あせらないでも大丈夫

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以前にも書いたことがあると思うのですが

とにかく 焦る必要はない。


かくいう私も
疑問には早く答えを見つけたい方なんですが
それでも この長い人生の中で
答えがすぐに見つからないことは多々ありました。

疑問をそのままにしておく…
なんて「絶対無理!答えを知りたい!今知りたい!」って思いながら

でも結局答えは分からず そのままになっていたのもの。
あるいは意識的に理性に照らし合わせて(っぽく/苦笑)答えを無理やり出したもの。

年月が過ぎ
自然と腑に落ちる答えが現れる瞬間が出てくることが分かりました。


例えば 師というのは必要なのか?ってこと。

14年くらい前に
ゾクチェンとヴィパサナ瞑想リトリートを選択する機会がありました。

その時には 私にとっては
ナムカイノブルという師(ゾクチェンマスター)を選ぶか
師ではなく内観の道を選ぶか……的な選択でした。

真剣に悩んで
どちらかというと 心の底からの選択じゃなく
師やゾクチェンにどこか憧れを抱きながらも
それをねじ伏せて ちょっとハードコアなヴィパサナ瞑想に参加したんですけど……。

分かったのは
物凄く現実的な(子供の学校問題に対する)回答と
「はぁ~~~ なんて道は遠いんだろう?」っていう霊性の道での自分の実情。



それからも 師という存在への憧れとその必要性に関する疑問みたいなのを
心のどこかに抱きながら ボチボチと進んできて……


答えがポコッと出てきたのが ゾクチェンリトリート


凄く納得して 凄く腑に落ちた瞬間というか。



それなりに長い人生を振り返ると
これ以外にも
解けなかった(だけど重要な)疑問の答えは
時間がたって あるときふと
凄く納得する形 しかも予想しない形で 予想しないときに 完璧に理解できてる。


それを知っていた人が 「疑問は疑問のまま残しておきなさい」って
アドバイスを何かの本に書いててくれてたんですけど

読んだ時には 「そんなことは無理!」って感じたけれど


本当です。


大事なことはちゃんと解る(わかる)ときが来る。

だから 重要な疑問も 「疑問は疑問のまま残して」おいても大丈夫。
答えは出ないまま その時々のやり方で 生きて行っていいのよ。


自分の人生の流れというもの
信頼して良いんですよ。


あせらないでも大丈夫。


 
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最高峰の教えといわれてるゾクチェンですが

私が知りたかったこと(要点)は すごくシンプル


リンポチェ曰く


仏性とは 気づきであり
気づきとは リグパ(源初の境地)である
そして リグパとは 空(くう)である



右手には 荒れ狂う流れがあり
左手には 静けさそのもののがある。
(わたしは)その中間に立っている。
(わたしは)それらを超えたものである。



恐れるべき唯一のものは 野放図な心だ。
しかし 心は
今までもずっと
そして 今も
仏性に他ならない。



心の本質は変わることのない善性である。



あるがままの完璧さに 心安らかに 憩いなさい。






 
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え~ 今年初め ソギャール・リンポチェの瞑想リトリートに
旦那さんと二人で ちょっと参加してきました。

2年前にトークに行ったときの記事)



ヴィパサナのリトリートにも行ったことがあるので
日日の予定はどうなってるの?と 事前に問い合わせてみるも
その日にアップデートされるから…みたいな訳の分からない回答でしたが。


なるほど そういう事か……と分かったのが


リンポチェ ほんとに 自由気まま


リンポチェがどう出るか 誰にも分からない。
(事務局の方も 側で働かれてる方も 本当にご立派)

その日その日で流れのままに 良しと思うところをされていて。






でも 今回の短期リトリートで すごく腑に落ちたこと

従うべき師とか グルとかは いらないなぁ
でも 思い出させてくれる仲間っていうのは 大事だなぁ

ってこと。



誤解しないで欲しいのは
リンポチェの教えは 素晴らしく有益だったし
その教えとやり方に従っている人々は素晴らしい方々でした。

ただ単に 私はそういう形は望まないし
共にいる 旦那さんも 同じように感じてるってことです。

単に日常の中を 生きて行けばいいって感じ。



それとずっと触れたかったゾクチェンにも触れられて また一つ完結した感じがある。

まあ それを深く知りえたってことではないし
修行をやり切ったってことでもないけど
これで十分って満足して 渇望する気持ちがない感じ。



聞くべきことや
聞きたかったことは
ちゃんと聞けて
凄く満足なリトリートでした。


そして リンポチェの古い生徒さん(インストラクターでもある)がおっしゃるように

「人生という本当のリトリート」へ 安心して戻ってきたことでした。


(つづく)





 
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うちのお隣の聖者( ´艸`)

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だれかっつうと 犬です。
ワンコです。

スタフィーという種類で
ぶちゃいくな顔をしてる白い犬です。

けど なんか ものすんごく可愛い。ドキドキ

足短かくて からだ丸くて 目が離れてて 顎が大きくて でかい顔で


例えば こんな感じのワンコ
ばんさんというかたの「スタフィー!」っていう記事に写真が載ってました。




「なでて なでて」お願いってやってきて
クルっとその場にあおむけになったら

ちょうどそこは坂になってて
身体が太くて丸いので
コロコロっと転がったりして

あれ?キョロキョロ ってなってたりするの。


時間がなくて 相手にできないときは
しばらくじっと待ってみるけど
「あ だめなの? んじゃね」って
ヒョイヒョイヒョイって 帰ってく。



うちの旦那さんがいたら
やっぱり「なでて なでて」お願いってやってきて

しっかり十分に 撫でてあげると

ラブ こ~~んな顔で そこらじゅうを
「嬉しい~~~~」って
ものすごい勢いで
ぐるぐるぐるぐる~~~って 走り回る。


そこには 自意識っていうかけらも 自分っていう中心もない
ただ在って 執着もなく
嬉しいことがあると喜びそのものだったり


うちのお隣の聖者
かわいい~~~ドキドキ



 

なんで〇〇するの?

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最近 若いお友達と会う約束をして
彼女を待っているあいだ
トニーさんの本を読んでたりしたんですが

    オープン・シークレット(覚醒ブックス)
  オープンシークレット
(トニーパーソンズ著)

色々と話しているときに
「どうして まだ そういう本を読んでるんですか?」
っていう質問を頂いて
(彼女は可愛らしいことに私が悟っているとか思っているらしい。
悟ってないよって言うと謙遜しているように思うらしい。
本当になんて可愛らしい人なんだろう)




どうしてかっていうと




読みたいからです
(^^)



読んでて楽しいから




まあ 他にも色々と理由はつけられるんですが

例えば
長いことずっと
目に見えない世界も含めて 色(しき=分離・形あるもの)の世界しか見てこなかった
ということがあるので

空(くう)を思い出させてくれるものに触れたくなる

とか……



なので
まあ いわゆる非二元 覚醒 そういう系の本 色々と持ってますよ。


でも

ここ数年で

守り人シリーズとか 図書館戦争シリーズとか
はたまた 万城目学さんの本とか 色々
そういうのも 読んでたよ?

読みたかったから……


で 面白かった。



トニーさん曰く

「時間のなかでの私たちの経験は、
主要部分から細かなニュアンスにいたるまで、
わたしたちが再び目覚める上で
必要となる完璧に適切な現象を、
それぞれに用意する。」


いや~ これね 「目覚める上で」とかだけじゃなくて
本当に完璧に適切に
全ては動いて行っているって感じがするんですよ。

だから 安心してね
〇〇したいから
する
で 良いと思うんですよね。

肩の力 抜いてね