新しいブログ

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贅沢にも 春分の日に

 

新しいブログをオープンすることにしました。

 

どうぞ覗いてやってください。

 

 

Only Love Remains もう一つの空愛ジョイのブログ

 

 

 

 

まあまだご挨拶だけですけど/苦笑

 

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素晴らしい記事のリンクと…

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ちょっと思うところあって

もう一つブログを作ろうかと思ってます。

 

まず

「さすが高木さんだ」と思った素晴らしい記事がありましたので

リンクを張らせていただきます。

 

私が(間接的に)長らくお世話になっている高木悠鼓さんのブログ記事

http://simple-dou.asablo.jp/blog/2016/12/06/8269189

 

それでですね

この高木さんの記事を読まれて

「は?」って思う方

あるいは

面白いんだけど半分くらいは分からないって思う方

(実は私の「それ」関連の記事にもそういわれたことがあります)

または

「興味ないなぁ」って感じる方

 

そういう方たち向けっていうと変ですが

違う方向性の興味の方で記事を書きたいなぁと思って

「作っちゃおうかなぁ?」って思ってます。

 

本当は

良くも悪くも「こんなこと書いてたのか」っていう事もあり

記事も編集っつうか整理した方が良いなと思う事もあるんですけど

煩雑になってしまっていて面倒なので

このブログはそのままで

また非二元系に限って記事を書き

それ以外は別ので書こうと

今日思い立ってしまいました。

 

そのうちにこのブログにリンクを張りますので

その際はどうぞよろしゅう

 

 

 

今日もいつでも惟神(かんながら)

 

 

善き一日をお過ごしくださいませ

 

 

 

 

 

 

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あせらないでも大丈夫 

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以前にも書いたことがあると思うのですが

とにかく 焦る必要はない。


かくいう私も
疑問には早く答えを見つけたい方なんですが
それでも この長い人生の中で
答えがすぐに見つからないことは多々ありました。

疑問をそのままにしておく…
なんて「絶対無理!答えを知りたい!今知りたい!」って思いながら

でも結局答えは分からず そのままになっていたのもの。
あるいは意識的に理性に照らし合わせて(っぽく/苦笑)答えを無理やり出したもの。

年月が過ぎ
自然と腑に落ちる答えが現れる瞬間が出てくることが分かりました。


例えば 師というのは必要なのか?ってこと。

14年くらい前に 
ゾクチェンとヴィパサナ瞑想リトリートを選択する機会がありました。

その時には 私にとっては
ナムカイノブルという師(ゾクチェンマスター)を選ぶか
師ではなく内観の道を選ぶか……的な選択でした。

真剣に悩んで
どちらかというと 心の底からの選択じゃなく
師やゾクチェンにどこか憧れを抱きながらも
それをねじ伏せて ちょっとハードコアなヴィパサナ瞑想に参加したんですけど……。

分かったのは 
物凄く現実的な(子供の学校問題に対する)回答と
「はぁ~~~ なんて道は遠いんだろう?」っていう霊性の道での自分の実情。



それからも 師という存在への憧れとその必要性に関する疑問みたいなのを
心のどこかに抱きながら ボチボチと進んできて……


答えがポコッと出てきたのが ゾクチェンリトリート


凄く納得して 凄く腑に落ちた瞬間というか。



それなりに長い人生を振り返ると
これ以外にも
解けなかった(だけど重要な)疑問の答えは
時間がたって あるときふと
凄く納得する形 しかも予想しない形で 予想しないときに 完璧に理解できてる。


それを知っていた人が 「疑問は疑問のまま残しておきなさい」って
アドバイスを何かの本に書いててくれてたんですけど

読んだ時には 「そんなことは無理!」って感じたけれど


本当です。


大事なことはちゃんと解る(わかる)ときが来る。

だから 重要な疑問も 「疑問は疑問のまま残して」おいても大丈夫。
答えは出ないまま その時々のやり方で 生きて行っていいのよ。


自分の人生の流れというもの
信頼して良いんですよ。


あせらないでも大丈夫。


 
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最高峰の教えといわれてるゾクチェンですが

私が知りたかったこと(要点)は すごくシンプル


リンポチェ曰く


仏性とは 気づきであり
気づきとは リグパ(源初の境地)である
そして リグパとは 空(くう)である



右手には 荒れ狂う流れがあり
左手には 静けさそのもののがある。
(わたしは)その中間に立っている。
(わたしは)それらを超えたものである。



恐れるべき唯一のものは 野放図な心だ。
しかし 心は
今までもずっと 
そして 今も
仏性に他ならない。



心の本質は変わることのない善性である。



あるがままの完璧さに 心安らかに 憩いなさい。






 
え~ 今年初め ソギャール・リンポチェの瞑想リトリートに 
旦那さんと二人で ちょっと参加してきました。

2年前にトークに行ったときの記事) 



ヴィパサナのリトリートにも行ったことがあるので
日日の予定はどうなってるの?と 事前に問い合わせてみるも
その日にアップデートされるから…みたいな訳の分からない回答でしたが。


なるほど そういう事か……と分かったのが


リンポチェ ほんとに 自由気まま


リンポチェがどう出るか 誰にも分からない。
(事務局の方も 側で働かれてる方も 本当にご立派)

その日その日で流れのままに 良しと思うところをされていて。






でも 今回の短期リトリートで すごく腑に落ちたこと

従うべき師とか グルとかは いらないなぁ
でも 思い出させてくれる仲間っていうのは 大事だなぁ

ってこと。



誤解しないで欲しいのは 
リンポチェの教えは 素晴らしく有益だったし
その教えとやり方に従っている人々は素晴らしい方々でした。

ただ単に 私はそういう形は望まないし
共にいる 旦那さんも 同じように感じてるってことです。

単に日常の中を 生きて行けばいいって感じ。



それとずっと触れたかったゾクチェンにも触れられて また一つ完結した感じがある。

まあ それを深く知りえたってことではないし
修行をやり切ったってことでもないけど
これで十分って満足して 渇望する気持ちがない感じ。



聞くべきことや
聞きたかったことは
ちゃんと聞けて
凄く満足なリトリートでした。


そして リンポチェの古い生徒さん(インストラクターでもある)がおっしゃるように

「人生という本当のリトリート」へ 安心して戻ってきたことでした。


(つづく)