非二元関係を 知っている お友達との やり取りの中で

「混乱している時(話が通じない時)は 3段階 の 概念を 用いるとイイね」

って ことになるんですね。



私の過去記事では  

人をめぐる冒険 意識の三段階 ~ 高木悠鼓さん (←リンク)

なんかに 書いた事ですが

徒然なるままに (阿部敏郎さん) (←リンク)

でも 凄くシンプルな説明つきで 触れられてます。



これを 理解した時 「ああ~ なるほど。 だからかぁ・・・」と 

妙に納得した事を 覚えています。(正に ウロコポーロ でした)



自分自身も 阿部さんが スピ系と 呼んでいる 部分から

全てはひとつ の部分へと 視点 というか 興味が 移る時に

ひどく 混乱していたように 思います。



もちろん 三段階目(全てはひとつ)からすると 

その理解したものは 何なんだ? 

ってことになるんですけど。

個別の 身体と心を 基盤にしている 世界で 機能し

意思疎通を 試みようとすると

やはり その世界の言葉(概念)を 使うのが 一番 効率が いい。

だから 奇跡のコースは 既にある 概念を 使って

それを 壊そうと していたり

非二元の師にしろ 教えにしろ なんとか 今あるもので 

言葉を超えているものを 指差そうとしてくれる訳ですけど。



逆に それだからこそ 混乱する場合もあるわけで。



そして その三段階 なんてもの自体が 相対的な世界にあるもので。

全体が 何とも 矛盾に満ちているけれど 

それが そのままで 在るんですねぇ。



それに 方便は 方便として 必要なだけ 使えば良い事だし。





言葉で 語れるものは 相対的な世界のことなんですよね。

そして 結局は 言葉 = 概念 でしかない。

だから 最初は 非二元をメインにするブログのつもりで 始めたんですけど

テーマは ほとんど 相対的な世界 ばっかりに なってしまうんですよね (^^;)



まあ でも それでいいじゃないか……

起こる事だけが 起こっている 世界で

時に マジに 非二元だの 覚醒だのの 話をしたり

新鮮で いかようにも 移り変わり続ける 驚くべき 相対的な世界の話をしながら

そのまま 生きていけば良いじゃないか って 感じてます。