織幡神社②

テーマ:
織幡神社続き。
 
こちらの神社は、境内に色んな物があって、
なかなか見応えがありました。

風化して、顔がほとんど無い狛犬さん。
 
この狛犬さんの状態からもわかるように、
かなり古い神社のようですね(^^;
 
社殿は、元禄8年(1695年)。
拝殿は、元禄16年(1703年)に作られたようですが、
文字を持たない時代から、古代の人々は、山の神、海の神、岬にも神霊を感じて、
航海安全を「ちはやふる神の岬」として祈った時代もあったと推測されているようです。
 
 
 
 
自然の窓の先には、海。
 
 
 
 
 
境内社。 左(不明) 右(須賀神社)
 
 
 
 
 
これは、いったい何だろう?と撮った写真。
案内板は、何も無かった記憶。
 
と言う事で、調べてみた。
 
神功皇后を助け、三韓出兵を行った武内宿祢が、
征伐後、この鐘崎に上陸し、歴代天皇に仕え、寿命が尽きる時に、
また戻って来て、昇天(鎮座)したそうです。
その時に、両沓を残して、天に昇られたと伝えられ、その沓をお祀りしている塚なのだとか。
沓塚と言うそうです。
 
調べてみて、そうだったんだー(驚)!って感じ。
と言う事は、武内宿祢は、鐘崎で亡くなったという事になるのかしら??
 
 
 
 
これも、なんだろなーと撮った石。 ※暑くて、看板読む気力が無かった。
 
鐘崎には、「沈鐘伝説」とう物があるらしく、、
万葉集に、「金の御崎」と歌われてもいる鐘埼には、その海中にも、
古くから梵鐘(ぼんしょう)が沈んでいるという伝説があったそうです。
 
今から1400年前に、朝鮮半島から貢物として大きな鐘が運ばれてきた時に、
岬の突端で、大波によって沈んだことから、この岬を、鐘の御崎と呼ぶようになり、
海に沈んだ鐘は、龍神に守られて、風が強く波が騒ぐ日は、
澄んだ良い音を響かせたとかユニバ
それで、鐘崎の東の海を、「響灘」と言うようになったそうです(驚)
 
知らんかったえ゛!
 
 
で、
 
この沈んだ鐘を引き上げようと、75代宗像大宮司、黒田長政が過去3回試みましたが、
いずれも失敗。
大正9年に、田川の山本菊次郎さんが、巨額の費用をつぎ込み、
鐘と思ってひきあげた大岩が、写真の岩なのだそうです。
 
結局、沈んだとされる鐘は、あったのか無かったのか・・・・
神のみぞ知る。みたいな。
 
 
 
こちらは、筑前鐘崎海女の像。
 
ここ鐘崎は、西日本の海女の発祥地だそうです。
石碑には、
先祖は、鐘崎海人と呼ばれ、進取の気性に富み、航海術に秀で各方面で大活躍をした。
特に、潜水の技術に優れた鐘崎海女は、西日本の海女発祥の地として有名である。
 
と書かれていました。
 
 
改めて、そうだったんだ!と驚く事が多い神社でした・・・(^^;)と言うか、私が無知なのか?
 
 
 
 
織幡神社の隣にあった、恵比須神社。
恵比須様って、漁業の神様でもあるようですね。
 
 
そんなこんなな、織幡神社、
伝説や、地域の名前の由来がわかって、
なかなか面白かったですniko*
 
 
 
 
 
 
 
AD