「 地方政治の40年」--その前と後

 

 

 

自分にはどうも ,のめりこむ癖があるみたいだ。最初の会社,のサラリ-マン時代は、結果ほんの3年ほどしか続かなかった。しかし、勤務、労災、社内報とやった中では、とりわけ社内報にのぼせてしまった。趣味と仕事の区別が付いてなかったのかもしれない。

 

元々、入社の面接時、就活で当然こっちが、お願いする立場なのに、なんと生意気にも 「総務人事労務辺りが好きですから、その辺の仕事をさせていただけますなら採用をお願いいたします」と言ってしまった。何事も正直でないといけない、とだけ信じていたのである。

 

他方人事担当者は変わり者が一人くらいいても良かろうという、選択だったのではないかといまおもうが、自分が逆の立場なら即選外にしていただろう。

 

サテ、此処からである。すべて神の思し召しかもしれない。

27歳で司法書士行政書士を開業したが、運が当り おりしも不動産ブーム時代の到来で、お客がワンサとあったのと、これで何とか自分で飯が食えるワイ、と思ったから随分と心が休まった。

 

好きなことをしたり、人の相談に乗ったり多少役に立てるようになりたいと思うようになった。自分ではマア多少は頑張ったと思っても、よく考えてみると、ただマンがよかったに過ぎない、ということは少なくない、そういう時偶然市議会の議員補欠選挙で即当選で人生が変わった。

 

 

つづく

 

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忖度(そんたく)

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忖度(そんたく)

 

 

 

 

森友学園の小学校建設用地の売り渡し評価額が安いのは、政治家に頼んだお陰だと、

いわゆる野党が、いやその中の一部野党が、はっきり言えば共産党と民主の「民」位が言っている風に見える。これが[忖度]だというのである。お陰ならおかげといえばよい。

 

おかしい。言ってる自分らは政治家じゃないのか。いや与党が自民党だからおかしい。そういいたいのか?それでは理論理屈じゃないし説得力が全く無い。。何が何だか訳が分からないのである。

 

面白いから付和雷同する人もいるのだろうが、誰の話を聞いてもこれは観念的でペダンチック

でますます分からない。いろいろ考えてみたら、元々[忖度」というのは、黒だの灰色だのの色つきじゃなかった。むしろ真っ白にあえて色をつけようとしている人間がいる、というわけだ。

 

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 どこかで聞いたような話  ? 

 

 

 

 

東京の築地市場の豊洲への移転について、誰もがいわゆる「とっくに既定路線」だとばかり思っていたら、次第に何だかへんにややこしい話になっている。

 

 しかし昔から、いわゆる「こういう土地問題」 というのは、何となくそこに悪者がいるという一種の空気がある、,巧くムードを提起しムードにのせる勢力が、うまく選挙利用するのである。

 

みなさん、今一度しっかりと私たちの目で検証しようではありませんか? こう呼びかけるのである。そうだそうだ。

 

しかし このストーリーはどこかで、ちょいちょい聞いたようjな気がするのだ。。。

これは、他人事じゃない。

 

自分自身の自治経験にも これとなま似た経過事例があった。ともあれ、共通しているのは、いつも決まって選挙前にかぎって出てくるのが最大の特徴である。

 

自治体の土地売買(自治体側から言えば土地購入)やその前提となる立地としてのその用地選定については、なかなか複雑なことがあるが、多分これは少し聞いただけではなかなか素人には分からないことが多いと思う。

 

この世界は、事実より想像が優先される局面だからである。

 

 

 

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「 桑山情報サービス」 のこと。 

 

 

 

大学ノートの 表紙に「桑山情報サービス」(情報原稿)と銘打った、あの少少厚かましい大学ノート5冊が出てきた。20年ほど前、かなり情熱をこめたものだ。

 

これは、ある電話(当時は25-2020(にっこり、ふれーふれー)へ掛けると、私の声で、5分間、自分の考えや、また県政の話題や身近な課題が流れるという、私のオリジナルなテレフォンサービスであった。大真面目.にやっていた。

 

H5年11月18日(木)から始めた。一見たいした事ではないが、5分間相当の原稿を毎日替えるのは案外容易でないと分かった。で、同文スピーチを、およそ一週間も流したこともあった。継続したいと思うと、準備があるからほぼ毎日のように次のテーマを、調査し、まとめるのだから意外に楽には無いと知った。

 

ちなみに、第一回が54人第2回が46人、第3回が21人、、、、、という滑り出しだった。選挙や地元関心事に触れさえすれば、バンバン数値が上がるが、あの某野党のようなことはしたくない。だから、大事だから聞いてくれるということではない。(ここが少しさびしい。)

 

結局、H14年の7月まで10年間続けた。 そして、次はインターネット ホームページの開設へつなげた。われながら、まあよくやった方だとおもう。故に この原稿ノートは捨てがたい。

 

まあ、自分にとってこの10年は、5分間演説の、起承転結の論理転換の訓練にはなったと思っている。また、地方政策のアイデアと立案には大いに役立ったような気がする。

 

 トランプ氏における 「よもや まさか、、、」 について。 

 

 

 

 

選挙の時はその大小を問わず、出来もしない嘘をいっても許されるというムードがあるが、(私

はそのこと自体にも異議があるが、)今日はそういう単純な嘘の話ではなくて、何かしら猛烈なショックをうけたし、これはとても政治じゃないぞ、とおもった。自由も民主主義も何も無い。

 

世界に200数拾の国がある。、何といってもアメリカは総合点数第1の国と思われてきた。

今日ばかりは、まるで世間知らずの独りよがりの独裁者だった。少なくとも今選挙中ではない。正式なアメリカ大統領の就任演説だった。

 

アメリカを分断させた張本人が、口では結束をよびかけた。なんだかアメリカがかわいそうになった。ともあれ、もはやアメリカは民主主義を牽引する誇り貴き国ではなくなった。経済だけでものを考えるなら弱肉強食,だ。理想も夢も同盟も無いではないか。

 

よもや、まさか、、、育ちの悪い大金持ちはしまつがわるい。こりゃこまった。しかし、、、。

「トランプ政権と日本」  NHK取材班

 

 

 

お世話になった太極拳の先生が、文部科学大臣の表彰を受けられたので、岡山の夜の祝賀会ではあったがよろこんで駆けつけた。この先生の演武は流れるようななめらかな曲線がえがかれてとてもご高齢を感じさせないし、感じのよいお人柄である。

 

さて,おかやまで少し時間があったから本屋へ立ち寄ったら、即、いきなり目に入ったのがこの小さな本だった。ほんの4日前の出版日付けである。

 

まだ50ページあたりしかよんでいないが、今これぐらいタイムリーな本は無いから今晩ぐらいでよめるかもしれない。今、日本の現代政治を考えるにはタイムリーだろう。

 

あのトランプ氏は、品の悪いこと、非常識なこと、恥ずかしいことも言いまくるが、政治的にまだどこまでが本心か解らない。単に金好きのおじいさんか、それとも「アメリカファースト」などと、言葉の人気取りか。わからない。

 

何者か知りたい。 

 MEMO: 2017(平成29)年1月10日 第1刷発行  (4日前に出た新書)。

 新年、明けましておめでとうございます。

 

 

「 、、、、、それにしても、毎年いろんなことがあったなア」,  と近年の、公私に渉るおかしな腹立たしい事件なども含めて、フトあれこれと思い出されたから  ,新年にふさわしくないネガティブなことに、よっぽど,なりそうだった。

 

しかし、その 次の瞬間には、自分のなかには、どうも本来楽天的なところが支配しているのか、 いやいや「公」ではともかく、「私」的には、マンが良いほうじゃないか?!などなどと、自然に考えている自分に気づいた。

 

 昨年は、私の体の一部にあの怖い怖い癌が、一つ見つかった。しかし これも 結局、名医に切り取ってもらったから、今や何の心配もなくなった。

 

= 今年また 何か良いことある如し 元日の朝 晴れて風なし =      と、いうことである。

 

 

 つづく

 夢で発想、政策で実行  !!

 

 

 

「かれこれ、40年ばかりの間、地方政治の現場やこれにすぐ近いところで面白く係わらせてもらった。」、、、 と、過去形で言いかけて、あれっと気づいたことがある。

 

実は、物事に関する「政治的な関心」ということなら、今だって、何も変わっていないのである。では何が変わったのか、結局のところ例の「選挙」のあるなしだけだったことに気づいた。

 

ものを想像したり、創造しようとしたり、夢や構想を描いたり発想したりすることは、それ自体自由でおもしろいし、案外そのことが重要だ。ただ、夢は夢で終わる。それではだめだ。

 

ところが未だに地方議会では、議員が自分がわからないからと、議員が市長に尋ねている。 自分で調査研究したテーマについての政策を提言するのが議会人の質問なのに。。

 

に 自分でよくよく調べた結果と、市行政がやっていることと、または、 やっていないこととが、ドウ考えても矛盾している。それではダメだ。それはこうあるべきではないか?と提言したい。

 

これが二元代表と称せられる議員の立場で、議員の発現で質問。単に文句を言うだけなら子供でもいう。せめて提言的質問をしないと、役人は内心馬鹿にし仕事になりません

 

どうか議員諸氏宜しくお願いします。

 

 

とりあえず了

 「健康と健康らしさが違うように ? 」

 

 

 

 

民主主義と民主主義らしさ、の差は何か ?これは、似て非なるものじゃないか?について考える。

 

世の中には、たまに矛盾不合理が起こる。それは民主主義になっていないからなのか、

逆に民主主義だからダメなのか?   これは案外今と昔ではその思考、認識が違う。

 

普通、この答えとしては、まだまだ民主主義が未熟だからだとか、いやまだ民主主義になっていないからだとか、曖昧にこれを誤魔化して言っていないだろうか?

 

そこでもう一つの答えは、「大衆民主主義」、つまり今の民主主義は大衆イコール全員の民主主義だから、早く言えば民主主義を否定する者さえもその構成員であるという矛盾がある。

 

民主主義を観念論で言う人と、これを実際に行う人とでは、これまたその基礎根本ベースが大きく違う、いささか話はややこしくなる。

 

政治や行政の場では、即単価や期間や財源などが準備されてなくても、調べることも無く、平気で、自己主張 をしたり、たんなる構想を政策と称して平気である.       

しかし,こりゃすこし、、、、?

 

 

つづく

 

 

 

 

こんなこともあったなあ、、、、、

   その1、市職員の一部にいた覗き趣味人間の事件。

                〈市のパソコンから,人(=市民)の財産調べをした. 。これに対し、[よこ一列の     

        お詫び方式]でただ詫びるしか、わしゃあ手が無かったぞよう。 ただ、政策なき

        市長、ケチだけつけた市長、大失敗した市長がのうのうとしている。 何かしらお

        かしいね。)

 

 

 

(立場とはこんなものなんだろう…か)

市の職員などには、秘守義務というものがあって、職務上知りえたいろんな「情報」は、覗くことも(覗かれることも)、ご法度になっている。私自身、個人情報保護法なんというものが有ることもまんざら、知らないではないが、全ては常識法の範囲のことだという認識だった。

 

しかし、ある日、市の情報管理上とんでもないハプニングがあった。情報管理担当の幹部職員が市長に報告相談があるとやってきた。いわば、パソコンによる無断且つ違法情報入手事件、いわば情報窃盗である。市長として、.その扱い方は決してやさしくは無かったのである。

 

『職務上関係の無い一般市民の情報を勝手にパソコンをアクセスしているようですが、どうしたもんでしょうか』というのである。よく聴いてみると以前からちょくちょくあるらしい。こりゃ困った、と思った。公務員たる.職員一般がそうだと思われてはまずい。そうも思った。

 

市民の秘密情報を部下が盗んだのだ。市長には職員に対する当然監督責任がある。もみ消すわけにはいかない。調査、確認だ。かなり調べた。例の管理者らテレビの前で平身低頭一斉に頭を下げるあの謝罪の所作を行った。

 

「よもや、 まさか、テレビで見るあのお詫びの光景は,他人ごとくらいに思っていたが、我が身になってしまった。テレビで、あのお詫びシーンをみるたびに、『何だそれで済ましてしまうのか。本質が抜けてるじゃないか』などと感じていた自分を発見し、何かやるせない。

 

職員のストレスがあるのじゃないだろうか・

TVの謝罪風景を見るたび、何回、腹立たしくも苦笑したことか ?!!   

 

 

  了