町田樹選手の2004〜2014 |   ひとしらずして

  ひとしらずして

   プロスケーター町田樹の誕生から引退までを見守ったファンの記録

「今期成績を上げてきた、面白い語録を言う選手」
町田樹くんの最初の認識はそれぐらいでした。

ソチオリンピックが終わり、世界選手権を迎えるまでの間、
世界選手権で町田選手が良い結果を出すのは無理だろうと考えていました。
2013年からの過酷な試合日程で疲労が積み重なっているみたいだし、
オリンピック出場をモチベーションにしていたみたいだから
その夢を果たした今、一度気持ちが切れているんじゃないかと。

失礼にも、そんな思いで迎えた世界選手権。その後の驚きの結果 ビックリマーク
6番目の男と言われていた町田樹くんが、どうやって不屈の精神を発揮するに至ったのか
確かめたくて今までのプログラムのを中心に、足跡をまとめてみました。
※コーチの情報は、調べたのですがあまり正確ではないと思います。すみません。












2013年で急激な成長をしたと思われていますが、
こうみると一年ごとに地道に成長してきたんだなぁ…。

町田くんに渡米を進めたのは秦コーチだったそう。
ランビエール先生に声をかけられたのは2010年のDOIでしたっけ。
あと、振付け師さんの流れが
萩山華乃→阿部奈々美→宮本賢二→ステファン・ランビエール→フィリップ・ミルズですね。

新しい環境で、新しい人たちから新しい技術と知識を学び、
2011年あたりから能動的にプログラムの構築に関わっていく楽しさを感じはじめて
2012年に初台乗りなど成長の証をみせつつ………その後失速。

そして、大西コーチの元で基礎からもう一度習い始める。
大西コーチに「有言実行」まで指導して貰えるとは、
町田君も最初は考えてなかったんじゃないかな?
「有言実行」を求められてから、そこに自分をプロデュースする為の
「語録」というエッセンスを盛り込もうと考えたのかな?
それとも「語録」を考えていたのが先?
ここらへんは、もう少し詳しく経緯を本人達の口から知りたいです。
目標に達していくための「手段」を編み出していく過程って聞いていてとても面白いですもん!

2012年は、同期のスケーター達がその年の国体でスケートに区切りをつけ、
別の世界へと踏み出していった年でもあったようです。
もしかしたら仲間のそんな姿も、今の自分とか未来の自分を見つめ直す
一つのきっかけになったのかもですね。

ミルズ先生には今期SP・FSお願いしてるし、
ランビエール先生ともまた一緒にやりたいと町田くんから言ってたから期待してます キラキラ
個人的には、萩山華乃先生の振付けの作品がとても好きなんですけど、
もう一緒には組まない気がしますね。寂しいですけど…。
素晴らしい作品を、いっぱい作って貰いましたしね。