今の選挙は、果たして適切だろうか? について考える。







今4月は、地方選挙月である。このタイミングで、選挙は適切か、などと問うことは、果たしていかがなものか?・・・そう考えなくは無いのだが、ここで考えるのを止めるのはつまらないし、もったいない。


逆説的に言えば、このときこそ、真剣に選挙を考える絶好のチャンスといえなくはない。そう思ってしまうのである。


先ず、「良い候補」が立候補しているか?みな一緒と思われていないか。少し変な、不心得者はいないか?何事も、ベストは難しいが、いつもいつも、もうちょっと、もうちょっと、・・・と進化を求めているか。


号泣議員並のおそまつはいないか?キチンとした見識、識見を秘めているか。使命感や先見性や未来を考えているか。・・・そういう議員がほしい。ベストでなくて良い。まず志だ。それがあればいい。



次に、「選ぶ側」=国民、市民、住民に問題は無いか?選ぶほうがお粗末だから、オソマツな者が出るとも言われている。これを抜きに、立候補者だけ槍玉に挙げるのは余り生産的ではない。


ところが、仮にそうであっても、今の民主主義ではココがオソマツという言い方がはばかれる。メデイアは、よく知っているのだが、「大衆の誤り」は指摘されず、正しいと看做されてしまっている。


良い悪いは別に、一番怖いのは大衆なので、大衆は少々間違っていても、多数の声=正しいといわれると、とたんに正義のほうが元気が無くなり、それがまた、拡大再生産されるから、みんな遣っておれば無批判になり正義が偽装されてしまうのではないかと思う。ココはマスコミがいわないところか。


嘘は嘘、100回言っても嘘。  逆に、如何に厳しく響こうとも、本当は本当なのである。政治家はここが一番の要注意である。


選挙とは何か? どうあるべきか?これはなかなか定義付けが困難だが、どっちも、あれもこれも、よいわるいと横並列論をいうだけでは収まらないし、野菜の選択じゃないから、新鮮そうに見えるだけで見かけ倒しで、中が腐っていたりする、こんなのにに引っかからないように。


一番分かりやすいのは、どんな人が着いているか、裏にとんでもない者が付いていないか、しっかりした人はどういう人を支持しているか、変な利権がとりまいていないか。少し診れば分かる。先ずそこから見るしかないだろう。とにかく一般には判断資料は、マイク嬢の声、自己宣伝文書だけというのでは情けない。


政治の大事さが、ますますよく分かるように思えて、放っておけない気になってしまう。

なるほど引退すると、より重要性がよく見えてくる。これが、岡目八目 か。 


今、地方政治30年、市議県議市長をへて、岡大大学院公共政策科学専攻、廃棄物の研究論文を仕上げることが出来た。しかし、まだこれからである。






夏目漱石は矢張り、流石うまいことをいう。


智に働けば角が立つ 情に棹をさせば 流される 意地を通せば窮屈だ・・・