グルなんていらないよ

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と 私は思ってます。(^^)

 

それでいながら 今年は チベットの生と死の書の著者(であるらしい) ソギャールリンポチェの

ゾクチェンリトリートにも 数日ですが 参加しました。

 

 

で ここ数日 リンポチェのスキャンダルが取りざたされつつあります。

 

まあその内容は(長いし色々とあるので)割愛して

 

結論から言うと 

 

グルというものは時に非常に厄介で 私には必要ないなというものです。

 

そういう方向性でやってて 良かったなぁ。

 

 

それでも 

参加したリトリートでは 非二元という事に関して 自分が求めていた答えを 与えられる機会もあり

他に素晴らしい点もあり はてな?と思う点もあり

その経験そのものは 非常に有り難かったと思います。

 

(盟友である うちの旦那さんが来てくれていたのも有難いことだったと昨夜気づきました)

 

 

で 霊性の道を歩いたり

何かの探求が始まったりすると

 

師と思う人に出会う事もあるだろうし

師を見つけたいと思う事もあるでしょう。

私自身もそうだったことがあるし。

 

自分の経験も顧みて

高木悠鼓さんのこの記事に 隅々まで深く賛同するので

リンクを貼っておきます。

 

グル(先生)は必要か?

 

 

最近では ほかの宗教でも色々なスキャンダルも取りざたされていて

師であり 導く立場にある人たちも 

欠点も汚点もある ただの人間であることが 暴かれていたりしますが

 

 

そういった中で 

盲目の信仰を強要するものの怖さを 想ったりします。

 

 

 

きちんと見極めることの大事さ 

特定のグルをもたないことの自由

全てが何らかの師となってくれる可能性

それに開かれている柔軟な態度

 

 

そういうものは良いなぁ

 

と 絶対ではない ただの個人的な意見・好みを書いてみました。(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

サムハリスの本の中で

もう一つ興味深い話がありました。

 

彼自身 プンジャジ (パパジ)の元で学んだこともあり

パパジに教えるように言われたそうです。

 

けれど彼は自分自身を顧みて

とても教える(グルになる)準備はできていない

と感じたし

その本を執筆をしていた当時(20年以上たって)も 

やはり自分では無理だと感じていたようです。

 

 

確かに

いわゆる目覚めの経験が起こることはあり

中には これで全て済んだと勘違いすることもある。

 

その例が 彼の本に載ってました。

 

 

パパジの元で 

自分とは(身体でも心でもなく)意識であり 全ては「それ」である

と目覚めた女性は

パパジにも目覚めたと認められました。

 

 

 

その後

ゾクチェンのマスターに会いに行く予定があったサムハリスと一行は

一緒に行きたいという彼女とともに向かいいました。

 

ゾクチェンのマスターには

彼女の目覚めは完全なものではない

(=定着してた目覚めではない)

ということが分かったんでしょうね。

 

 

ず~~~~~っと思考がなく

心はとても静寂だ

という彼女に

 

 

それでは次に思考が湧いてくるまで

私たちは待っているよ。

急がなくていい。

心配しなくても私たちは忍耐強いからね。(^^)

 

とリンポチェ。

 

すると

それほどせずに

彼女は

自分に 実は思考が湧いていたことに気づきました。

 

 

ずっと

平安で静寂で…

という思考の中に埋没していて

自分の覚醒の物語(=思考)の中に取り込まれていたことに

彼女も気づいたのでした。

 

 

サムハリスは

そのゾクチェンマスターの軽妙な介入にとても感心したそうです。

 

 

目覚めは起こっても

再び寝こけてしまっているのに

 というか 寝こけてしまっているゆえに

自分はすっかり目覚めていると勘違いが起こるんですよね。

 

 

PAKUTASOさん

 

 

例えば

小学生が足し算ができるようになると

それはそれで凄い

 

けれど

もっと大きくなって掛け算や割り算ができるようになると

足し算だけが 超最高!ではないのだと解る。

 

 

ほんの少しずつでも先に進めば

ああ あれは最高の地点ではなかったのだと解る。

自分の勘違いに気づける。

 

 

本の中の人は きっといたたまれなかったでしょうけど

素晴らしい気づきを手にすることができたのは

とても幸いだったと思います。

 

 

そういう師に巡り合わなくても

人生はちゃんと「目覚めてないよ~」

って 普通の日々の中で教えてくれるようにできてると感じます。

 

でも 

できれば

良いも悪いもなく 

ありのままの自分

素のままの自分を

何も包み隠さずに観ようという意思が

できてくると良いなと感じます。

 

 

 

 

無駄になる最高の教え

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今年1月のゾクチェンリトリート中

 

うちの旦那さんが 

ポッドキャストを聞きながら

素晴らしいと言っていたのが

 

 


最近 読んでいて
この本の中の 瞑想の章で 

 

ああ なるほど 

と納得したことがありました。

 

 

指さし実験などの

ダグラスハーディング。

 

そこに在るはずの自分の頭がない状態に気づいても

彼の生徒の多くが

「だから?」

という反応だったそう。

 

 

サム曰く

 

多くの人が 思考にとらわれすぎているため

意識には自分というものはない…という点を

ダイレクトに示される準備ができていない。

 

それを垣間見ることができる人たちでも

それがどれほど重要なことで凄いことなのかということを

理解できずに終わってしまう。

 

よって

ゾクチェンなどの伝統では

意識に内在している非二元性を秘密にし

ある一定の準備をした生徒にだけ示す。

 

というのも

所謂 前行というのは

先生の指示に従えるだけの

必要な集中力とマインドフルネスを身に着けるための

実用的なもので

それがなければ

思考の波にうずもれ ちゃんとした理解が起こらないから。

 

もう一つの理由は

ある程度の期間

二元的な方法で

自己を超越しようと試みたことがなければ

自分はいないという事を垣間見た時に

それこそが探求の答えだという事を理解できないからだ。

 

という事でした。

なんか

非常に納得。

 

 

でも 人生の中で 探求が起こるとすれば

その人に丁度いい具合に起こる(本人にはそう思えなくても)

という気が私はしていますが。

 

 

 

それと

神経学者である彼の本

 


これも非常に興味深い物でした。

 

実際 どれ程 自由意志というものがないのかが

とても上手く説明されています。

 

英語が嫌じゃない方は是非。

 

で 今日も朝から 本に泣かされてました。(笑)

 

 

 

 

このところ

主に 非二元系の本を もう一度読み直してたりします。

 

この本に載っている(有難い)実験は

まだすべて終えていなくて

読みかけのまま 放置されていたものです。

たまに 取り出すんだけどね(^^;)

 

 

 

最初 購入した時に

 

この本の帯の所にも書いてある 

 

 次のような人達にも本書は役に立つだろう。

 ・ 気づきと恋に落ちた時の甘美さをもっと追及してみたい。

 ・ 自分という存在の真実、世界の本質を知ることに惹かれている。

 ・ 自分の経験世界を調べることで、その中心に何があるのか探ってみたい。

 

 

一つ目に引っかかって

気づきと甘美な恋に落ちたっけ?

って思ったことがあったんですが。

 

 

今朝気づいたけど

確かに落ちてました。

甘美っていうのとは

違う表現をすると思うけど。

 

確かに 気づきに気づいた数年前 

恋に落ちてました。

 

 

 

そこのところは 

ただ今頃になって 凄く納得しただけで

泣かされたのは 別のところ。

 

 

まだ 最初の説明の方で

どのように探求がハートを開くか…という説明の所で

思わぬツボに入ってしまいまして。

 

 

ダイレクトパスでの探求の目標は

頭とハートをひとつにすること

 

って書かれてますが

 

それが正に自分にとって 必要なことなのだなぁ。

 

 

 

自分の探求の道を振り返ってみると


全ては自分であるゆえに自然に起こる 慈悲(慈愛) と

 

 

全ては空であるという 智慧 とが

 

 

本当に 少しずつ現れて

その時々で 

どちらかが 

ちょっと前に出て

もう一方を引っ張って

 

って起こっているようにも思います。

 

 

 

それぞれの人の探求は

それぞれに丁度あった 速度や方法で

展開して行っているんですね。

 

 

 

渇望感一杯だった時を通り過ぎて

 

でも まだ 終わっていない今

 

とても落ち着いて 

 

そんな風に納得しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

ある友人から「すべては明滅してるんですよね~」と聞いたときも

 

ゾクチェンリトリートで

ソギャールリンポチェが

手を 広げて閉じて 広げて閉じて

ってしながら

明滅しているんだってことを表現した時も

 

ん?

 

って思っていました。

 

その感覚が全くつかめなくて。

 

明滅しているというのは

ついたり 消えたり ってこと

現れ 消える ってこと

って言うのは分かるけど。

 

 

 

この本の中に

その事の説明がありました。

 

 

明滅しているっていうのは

電球の光が点いたり消えたりするように

全てのものは 出現と消滅を

物凄い高速で 繰り返している

ってこと。

 

 

瞑想を続けていく過程で

時間の感覚が大きく変わり

全てのものが 本当に あり得ないほどの物凄い速度で

出現と消滅を繰り返しているのが

解(わか)るのだそうです。

 

 

 

それが 

本当の無常ということで

 

普通 言われているように

形が変わっていくことが無常ではないと。

 

 


そして
固いものは 固いものとして 現れ
固いままで 消えていく。

その性質が変わることはない…と。



 

 

 

 

この二つのことが

 

 

とても印象に残る本でした。

 

 

 

この二つのことを

よくよく感じ 想うだけでも

本当に 自分というものも あらゆるものも

強烈に 土台から覆してしまう。

 

 

 

詳しく 瞑想での段階やら 注意やらを書いて下さってる本ですが

 

個人的には 進まない道かもしれないな

とは思います。

 

単に これは好みの問題だったりするんですけど。

 

でも とても興味深い本でした。

 

 

それで 例え その道を進まなくても

自分にとっては やはり 必要な本であることも確かでした。

 

 

 

なんだかんだと 人生(=起こってくる物事の流れ)はうまくできている。