世界の見え方 ~ アジャシャンティ (←リンク)

いつも 素晴らしい 訳を 紹介してくださっている

Asaminさんの 久しぶりの アジャシャンティの記事。

とても 良いと思うので シェアさせていただきます。


非二元の師 セイラー・ボブも 

「確かに在ると言えるのは 今現在の認識 (=気づき)だけだ」

と いいますけど

これは 誰にでも あるもので 直接自分で 確認できるものです。

その

「気付き」にとって
特定の見え方が特に重要だなんてことがあるでしょうか?

そんなことはありません。

訪れては去っていく
単なるひとつの視点に過ぎないのですから。
ただそれだけのことです。


と アジャシャンティは いっています。

   単なるひとつの視点に過ぎない

この一文が もたらしてくれる 緩やかさは とても気持ちいい。



私達の普段は 自分の視点に 囚われている事が多く

ひとつの視点を選んだ時に (というか それが 自動的に起こっている)

それ以外の視点は 自分の世界から 消えてしまいます。

(それ自体は 良いも悪いもないのですけど)

そして その ひとつの視点が (自分の世界の) 真実として 君臨してしまう。

その視点は 自分の記憶となり 

次々と展開していく 新しい 生命(いのち)の 営みに 自分を 開くことなく

過去(記憶)に 頼り その視点を 強化していく事の方が多い。

と 同時に 自分のひとつの視点は ほかの人にとっても 真実だと 勘違いする。


だって 間違いなく 「私」には そう見えているんだから!




この相対的な世界では そうして 様々な経験が生まれ 

様々なストーリーが つむがれていく。

それは 良いも悪いもなく ただ そう在るように 在るのですけど

世界は 人の数だけ 存在していて

自分の視点は あるひとつの 視点にしか過ぎない

ということに 気づく時

一旦 主演女優(男優)の座から 退いて

大きなスクリーン や 果てしない広がりに 戻り

何とも言えない 解放感を 感じられる。



これは 悟った見え方なんていう ひとつの視点に対しても いえることです。(^^)