ロマンと信念の実践者をみた。








ここ津山地方に、ウキタと名のついた処(地名) が点在しているのが気になっていた。

相当昔からの癖で、、男にとってのロマンだの信念だのということが好きだったから、映画でも本でもテレビでも、一見それらしい感じがしたら、見逃三振はせず、大概はそれを見ようとしてきた。


最近、当地方の「幻の佐平焼き」 という本が出版された。 初代浮田佐平氏は、年代があまりに違うから、お会いしたことは勿論無いが、実は大変興味関心をもった人物であった。


というのは、5歳前のときわたしは京城<けいじょう、今のソウル>から、田辺という田舎の実家に引き揚げて帰ったが、そこは、向かいの山向うに文字どうり 向山 ( むかいやま) と称している数十町歩の畑があった。そこは、文字どうりのけっこう広大な広がりがあり これがウキタ農園の跡だったと聞かされてはいたものの何故とか何時とか、何も教えられなかった。とにかく、そこに見るスケールやレベルは、当時の一般農民が到底考え及ばないものであることは明白だった。


この人は奥津でも上斉でも田辺でも、当地方における先駆的な実践家、実業家、地域開発論者で、途轍もないロマンチストで、よほどの信念の男だと思うようになったが、教えてくれる人はいなかったのである。


そういうとき、古本屋の万歩堂で、L新聞記事と写真にみる、世相岡山・戦前版」 をみていて、今から90年ほど前に、わが津山人がロンドンに3万個の佐平焼を輸出したとの、心意気の高い記事を見つけて興奮し、とてもはげまされたことがある。いつぞやブログにもかいたような気がする。


天目とかになると、それががどうとか信長がどうとか、途轍もなく作ることの難しい代物と聞くだけである。とにかくそういうものを当初ズブの素人が、発奮し一から調査研究してあれだけの最高の高みを狙ったというのだ。何とすばらしいことかと敬服する。




  了