「 桑山情報サービス」 のこと。

 

 

 

大学ノートの 表紙に「桑山情報サービス」(情報原稿)と銘打った、あの少少厚かましい大学ノート5冊が出てきた。20年ほど前、かなり情熱をこめたものだ。

 

これは、ある電話(当時は25-2020(にっこり、ふれーふれー)へ掛けると、私の声で、5分間、自分の考えや、また県政の話題や身近な課題が流れるという、私のオリジナルなテレフォンサービスであった。大真面目.にやっていた。

 

H5年11月18日(木)から始めた。一見たいした事ではないが、5分間相当の原稿を毎日替えるのは案外容易でないと分かった。で、同文スピーチを、およそ一週間も流したこともあった。継続したいと思うと、準備があるからほぼ毎日のように次のテーマを、調査し、まとめるのだから意外に楽には無いと知った。

 

ちなみに、第一回が54人第2回が46人、第3回が21人、、、、、という滑り出しだった。選挙や地元関心事に触れさえすれば、バンバン数値が上がるが、あの某野党のようなことはしたくない。だから、大事だから聞いてくれるということではない。(ここが少しさびしい。)

 

結局、H14年の7月まで10年間続けた。 そして、次はインターネット ホームページの開設へつなげた。われながら、まあよくやった方だとおもう。故に この原稿ノートは捨てがたい。

 

まあ、自分にとってこの10年は、5分間演説の、起承転結の論理転換の訓練にはなったと思っている。また、地方政策のアイデアと立案には大いに役立ったような気がする。

 

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 トランプ氏における 「よもや まさか、、、」 について。

 

 

 

 

選挙の時はその大小を問わず、出来もしない嘘をいっても許されるというムードがあるが、(私

はそのこと自体にも異議があるが、)今日はそういう単純な嘘の話ではなくて、何かしら猛烈なショックをうけたし、これはとても政治じゃないぞ、とおもった。自由も民主主義も何も無い。

 

世界に200数拾の国がある。、何といってもアメリカは総合点数第1の国と思われてきた。

今日ばかりは、まるで世間知らずの独りよがりの独裁者だった。少なくとも今選挙中ではない。正式なアメリカ大統領の就任演説だった。

 

アメリカを分断させた張本人が、口では結束をよびかけた。なんだかアメリカがかわいそうになった。ともあれ、もはやアメリカは民主主義を牽引する誇り貴き国ではなくなった。経済だけでものを考えるなら弱肉強食,だ。理想も夢も同盟も無いではないか。

 

よもや、まさか、、、育ちの悪い大金持ちはしまつがわるい。こりゃこまった。しかし、、、。

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「トランプ政権と日本」 NHK取材班

 

 

 

お世話になった太極拳の先生が、文部科学大臣の表彰を受けられたので、岡山の夜の祝賀会ではあったがよろこんで駆けつけた。この先生の演武は流れるようななめらかな曲線がえがかれてとてもご高齢を感じさせないし、感じのよいお人柄である。

 

さて,おかやまで少し時間があったから本屋へ立ち寄ったら、即、いきなり目に入ったのがこの小さな本だった。ほんの4日前の出版日付けである。

 

まだ50ページあたりしかよんでいないが、今これぐらいタイムリーな本は無いから今晩ぐらいでよめるかもしれない。今、日本の現代政治を考えるにはタイムリーだろう。

 

あのトランプ氏は、品の悪いこと、非常識なこと、恥ずかしいことも言いまくるが、政治的にまだどこまでが本心か解らない。単に金好きのおじいさんか、それとも「アメリカファースト」などと、言葉の人気取りか。わからない。

 

何者か知りたい。 

 MEMO: 2017(平成29)年1月10日 第1刷発行 (4日前に出た新書)。

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新年、明けましておめでとうございます。

 

 

「 、、、、、それにしても、毎年いろんなことがあったなア」, と近年の、公私に渉るおかしな腹立たしい事件なども含めて、フトあれこれと思い出されたから ,新年にふさわしくないネガティブなことに、よっぽど,なりそうだった。

 

しかし、その 次の瞬間には、自分のなかには、どうも本来楽天的なところが支配しているのか、 いやいや「公」ではともかく、「私」的には、マンが良いほうじゃないか?!などなどと、自然に考えている自分に気づいた。

 

昨年は、私の体の一部にあの怖い怖い癌が、一つ見つかった。しかし これも 結局、名医に切り取ってもらったから、今や何の心配もなくなった。

 

= 今年また 何か良いことある如し 元日の朝 晴れて風なし =      と、いうことである。

 

 

つづく

夢で発想、政策で実行 !!

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夢で発想、政策で実行 !!

 

 

 

「かれこれ、40年ばかりの間、地方政治の現場やこれにすぐ近いところで面白く係わらせてもらった。」、、、 と、過去形で言いかけて、あれっと気づいたことがある。

 

実は、物事に関する「政治的な関心」ということなら、今だって、何も変わっていないのである。では何が変わったのか、結局のところ例の「選挙」のあるなしだけだったことに気づいた。

 

ものを想像したり、創造しようとしたり、夢や構想を描いたり発想したりすることは、それ自体自由でおもしろいし、案外そのことが重要だ。ただ、夢は夢で終わる。それではだめだ。

 

ところが未だに地方議会では、議員が自分がわからないからと、議員が市長に尋ねている。 自分で調査研究したテーマについての政策を提言するのが議会人の質問なのに。。

 

に 自分でよくよく調べた結果と、市行政がやっていることと、または、 やっていないこととが、ドウ考えても矛盾している。それではダメだ。それはこうあるべきではないか?と提言したい。

 

これが二元代表と称せられる議員の立場で、議員の発現で質問。単に文句を言うだけなら子供でもいう。せめて提言的質問をしないと、役人は内心馬鹿にし仕事になりません

 

どうか議員諸氏宜しくお願いします。

 

 

とりあえず了

「健康と健康らしさが違うように ? 」

 

 

 

 

民主主義と民主主義らしさ、の差は何か ?これは、似て非なるものじゃないか?について考える。

 

世の中には、たまに矛盾不合理が起こる。それは民主主義になっていないからなのか、

逆に民主主義だからダメなのか? これは案外今と昔ではその思考、認識が違う。

 

普通、この答えとしては、まだまだ民主主義が未熟だからだとか、いやまだ民主主義になっていないからだとか、曖昧にこれを誤魔化して言っていないだろうか?

 

そこでもう一つの答えは、「大衆民主主義」、つまり今の民主主義は大衆イコール全員の民主主義だから、早く言えば民主主義を否定する者さえもその構成員であるという矛盾がある。

 

民主主義を観念論で言う人と、これを実際に行う人とでは、これまたその基礎根本ベースが大きく違う、いささか話はややこしくなる。

 

政治や行政の場では、即単価や期間や財源などが準備されてなくても、調べることも無く、平気で、自己主張 をしたり、たんなる構想を政策と称して平気である.

しかし,こりゃすこし、、、、?

 

 

つづく

 

 

 

 

こんなこともあったなあ、、、、、

その1、市職員の一部にいた覗き趣味人間の事件。

                〈市のパソコンから,人(=市民)の財産調べをした. 。これに対し、[よこ一列の

お詫び方式]でただ詫びるしか、わしゃあ手が無かったぞよう。 ただ、政策なき

市長、ケチだけつけた市長、大失敗した市長がのうのうとしている。 何かしらお

かしいね。)

 

 

 

(立場とはこんなものなんだろう…か)

市の職員などには、秘守義務というものがあって、職務上知りえたいろんな「情報」は、覗くことも(覗かれることも)、ご法度になっている。私自身、個人情報保護法なんというものが有ることもまんざら、知らないではないが、全ては常識法の範囲のことだという認識だった。

 

しかし、ある日、市の情報管理上とんでもないハプニングがあった。情報管理担当の幹部職員が市長に報告相談があるとやってきた。いわば、パソコンによる無断且つ違法情報入手事件、いわば情報窃盗である。市長として、.その扱い方は決してやさしくは無かったのである。

 

『職務上関係の無い一般市民の情報を勝手にパソコンをアクセスしているようですが、どうしたもんでしょうか』というのである。よく聴いてみると以前からちょくちょくあるらしい。こりゃ困った、と思った。公務員たる.職員一般がそうだと思われてはまずい。そうも思った。

 

市民の秘密情報を部下が盗んだのだ。市長には職員に対する当然監督責任がある。もみ消すわけにはいかない。調査、確認だ。かなり調べた。例の管理者らテレビの前で平身低頭一斉に頭を下げるあの謝罪の所作を行った。

 

「よもや、 まさか、テレビで見るあのお詫びの光景は,他人ごとくらいに思っていたが、我が身になってしまった。テレビで、あのお詫びシーンをみるたびに、『何だそれで済ましてしまうのか。本質が抜けてるじゃないか』などと感じていた自分を発見し、何かやるせない。

 

職員のストレスがあるのじゃないだろうか・

TVの謝罪風景を見るたび、何回、腹立たしくも苦笑したことか ?!!

 

 

 

「民主主義」 を考える.

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「民主主議」を考える。

 

 

 

名言;1、 「地方自治は民主主義の学校である。」

イギリスの ブライス か トクヴィルの名言とされる。

じゃあ、地方は、学校だが民主主義自体ではない、ということですか?

何故名言なのか?民主主義とは何じゃあ?少し考えてみたい。

先ず政治は、人の集まり集団を予想して考えられた政治法則だろうが、当初からいきな

り大きな国家組織に適応されるような大きな国家集団ではなかったようだ。

イタリアの古代遺跡、ポンペイを見たことがある。いわゆる政治広場 があった。

しかし、後の国家は、当初の少集落とは異なり、国家として先ず集団の規模がまっ

たく異なってくる。

当初小さな集落の時代に妥当したルールは、次第に大きな集団としての国家になっ

たとき、ぴったり来るわけがない。

 

そうすると、民主主義そのものは余り大きくない小さい集団には不適合であり、これに

対し、大きい国家には適合する、ザットこうなるのだろうか、?

しかし、民主主義を集団の多い少ないで区別して語る者はいないのはなぜだろう。

大きな勘違い ?

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大きな勘違い ?

 

 

 

 

1.(技術工事の方法に唯一絶対はなく、結局は、選択の問題だろう?)

東京の新市場への移転先(豊洲)が、かなり炎上している。.この問題は、悪や利権の問題だろうか?しかし、私はすこし見方が違う。技術屋さんの考え方の問題だったのではないか。

真剣な末端自治体の行政体験などから、この際 言いたいことがある。

 

先ず、この大「大事業」を、ここまでリードされた関係者、職員、歴代知事らの広義の政治力に頭が下がる。結局のところ、地下に気を使いすぎたからか、いつの間にか、諸説あるうちの「埋め立てか、建物の下だけ空洞か、」今からでは、決定過程不明という点が挙げられた。

 

 

2、(技術論への批判か?現場の合意形成論への批判か?誰の批判か?)

 

誰かの不当な無理強いは出てこないし、ありそうにもない。いろいろと技術屋さんが検討した結果と総合的に判断してこれがよかろうと、そのムード空気がこうなったとしか、考えにくいのである。行政の現場では案外現場民主主義みたいな 合意形成であったのだろう。、、、

 

3、( だとすれば、これを追認すれば済む。「まずい点」があるなら新たな観点から修正すれば済む。 ここまで来て、アレコレ騒ぎ立て、解決法を出さねば建設的意見ではない。)

 

新知事はこの際のこれを指して、一時期「たるんでいる証拠だ」と、もしそういわれたのなら、これは現場無知の大変な独断と偏見とおごりだし、今後の都政のためにもこの考えは大変なマイナスだとおもう。2者択一の正悪で無く、柔軟な発想、見方しかない。

 

4、(都民にとっては、とにかく小池知事が今の責任者である。)

そして、先ず知事が責任者である。、当の内輪の長である新知事が、人ごとの評論で発言しているのはおかしくないか。不満だから都政を引き継がないということにはならないのだから、常に前向きな結論を出さないといけない。

 

今頃になって「建物の下に土が無い」のどうのということ自体、後ろ向きでおかしい。広義の法は常に、趣旨目的はなにか。そこから決まるものだと思う。つまりこの案件には、少なくとも人間の悪意やよこしまさが感じられない。

 

それがダメならどうするか、都政のこの種「重大計画」を狂わせるということがどんなことか、知事の責任とは具体的には何か,ここに重要な問題がみな集積しているようだ。

しかし、、ここまで来ているのだから新知事の一言でうまく解決方向へ向くはずだ。

(正義ぶって、リードする格好をしても、いや今の知事がそうだといっているのではないが、所詮、結局はうまく早くやるべきなのだ。早く出来なければ所詮今の人の責任でしかない。)

 

5、(知事になった以上、自分の責任である。人の批判は責任者の態度ではない。)

わたしは、ある種の人に顕著なように、過去のことは自分がやっていないから、攻め易いことを良いことに一方的,しつこく拘り、全て「私は正しい」と言い張るだけの人がいる。

 

この手、土木建築の工事・仕事について、この過去の評価は、いつも土木技術者と首長OBのせいだとして済まされていないか。

 

わからない大衆は、犯人探しに翻弄されているだけなのに、これを真実解明と勘違いすることがあり、これが案外私の体験では一種の二元代表制の逆利用かもしれないとも思う。

このパターンは、世の中の進歩ではなくて、足踏みか後退だと実感せざるをえない。

 

とりあえず、了

サッパリ、わからない。

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サッパリ、わからない。

 

 

 

 

世の中わからないことだらけである。知ろうとすればするだけ余計わからなくなる。

実は、畏れおおくも天下の公党、野党第1党である日本の政党「民主党」のことだ。(こう呼ばないと、実は多くは、今の名前をほとんど知らない。間違うといけないから、つい先日政権を執った頃の名前で呼ばせて戴く。(たしか今は民進党)といわれるそうですネ。)

 

ところが、この、今のこれは、(この政党のこの所作は、)まるで遊びごとじゃないか、と思えてしまう。。わがままで自己主帳と我欲だけはストレートで、変に目立ちさえすればよいのか、いくら選挙に勝ちたくても、あれだけ考えが違う共産党とだけは組まない、これが最低限の見識なのに、それも解らなくなったようである。

 

一方「日本の国会議員の国籍」の所在は、国防一つ見ても、きわめて重要な意義があるはずだ。民主が仲間内でかばいあえば済むようなささいな内内の問題では断固ない。国籍があいまいなようなことでは目指す政治そのものが話にならないではないか。

 

タレントなら国は問わないし、楽しければよいが、日本国の政治家は、我が日本国の国益を守ることが第一でないとおかしい。国会議員は、国の政治を考えるのではないのか?。

政治年齢はひくい。こんなものが政権でもとろうものなら、前のようなことではとてもすまなかっただろう。(.この前はNとかMとか2,3期待されたのに、今回は心配や恐怖が先にたってしまう。)

 

その昔、案外、今思えば無茶だったが、当時学生のころ、純真でわかりやすい[あの時  の政治のほうがまだしも}、とさえ思える。過っての、あの60年安保の頃のことだ。とにかく政党に主義主張,や独自性があり、国の基本政策自体に明確な政策の対立差があった。

 

この党の今回の役員人事はこれまた、訳がわからない。目指すもの自体が何かさえさっぱりわからない。不明だ。ひょっとしてこれは、元々存在しない、口だけかもしれない。

 

つづく