昨日3月1日は外務省飯倉別館で行われた
「平成22年度アジア大洋州大使会議に伴う 
 前原外務大臣主催レセプション」
なるものに招待され、お伺いしてきました。

永年、日韓に関わっておりますので
このようなお席に招かれることも度々ありますが、
会場はたいてい年配の紳士方が多く
いつも気後れしてしまうのです。

政財界の方やお役人、また各国大使などがお見えで
私のような者にはあまり知り合いを見つけられません。

そんななか、日本でもご活躍ですが、
韓国ではあっというまにコンサートのチケットを完売にするという
作曲家でピアニストでもある倉本裕基さんがおいでになっていて、
お声をかけていただきました。ホッ・・。
また放送作家の市川森一さんにもお目にかかり・・。

そんなお席で思いがけない方にお会いしたのです。
現在は外務省の審議官のさんです。

1990年、盧泰愚大統領が訪日された際、
当時の海部俊樹首相主催で首相官邸に於いて
歓迎の晩餐会が開かれました。
なんとその時私もお招きにあずかったのですが、
間違いなく招待客のなかで最年少でした。

当日京都の太秦で時代劇の撮影が入っていた私は、
撮影を終えると一目散に新幹線に飛び乗り、
美容院へ直行!
髪を結って貰いながら化粧をし、
慌ててワンピースに着替えて、
ハイヤーで駆けつけたという想い出があります。

別にハイヤーでなくてもよかったのでしょうが、
タクシーとかでは失礼なのではないかと思い込んでいて・・。
マネージャー達も大わらわで車の手配をしてくれました。
当時はバブル崩壊前だったので、ハイヤーの空きがなかった時代。
晩餐会は日本側から約60人、韓国側も同じくらいの招待客。
出席者は政財界の重鎮ばかり。女性はたいていその令夫人です。
有り体に言えばほとんどが老年の方々です。
その中でたった一人、私だけが30チョボチョボなわけで・・。

控え室ではみんな私を興味深げにジロジロ見るし・・。

私の方はと言えば
「キャ~!国会中継で見る人ばっかり!!」
と心の中でドキドキ。

そんな席に初めて出席した私はもう緊張でめまいがしていました。
本当に身の置き所がなかったことを記憶しています。
その時の写真がこれですね。
握手しているのが盧泰愚大統領。
この写真は外務省側で撮影したものを
後に記念として送ってきてくれたものです。

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当時「文化人ジャンル」でご招待いただいたのだと思いますが、
他には14代(先代)の薩摩焼き当主 沈壽官さん、
韓国文化研究家であり
韓国の映画・芸能に造詣の深かった故 佐藤邦夫先生、
このお二方に並んで若輩者の私だったわけです。
で、今回のレセプションでお会いしたそのさんこそが
当時私を招待客に加えることを提案した張本人だということが
昨日のお話のなかで分かったのです。

「日韓の新しい時代を築くうえで、
なにか象徴的な新しい人材を加えたかった」
のだそうです。
大変光栄なことでありました。

あれから20年以上もの歳月が流れ、
今も私はやっぱり日韓を繋ぐことに専心しています。

妙なもので、「四半世紀」、つまり25年を越えるまでは
口幅ったくて「日韓に賭けた人生」なんてとても言えないと思っていました。
しかし、ここまでくると「他に何があるの?」と聞かれたら
結局はそれしかないような気がしています。

これからどんなことが出来るかわかりませんが、
やっぱりいろいろな構想は頭の中にあって・・・

そのためにコツコツ頑張ってゆくのだろうなぁ~と思うのですね。