今日は、ディアーの命日。 9年が経ちました。
そして、今日が弟が亡くなって100日。
我が家は神式なので、祭となるそうな。
母が、9/30が100日祭なんだよね・・・って、言ってて。
これまた、ディアーと弟は何かの縁なのか?繋がりなのか?
9年前、ディアーが亡くなった日、弟とディアーの最期を見届けました。
翌日から、癌治療の入院となる為、その前に・・・と、我が家に遊びに来ていたんです。
ディアーの最期を、翌日から治療を始める弟に見せて良かったのか・・・と、その時も思いましたが、弟はディアーが守ってくれてるんだ・・・っと、言っていたのを思い出します。
ディアー、お兄ちゃんを(弟を)9年守っててくれて、ありがとう。
もう、逢えたかな?
お兄ちゃんも、こんなに早くディアー達の所に逝く予定じゃ無かったって、きっと話してるよね?
まだまだ、寂しさは抜けないし、信じられないまま。
未だに、ふと、弟に聞かなきゃって思う事があって、『あ・・・もう、いなかったんだ』って、悲しくなる。
弟の事で思った事、もうひとつ。
我が家の今までのにゃんず達は、みんな同じペット霊園で火葬をしていただいてて、最期まで気持ちに寄り添ってして頂いてて、お骨も私達が見せて頂く時には、爪先から、しっぽの先まで、綺麗に並べてくださってて、本当に丁寧にしてくださる所です。
説明もしてくださいますし、灰も残らず骨壺の中に入れてあげてくださいって、小さなちり取りの様な刷毛まで用意して頂き、その子のすべてを持ち帰っています。
そして、今も我が家にみんないます。
納骨しないことに、色々なお考えがあると思います。当時、私は我が家に置いておくことに対して、批判的な言葉を貰った事もありますが、それはその家族の考え方、想いなので、私は他人に言われたくはありません
それは、今回も同じです。
と、少し話はそれましたが、弟の時には、それも心残り沢山でした。
人の火葬場って、こんなに冷たいの?って。
淡々と仕事こなしてますって感じに思えた。
あなた達、ペット霊園さんの方がなんぼも親切だったわよ 研修に行ってくればって、思った程。
弟という、近しい身内だし、病院での出来事にも頭にきてた私だったので、そう思ってしまったのかもしれないけど・・・。
やはり、最期の見送り方って、大事だと思うんです。
それは、亡くなった方に対してもだし、遺族に対しても。
最期まで、弟に対しても申し訳なかったし、私も後悔ばかりでした。
最期、扉が閉まる寸前まで顔を見に行ってた私。
スイッチを押すのを嫌だって、泣いてた弟の奥さん。辛い、辛い、別れでした。
私の地域では、お骨はずべてを持ち帰らないの宗風?らしく、にゃんずみたいには、すべてを持ち帰れなかった。
骨壺に、勿論入りきれないのも仕方ないけど・・・。
でも、もっと骨壺になるべくぎゅうぎゅうに入れてあげれば良かったって、今思う。
実家に主のお骨。
そして、私の所と、弟の奥さん(弟と奥さんが一緒に住んでた所)と3つ分骨する事に。
分骨も色々考え方ありますが、批判は受け付けません(笑)。
実家のお骨は、お墓に納骨され、母はやはり寂しそうです。納骨するまでは、お骨になった弟でも、やはりそこいてくれてる気がしてたんだと思う。
私は毎朝夜、亡くなったにゃんずにお水とフードを入れ替えて、弟にも水を入れ替えて、にゃんずと弟のお骨の頭をとんとんってして、話しかけてます。
『今日も、みんなを守っててね。いってきます。』って。夜は、『今日もありがとう。お休み』と、毎日話しかけます。
弟には、『今日も忙しかった? にゃんずも見守っておかなきゃだし、実家にも様子見に行かなきゃだし、奥さんの所にも勿論行かなきゃだしね・・・』って。
弟の奥さんは、住んでる所に分骨置いてるのに、月命日には必ず、仕事まで休んで、実家のお墓までお参りに行ってくれます。
そして、私の父母の様子を見てきてくれます。
往復3時間ちょっとはかかるのに、ひとりで毎月行ってくれます。
姿は変わってしまったけど、にゃんずも弟も骨壺に入ってしまった形だけど、そこにいてくれるという嬉しさはあります。
ずっと元気でいてくれるのが、一番なんですけどね。
実家のお墓参りに帰ったら、必ず納骨されてる所を開けて、『逢いにきたよ~』って手を振る私達でした。