虚心、公共心が弱いのではと思う 。




2、少し知った人間なら、其の法律が、その用途、利用方法、目的を具体的に明確には「定めてな


い」事実自体は知っている。 ( このことから即 『違法でない』= 「イコールOK、」がオカシイ


のだ。


( 政治家は、法律家だが、大衆は政治家にそれを望んではいないから、メデイアがりードする。

結局、当たり前のことを当たり前にやるしかないということだ。とにかく、「せこい」のはだめだ。)




3、社会規範には、先ず倫理道徳という「常識」が先行したり後行になったりしないといけない。


政治学者は たんなる法律家の法解釈と一諸ではないはず。 役割が違うはずだ。



3、逆に、法律は常識や合理性に基づいて判断したとき,、本来の法の趣旨目的をを損なう解釈に

なろうとするとき、そこまでは、法律に守られている、それ以上はダメ、ということである。


逆をやりすぎてはダメ。 というのが正解だと思う。


( 似て非なることあり、注意)

4、ただ、一ついえることは、潔癖すぎてか、とにかく自分が身奇麗だと宣伝したくて、人気取り


事業ばかり気にする人がいる。こういう人にはNINBYな仕事には、かっこうだけで、テンデでき

ない。反対だけして、済んでから しゃあ しゃあ とでてくる。 格好上手もいるから注意!!



5、 結局大衆は其のどちらもいることを知らないといけない。選ぶ側の能力と、選ばれるものの

能力の、2つが要る。 時に大衆は馬鹿にされるが、それに気付くのは残念、遙か後である。


6、結局、舛添氏は、 いわば 「法律」 のまえに、「せこい」とされる「性格」裁判で敗訴したこと


になる。






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政局に思う

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政局に思う







永年地方政治をやった人間にとって、今の政治状況を見て、またまた政治不信になりそうだ。


いや、、あの情けない舛添さんの事だけを言っているのではない。


地方政治だけでもない。中央だって、いいかげん馬鹿な言動があるじゃないか、ということだ。



まあ、それにしても、あんな天然の「性根悪る」が、我が首都の政治の場にいるとは、とても信じ


がたい。


論どこにも結構「悪」(わる)は居るものだが、地方のそれは、ほとんど天然の性根悪というよう


なものではなくて ,一化性のもののように思っていた。





私の考えでは、



政治は、「 法による行政」 であるが、政治はそれだけでは足らない世界だ。政治は、行政とは違


って、法律だけでは決してないということだ。



ましてや法律の趣旨をここまで自己都合だけでひん曲げることは,断固許されることではない。


どのように辞めるめるべきか、もう辞め方の問題しか残されていない。辞め方が問題だ。


(ただ、とにかく、女々しいことだけはだめだ。経験上、辞め方は難しいというより決断だ。)





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太極拳とはなにか?


いちど、見てください

以下、ご案内いたします!!




第10回津山市太極拳協会 交流演武会


平成28年6月12日〈日曜)10時ー16時


アルネ 津山 〈ベルフォーレ津山〉


今回は、特に、大阪から、全国トップレベルの演武がご覧いただけます。



参加・出演者・・・100人余


趣旨・目的 ・・・自己研鑽の姿を見ていただく。

相互に確認しあう。

更なる、高みを観る。


皆さん楽しくやってます。


以上、ご案内まで。


駅のへん、どうみる?

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駅 atari、どうみる?






火星人の靴だ。履きにくい。履くことよりスタイルをきにしているようだ。 かっこうはついているが、近くに



駐車場がないから、ますます汽車 J Rの利用が遠のくことにならないか。



その心は?




人のことは考えていない。 見てくれがよくなればよい、ドウセ人口は減り人も車も減るのだから



社会的インフラのそれこそ将来を読んだ、先取りということになるのだろうか?



「スクラップ アンド ビルド」 なら解るが、 「スクラップ アンド スクラップ」とは



一体、どんな理念なのか・・・????? 大変な疑問がある。




かつて、S50年、市議会の先輩諸氏は、駐車場確保問題を市政最大の問題として、それだけで


大変な論議をした。それはもう大変だった。 あの議事録は読み返したほうがよい。


〈当時の市議会議事録 参照!!)




地方のこと

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地方のこと。









「地方の事」、といっても話はいっぱいあるし、また地方一般ということになると頑張っているところもあるらしいが、概して評判が良くない、と言わざるを得ない。 この道に全精力を費やしてきた自分にとって、これは実につらいことである.. 地方がもっとほめられたい。



さて、人のことはさておき地方人としての、自分の事を眺めてみよう。

考えてみると、学校を卒業、生意気にもけっこう猛烈なサラリーマンをやった。社内報、勤務、労災、を担当した。ところが、あっけなく、ほんの3年ばかりで辞めて、津山に帰ってしまった。


田舎に帰ってからは、農協の職員 〈後に、津山市農協の組合長になられた矢野公史氏) らの薫陶を受けた。農業に初の自分が、一時キュウリ生産者津山一(後にそう聞かされた。7畝とか)の名義人になった。)


キュウリはほとんど自然に曲がる習性があるのに、曲がったキューウリは、全くお金にならない。なぜ?味には関係ないよ。どうして? (このときの小さいが大きな疑問、不合理を、許せないと思った。後述。)


それから、こんどは、と言うよりほとんど同時に、司法書士の受験勉強を始め、27歳で合格、ほかの資格は、宅建主任、行政書士、防火管理士、浄化槽施工士などをクリヤーした。まず、司法書士に合格即開業し、翌年に結婚した。


インフレで好景気のお陰で、また、当時余り若い司法書士がいなかったこともあったのだろう、仕事がわんさと来て、つづいてバブル期でまたまた増えた。特に米井事務長〈後の市議会議長)の能力が大きい。また当時から今もがんばっている前原事務長は事務所に来たときは大学卒業前だった。



そうこうしていたら、数年後のS,51年、ココが人生の大きな岐路になったと思う。偶然津山市長「戦」があり、S50年暮れから、急遽天下分け目の大決戦になった。そのとき事務局を頼まれたのが私だった。しばらく後、私の事務所の米井事務長がまた面白いことに出身地から押されて市議になり上手に桑山市政を支えた。 しかも偶然「市長桑山、議長米井」にもなった。



サテ前後したが、 そのS51年は、いわゆる保革一騎打ちの形になった。少し前までいわゆる社会党天下の津山であったし、其の前まで2人、社会党の市長、と社会党県議が続いて出ておられたのである。



津山の危機に臨み「活力と幸せ」を掲げた。市民大会を企画実行し、100円バッジを大量につくり、売り、且つ着けてもらった。家と車に,シールをはり、津山に活力と幸せを・・と誰もやらないことを考えてやり始めたら従前のやり方と違う、選挙は遊びごとではないと批判が出た。



こっちはうまくいくと確信し、やりがいをもってやっていたのに、少しおかしい批判をされたので頭にきて、やめさせてほしいといったものの、気を取り戻して,それこそ全身全霊を尽くした、良い思い出がある。



・・・それどころか、運命的な後日談がある。市長の対抗馬に当時の議長が出馬することになり、、「市長選挙において、市議会に欠員があると、市長選と市議会議員の欠員選挙〈補欠選挙)が同時選挙にしなければならない」(公職選挙法)との規定があることがとわかった。



が、反対しそうな人ばかりじゃないかみたいなことになったらしい。どうりで3人も名前がでているワイ。そうおもっていたら・・・



なんと、おお後になって、 担当していた市長後援会の中から急に桑山君市議補欠選挙に出てくれ、となった。私がそれを聞いたときは「昨日の会合で出てもらうことに決まった、やってくれ」と言うことだった。


(ところが我が身内が市長に障りが出ては。。。といい、結局市議会鶴声会の意見を聞いたりし、そこがだめというなら出ないと約束した。裏にこんなこともあった。)



軌道に乗るまでのことではあったが、好きでのぼせていろんな理想を提案し、最終的にはほとんど認めてくれたので、満足でうれしかった。その少し後だったので、ぎりぎりの日にちしかなかったが、うれしくて飛び乗った。


出馬のうわさとして、小さく新聞に出たときは、私の親父がビックリした。数少ない縁故の田外社長をたずね、はやくやめるように説得を頼んだ。後日、会社の前の喫茶 ひばり へ呼び出されたのだが、、今も忘れないのがあの開口一番である。


親父は本気で言うてきたが、どうもあんたを看ていても止めるような気がせん。どうじゃ?。。。。。と言う調子であった。こっちも嘘は言えないから、止めるわけにはいかないような気がしています

、みたいなことを言ったような気がする。〈もっとはっきり、やりたい、と言った様な気もする。)



つづく


進化と気づき

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進化と気づき








1。 .民主主義は、最初から難しい理論から始まっているのではなかったと思う。あの古代ローマには奴隷制がありそこが民主主義にゆかりがあるとは日本人は思わない。当時のポンペイの遺跡を見たときは、ほんとうに驚いた。




石の文化の国の遺跡だ。近くの火山の大爆発で街ぐるみ瞬時に数拾メートル埋まったものの発掘であるから、きわめてリアルな立体的全体的な発掘再現である。いわば3千年前の、当時のままの町並みが、そのまま残っていた。





野外の大きな石の容器(くぼみ)が奴隷の水のみ場である。それに両手をついて水を飲む。石に手が当たる部分だけが何と、かなりへこんでいるのである。かと思えば、商店街がある。パーマ屋さんクリーニング屋さんまであった。チャンと慰安所もある。




古代ローマが、民主主義の発祥の地と言うが、当時は奴隷のいる民主主義なので、日本人には少しわかりにくい。〈われわれはのっけから、民主主義と聞くだけで、いいもの、正しいもの、間違いないものとそれこそ間違って教えられたから、いわば架空のものを考えているようだ。





確かにそこには 、 いまでこそいう 『 政治広場』と言うのがあったが、言葉があるだけで今とは何もかも違う。いわば当時において政治〈一部の市民の直接民主主義の手段の一つ)に利用された広場ということだった、のだろう。



思い出しては、いろんなことを想像し、そして創造している。


つづく

審議より闘争の場だった、あのとき・・・






(はじめに)

政治か何か知らないが、ザット40年間、自分なりにはこれぞ政治と思い一生懸命に、この世界にからんできたと思っていた。 いつも考えたのは絶対に人まねだけはしないぞ、と思ってやって来た。難しい事がいっぱいあったが、案外自分には、なせばなる、みたいな楽観主義的なところもあったようにおもう。


一見、ありふれたことのようでも、全ていろいろ調べて考えて、かなり慎重に、そして自分流にやってきたように思う。自分では当たり前のことを当り前にやったに過ぎないが、発想を転換し、初めてのこととして、初心として取り組むことは、なかなかシンドイことだったと振り返る。


〈自分がまたそういうことに遭遇したとしても、以前ほど苦しまないかも知れないが、しかし、矢張り信念としては同じ選択をし、また未来志向でそれを断行したような気がしている。)



(そのときのあの市政の「現象としての闘争」は、一体政治のどこがどう間違ったから起こったことなのか。具体的には、なにがどうなったのか?

あの、市政始まって以来の大混乱のあのときを考えることは重要である。)


以下思い出すまま、アトランダムに、また多少時系列にもすこしメモっておきたい。政治には政策や考え方で、目的や手段において対立がある世界である。後に生かさないともったいない。このときの歴史的な大事件が、後に津山のために真に活きることを願う。


( 一般論でもそうだが)

自民党のような、かなり緩やかな常識的な政党でも、精密機械ほど寸分許されないという主張が出ると、もめることもある。少しの誤差で、時に対立することもあった。


〈告ぐ!!「良い仕事」はそれぞれ良いが、「悪いこと」は同じように悪い。)

単に 恥だなんだとおもわずに、過ぎたことは過ぎたこととして、後に生かしてほしい。そういう意味で緩やかに事実を書き留めておく。


①、私は、長く地方政治にいて、当時は県議会議長を経て、中央与党の県レベル政党の政調会長と言うポジションで、好きな仕事をさせていただいていた。岡山県議会初の政策条例を制定したりなど、けっこう遣り甲斐があった。


ところが、足元の津山市政がすこしおかしいことになっているなあと思っていたら、再開発アルネ問題とゴミ処理場立地(綾部)問題の2大問題が、 ついに俄かに火を噴いた。政治上歴史的な大事件になり、大荒れになってしまった。


事業主体たる再開発組合はまじめだが船頭が多く、肝心の統治能力が弱く、またそこから当てにされ、頼られる市の執行部もどこまでが自分の責任の範囲なのか、補助採択要件もあって、思うようにならず一時解らなくなった風だ。


都市再開発事業と言う巨大な長期事業なのに、1年1年の単年予算審議で当年度だけのばらばらの予算審議をするが、他方議会は その間には、議員の役員人事や、ポストの駆け引き争いで思いもよらない結果になることがある。


審議能力や市民の風評次第で賛否にすぐブレが出るのが地方議会の特徴である。何分共産党が主導権を握るのだから、いいことにはならない。かくして我が市議会も、機能を失ってしまい、市長リコール丸1年間3連続の大?記録を作ってしまった。〈裏に何があったか?何がそうさせたのか?が問題だ。)


事業計画の詰めが悪くて事業用地自体に先ずつまずいた。(安易な詰めで)補助金が下りないなど普通考えられないことが起こった。 当初、組合が十分な理解合意なしに事業を出発させたこと、、経済動向や事業売り上げ額に大きな勘違いがあったこと、など一口で言えば土台と基礎づくりにこそ問題があった。



最初の行政手続きから看ると、大型街づくり用の大型補助金は,、先ず都市計画決定で再開発事業の実施区域を決めて申請するのだが、もうその辺からして最初の区域設定自体が、当初構想と比べると大きく後退していたのに、、、、


「もしも」と言うことが許されるなら、法的にはともかく、こういうこともあった。県の都市計画審議会〔会長 梶谷忠ニ)へ異例の津山市長本人が出席した。是非認可してほしいと、熱弁をふるい、特別誓約と嘆願との確約書を提出したことがあった。私は事業区域は確実に取得することが条件だと、「にが愚痴」をたたき嫌われたが、イマになって複雑な気持ちである。先輩委員にも指摘してもらったことがある。〈議事録は大事だと思う。後に行政古文書館構想へ。)


その後どんなことになったか、あらためては言いたくはない。 あちこちにあたりすぎる。ただ、あんな市政混乱だけは、金輪際みたくない。





つづく

私の憲法記念日

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私の憲法記念日 ( 公布: S21年11月3日。 施行: S22年5月3日 )








5月3日は、第69回目の憲法記念日である。日本国憲法はS20年日本が戦争に負けた結果生まれた。その時私は親父が京城(けいじょう)=今のソウル、で警察官をしていたが、そこは東京に次ぐ大都市、だったらしい印象は残っている。 オンドル、電車、リス、お宮、交番、自転車、屋根の上の樽、など飛び飛びだが覚えていてなつかしい。自分と憲法、戦争,引き揚げの事実は一種のトラウマにもなっているが、今なお特別の因縁を感じている。



引き上げ当時、私は5歳前、妹は3歳、弟は母のお腹の中で妊娠4ヶ月余だったことになる。後に知ったことだが、何とわたしたち一家はそれでも敗戦を外地、京城〈今のソウル〉で迎えられたからまだよかった(引き揚げて帰れた)。もし中国や北朝鮮なんかだったら、との思いは今も強い。大変な混乱と異常事態の中、母は子供を一生懸命育てたのに、病弱で67才の若さでなくなってしまった。 (連休に弟妹を寄せて、先祖供養と感謝の会を打てあわせた。これも加齢だろう。)




これが私の憲法記念日である。




人口変化〈特に人口減)からの見当








「見当」 と言う日本語は、面白くて実に興味深い。国立人口問題研究所は、いっペンんにああなる、こうなっると、結構情報をくれるからありがたい。その解析結果を発表されるとこんどは自分で更に敷衍してみて、想像をたくましゅうしてみる。〈ほとんど学者の理論解析に[なるほど]と思うが、極くたまには子を生む生まないは統計学だけではあるまいと、しかしそれでいて勝手な理屈をつけてみる。物事は其の先がおもしろい。理論的に考えると右脳のためにも良い。〉


とはいえコッチが考えそうなことは、ほとんど新聞が書いてくれており、確認しておく意味が大いにある。社会の変化の大半は人口統計をベースにして読み取れるような気がする。其の確信がもうすぐいわゆる「労働者が1千万人減る」という見当予測ではないだろうかと思うのだ。


経済学的には裕福になれば、ドンドン子供を生んでもよさそうだが、今はそうではない。藩政時代徳川時代は、大奥の制度もアリ,30人40人はざらだったというが、今は、生む生まないは個人の自由の領域にある。少子化と言う変な日本語がはやっているが適切ではない。


大体、余談だが 『少子高齢化』と言う言葉くらいいやらしい言葉はない。単に言葉だけの、週刊誌的珍しさだけのことである。「少子化」と「高齢化」は単に統計数字上のことで、本質は何の関係も無いだけでなく、(何の理論も無いばかりか)、一般には大変悪い誤解をさせているかもしれない。


良い悪いの二分論なら、少子化は子供が少なくなる現象だから、良いとは思わないが、他方、高齢化は良いことであるから、古来長寿化社会は理想社会ではないか。少子化と高齢化と言うように、この二つはキチンと全く本質が違うということを、声を大にしていいたい。(問題は社会的影響だ。)


『 ころばぬさきの杖 』

そこで、影響が一番ありそうなことは、「少子高齢者」と言われるもので、働き手の大幅減、ザット言えばもう影響は次第に出ているが、後もう5ー6年もすればザット、これが約、1千万人も減ってしまう。こうなると、もう企業は日本ではやれない。また海外加速になる。生産性が下がれば、国民所得もへってくる.。


そうならないために!!