ファンタスティック・フォー 超能力ユニット | 映画熱

ファンタスティック・フォー 超能力ユニット

ヒーローが4人集まると、ええ男、ええ女、ガキと大男という構成は、不滅ですな。


一応SF映画なんですが、カタい説明はあんまりありません。開始して10分くらいでいつのまにか宇宙にいます。そこで “宇宙嵐” なるものに遭遇したら、超能力が身についたという設定。


宇宙線を含むゆったりとした雰囲気は、50年代風。アメリカン・コミック (以下アメコミ) 『MARVEL』 の作品の中でも、相当昔のものらしいので納得。


はなっからショボいだろうと思っていたので、その分安心して見られるというか、妙に心地よかったです。


もともと “宇宙嵐” に遭ったのは5人だったんですが、気難しい1人は敵になりました。この人を 『コンドルのジョー』 と考えると、まさにガッチャマン。なんともなつかしい、安心する構成です。


他にも、『秘密戦隊ゴレンジャー』 に始まる戦隊シリーズや、『クラッシャー・ジョウ』 『ドラえもん』 にいたるまで、実に様々なところでこの設定は生かされています。みなさんも探して見てください。


俺が思うに、この構成はある意味、“個々の役割” というものを表しているように思えるのです。美男担当、美女担当、キザな奴担当、お笑い担当、気はやさしくて力持ち担当のような…。人間もいっぱい集まると、だんだんこういう役割にそれぞれがなっていくもの。面白いですよね。


美男や美女がやたらといっぱいい過ぎると、なんだかバランスが悪いと思うのは、こういうことなのかもしれませんね。最近のドラマや映画は、きれいな人ばっかりでちょっと戸惑うこともしばしば。 (おっと、愚痴になってしまいました。すいません。)


“キャラが立つ” 要素として、役割というものはやっぱり大事だと思います。友達や人間関係にも大切かもね。 『ここは俺にまかせろ!』 ってね。


さて、映画ですが、それぞれの超能力が実に個性的。主人公のリードは、体が伸びるゴム人間。「ワンピース」 のルフィ、「怪物くん」 ってところです。そしてこの男、頭はいいがかなりの優柔不断。まさにフニャフニャ男にふさわしい。


ヒロインは、透明人間。でも消えるのは体だけなので、いちいち服を脱がないといけません。脱ぎ始めたら急に体が戻ってキャーなんて場面も。感情で力が左右されるというのも面白い要素。


それから、全編ショボいギャグ満載です。ギャハハではなく、クスリですのでご了承下さい。


それぞれのキャラが、それぞれの役割をきちんと演じる。あたりまえのことなんですが、それだけで妙に心地がいい。最近はハズレが多かっただけに、少しいやされました。 以上です。