U-NOTE 256 「視線」 | 映画熱

U-NOTE 256 「視線」

よく、「人の目を見て話せ」と言います。


「目は心の窓」なんてことも、よく言います。


でも、俺は、あんまりそういうの、こだわらないんです。


何故なら、人の目を長時間見ることが苦手だから。



もちろん、就職の面接の時は、相手の目を見て話します。


人の話をじっくり聞く時も、基本ちゃんと見ます。


それは、「話す目的」がはっきりしているから、楽なんです。



ところが、ふいに話しかけられて、相手の目をじっと見るのが、かなり苦痛…


その理由は、「心の波動」を受けやすいからなんです。


わかりやすく言えば、「オーラ」みたいなものかな…



きれいなオーラを放っている人は、眩しい。


ドス黒いオーラを放っている人は、吸い込まれてしまいそうになる。


そのくらい影響を受けやすいし、敏感なんです。



このトラウマは、子供の時から、泥酔した父親の、濁った瞳を見て育ったからかも。


存在を否定されて、命を否定されて、罵倒され続けたことがあったからかも。


あるいは、持って生まれたものかもしれない…



そんな人間だから、社会不適応者なんですが、これが、うまい具合にいく時もあるんです。


人の話を聞いたりする時に、目線を合わせない方がいい人もいる。


目線を合わせなくても、声色や、動作で、大体わかるんです。


鈍感な人は、目をいくら見ても、理解できなかったりしますから。



同じ言葉を言っても、気にしない人と、真に受ける人がいるし、


言わなくても、いち早く察知して、行動できる人もいる。



困るのは、人の気持ちに敏感な人ほど、力の弱い人が多いということ。


だから俺は、「お仲間」を見つけるのがうまいんです。


「同じ匂い」のする人たちって、すぐに友達になれるんです。



だけど、仲間だと思っていた人から、攻撃されることもあります。


それは、宿命だから、しょうがない。


でも、確実に、仲間は増えていくんです。



俺には、リーダーシップというものがない。


でも、どういうわけか、少しずつ人が集まってくる。


みんな、居場所を探しているんですね…



ご承知の通り、俺は、弱い人間です。


だから、弱い者の味方でありたい。


元気が出た途端に、牙を剥いて襲い掛かって来る人とは、友達でいられないんです。



「意見を言う」のと、「攻撃する」のは違う。


「考えを言う」のと、「考えを押し付ける」のは違う。


「諭す」のと、「説教をする」のは違う。


でも、それがわからない人が多いんです…



俺も、全く無力なわけじゃないから、多少は耐えられます。


しかし、ダメな時はダメ。


我慢し過ぎて、病気になったんだから。


症状が重くなりそうな時は、自分の体を優先させていただきます。



俺は、みんなが思うほど、優しくないし、いい人間じゃない。


自分の身を守るために、「反論」や「反撃」をします。


俺がきつい言葉を言う時は、そういう理由があるんだと思って下さい。



視線を合わせられる人は、合わせればいい。


無理な人も、いるんです。


だから俺は、人の目を見て話せない人を責めたりしません。


だって、怖いじゃん。



そんな先入観なんて、とっくに捨ててしまっていますから。