メンタルコラム その1 「不安と安心」
今日から、新しいカテゴリーを追加します。
「U-NOTE」は、病友仲間から絶大な支持をいただきまして、
惜しまれながらも終了致しました。
だからといって、俺の病気が完治したわけではありません。
この病気は、一生付き合う覚悟が必要なのかもしれませんね。
ずっと「闘病記」という形で、支離滅裂なことをつぶやいてきた俺ですが、
ちょっとスタイルを変えたくなって、いったん終わらせたのです。
これからは、「メンタルコラム」で、リニューアルオープンしたいと思います。
精神的な話題は、このコーナーで語っていきますので、よろしくお願いします。
記念すべき第1回のテーマは、「不安と安心」でいきましょう。
「不安」と「安心」は、真逆の意味。
でもこれって、表裏一体だと思うんです。
光と影、上と下、左と右、前と後ろ…
世の中、2つセットな関係って、いっぱいありますよね。
俺は、気が小さい人間なので、常に「不安」に包まれています。
たまに「安心」できることがあっても、それは一瞬で終わってしまい、
次の瞬間には、また「不安」が再開します。
だからいつも「情緒不安定」で、落ち着きがないんです。
「心配」だから、最善の方法を選ぼうとする。
「様子が気になる」から、人に声をかけてしまう。
「後悔」したくないから、スベるのを覚悟で、行動に出てしまう…
そんなわけで、俺の人生は「失敗」の連続です(笑)
生きていると、つらいことがある。
生きていると、悲しいことがある。
生きていると、悔しい思いをすることがある。
そんなことばかりだと、生きるのが嫌になっちゃいますよね。
しかしながら、生きていると、嬉しいこともある。
しかしながら、生きていると、喜ばしいこともある。
しかしながら、生きていると、人から感謝されることもある。
そんなことがあると、生きててよかったって思いますよね。
人生というのは、その繰り返しかもしれません。
「もうダメだ」と思った時に、小さな「いいこと」を見つけたりする。
「もう限界だ」と思った時に、誰かが「優しい言葉」をかけてくれたりする。
「もう死にたい」と思った時に、誰かが「必要だ」と言ってくれたりする…
そんなことが、幾度となくありました。
俺がこうして生きていられるのは、色んな人たちのおかげです。
失意の末に心を閉ざして、死の淵を彷徨っている時でも、
怒りと悲しみにうち震えて、自暴自棄になっている時でも、
どこかで、誰かに助けを求めていたのかもしれない。
どこかで、完全には心を閉じなかったのかもしれない。
俺は、騙されてばっかりの男だし、
いいように利用されて捨てられてばっかりの男だし、
ナメられて見下されることが多い男です。
でも、そういう自分が嫌いじゃないんです。
「勝ち組」か「負け組」かと聞かれれば、俺は確実に「負け組」です。
だけど、「負けるが勝ち」なんて言葉もあるでしょう。
俺は、いっぱい負けたぶんだけ、何かを得ているのかもしれないです。
「やったもん勝ち」という言葉がある。
「楽しんだもん勝ち」という言葉がある。
「言ったもん勝ち」という言葉がある。
その「勝ち」は、「奪い取るもの」であってはいけないと思う。
損得感情だけで動く人は、得をした気分でいても、何かを失っているもの。
「もらう」ことだけを考えて動く人は、何かを奪われているもの。
だから、「奪われてばっかりいる人」は、何かを得ているかもしれない。
「自分は損ばかりしている」と嘆いている人は、案外そうでもないかもしれない。
俺は、こう思うんです。
「不安の苦しさ」がわかる人は、「安心のありがたさ」がわかる。
「長い期間の苦しさ」に耐えた人は、「一瞬の安らぎ」の大切さがわかる。
「一瞬」こそは、「永遠」の原点である。
「不安」と友達になり、「安心」と恋人になる。
それが、俺のスタイルなのかもしれない。
毎日毎日、「不安」の中にいます。
だけどたまに、「安心」があります。
だから、いいのかもしれませんね。
こんな感じで、「メンタルコラム」を始めたいと思います。
病友の皆様の、自由なコメントをお待ちしています。
桑畑は、何も変わっていませんので、どうかこれからもよろしくお願いします。
「U-NOTE」は、病友仲間から絶大な支持をいただきまして、
惜しまれながらも終了致しました。
だからといって、俺の病気が完治したわけではありません。
この病気は、一生付き合う覚悟が必要なのかもしれませんね。
ずっと「闘病記」という形で、支離滅裂なことをつぶやいてきた俺ですが、
ちょっとスタイルを変えたくなって、いったん終わらせたのです。
これからは、「メンタルコラム」で、リニューアルオープンしたいと思います。
精神的な話題は、このコーナーで語っていきますので、よろしくお願いします。
記念すべき第1回のテーマは、「不安と安心」でいきましょう。
「不安」と「安心」は、真逆の意味。
でもこれって、表裏一体だと思うんです。
光と影、上と下、左と右、前と後ろ…
世の中、2つセットな関係って、いっぱいありますよね。
俺は、気が小さい人間なので、常に「不安」に包まれています。
たまに「安心」できることがあっても、それは一瞬で終わってしまい、
次の瞬間には、また「不安」が再開します。
だからいつも「情緒不安定」で、落ち着きがないんです。
「心配」だから、最善の方法を選ぼうとする。
「様子が気になる」から、人に声をかけてしまう。
「後悔」したくないから、スベるのを覚悟で、行動に出てしまう…
そんなわけで、俺の人生は「失敗」の連続です(笑)
生きていると、つらいことがある。
生きていると、悲しいことがある。
生きていると、悔しい思いをすることがある。
そんなことばかりだと、生きるのが嫌になっちゃいますよね。
しかしながら、生きていると、嬉しいこともある。
しかしながら、生きていると、喜ばしいこともある。
しかしながら、生きていると、人から感謝されることもある。
そんなことがあると、生きててよかったって思いますよね。
人生というのは、その繰り返しかもしれません。
「もうダメだ」と思った時に、小さな「いいこと」を見つけたりする。
「もう限界だ」と思った時に、誰かが「優しい言葉」をかけてくれたりする。
「もう死にたい」と思った時に、誰かが「必要だ」と言ってくれたりする…
そんなことが、幾度となくありました。
俺がこうして生きていられるのは、色んな人たちのおかげです。
失意の末に心を閉ざして、死の淵を彷徨っている時でも、
怒りと悲しみにうち震えて、自暴自棄になっている時でも、
どこかで、誰かに助けを求めていたのかもしれない。
どこかで、完全には心を閉じなかったのかもしれない。
俺は、騙されてばっかりの男だし、
いいように利用されて捨てられてばっかりの男だし、
ナメられて見下されることが多い男です。
でも、そういう自分が嫌いじゃないんです。
「勝ち組」か「負け組」かと聞かれれば、俺は確実に「負け組」です。
だけど、「負けるが勝ち」なんて言葉もあるでしょう。
俺は、いっぱい負けたぶんだけ、何かを得ているのかもしれないです。
「やったもん勝ち」という言葉がある。
「楽しんだもん勝ち」という言葉がある。
「言ったもん勝ち」という言葉がある。
その「勝ち」は、「奪い取るもの」であってはいけないと思う。
損得感情だけで動く人は、得をした気分でいても、何かを失っているもの。
「もらう」ことだけを考えて動く人は、何かを奪われているもの。
だから、「奪われてばっかりいる人」は、何かを得ているかもしれない。
「自分は損ばかりしている」と嘆いている人は、案外そうでもないかもしれない。
俺は、こう思うんです。
「不安の苦しさ」がわかる人は、「安心のありがたさ」がわかる。
「長い期間の苦しさ」に耐えた人は、「一瞬の安らぎ」の大切さがわかる。
「一瞬」こそは、「永遠」の原点である。
「不安」と友達になり、「安心」と恋人になる。
それが、俺のスタイルなのかもしれない。
毎日毎日、「不安」の中にいます。
だけどたまに、「安心」があります。
だから、いいのかもしれませんね。
こんな感じで、「メンタルコラム」を始めたいと思います。
病友の皆様の、自由なコメントをお待ちしています。
桑畑は、何も変わっていませんので、どうかこれからもよろしくお願いします。