クルミドカフェではなくクルミドコーヒー | クルミドコーヒーのブログ

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西国分寺駅前
くるみをテーマにした
こどもたちのためのカフェ

どうもこんにちは。カゲヤマです。

いよいよもう、世は大晦日イブ。
といいますか、晦日、ですね。
いやいや、今年ももうあと1日、といわれた方が
なんとなくドキッとしますかね。

おかげさまでクルミドコーヒーも
2008年の営業を無事終了し
2009年は1月5日(月)10:30から
通常通り、営業を再開させていただきます。

本年も本当にありがとうございました。

「クルミドカフェではなくクルミドコーヒーコーヒー

友人から話しかけられるとき
あるいはメールをもらうとき
よくこう聞かれます。
「クルミドカフェ、調子はどう?」

なのですが、実はお店の名前、クルミドコーヒーです。

お店の名前を考えるとき
もちろん、クルミドカフェというのも候補でした。
でも、いろいろ考えていく中で
やっぱり、カフェではなくて、コーヒーかなと。
つまり、カフェではなくて、喫茶店ではないかと。

いや自分、もちろんカフェ、大好きなんですよ。
というか普段、行くとしたらほとんどカフェなんですけどね。

でも、喫茶店がいいなと。

ここからは勝手な自分のイメージなんですけど
カフェって、とても自由で、企画的なものという印象があります。
そこで提供するコーヒーや、食べ物が大事というより
その場自体、人々が集まること自体に意味がある
というイメージでしょうか。

だから若い人で、「カフェをやりたい」という人の話を聞くとき
そこでは、珈琲をいれたい、ゴハンをつくりたいというより
その場を通じて何かを発信したい
なにかの拠点にしたい、というケースも多いように思います。

もちろん、それはとても意味のあることだと思うし
クルミドコーヒーも少なからずそのことを目指しています。

でもそこで思い出されるのが
今回の準備の途中で井川さんに言われた次の言葉。

「お店が自由だと、お客さんが不自由になる。」

その通りだと思いました。

営業時間や、メニューもそうですし
いつも何かしらの企画やイベントをやっていること自体も
必ずしもいいことばかりではないなと。

毎日の生活は十分変化に富んでいると思うんです。

そんな生活の一部に
変わらず、安心できる時間がある。
それがむしろ、お店の役割だと考えると
それはカフェというより、喫茶店かもしれないなと。

そしてそこに、珈琲へのこだわり、食へのこだわり。

それが実現できると、今度はお店が文化になる。
いろんな人を呼び寄せる力になる。

パリの Les Deux Magots
ピカソやサルトルなど文化人が集まり、
フランスの歴史の一部をつくったお店とまで
言われることがありますが
ここはやっぱり、カフェオレとクロワッサンがおいしい!
(って、自分はそれしか食べたことがないのですが・・・)

そこにある珈琲が
インスタントのものであるのと
こだわり抜いた、最高の仕事のものであるのとでは
自ずと、向き合う人々の姿勢すら変わってくると思うのです。
人々の会話の質すら変わってくると思うのです。

だからクルミドコーヒーでは
 変わらないこと
 一杯の珈琲のクオリティを高めていくこと
 ひと皿のデザートのクオリティを高めていくこと
それこそが本分であると、
自分たちに言い聞かせていこうと思うのです。

そしてそれが実現できたとき
はじめて、人のつながりをつくることもできるし
何かの発信もできるお店になっていくだろうと思うのです。

だから、カフェである前に喫茶店
それも珈琲の専門店であらなければと思います。

足元を振り返ると、まだまだだらけ。
ここからの道のりはまだまだ険しそうですが
その北極星を見失うことなく、進んでいこうと思います。

みなさま、2008年、ありがとうございました。

そして、2009年も、どうかよろしくお願いいたします。

店主 敬白