春ですね~~。


東京の空は雲一つない晴天でした。

かえって家のなかにいるほうがうすら寒いくらい。


桜の枝にはたくさんのふくらみはじめた芽がついていて

「早く!早く!」と、まちきれないように春を呼んでいます。


本当はいろいろやらないといけないことがあるのに、

そういう時に限って遊んでしまう。


試験前の学生だった時の気分。

ちょうどこんな感じだったな~~。^^


飾ってあった花がとてもきれい。

通りかかるたびに「きれいだね~~」と声をかけていました。


それが途中からポッキリ。

そろそろさよならの時間なのかもしれません。


でもあまりきれいなので小さなガラスの器にさしかえて

今もパソコンの前で私を楽しませてくれています。


ふと気が向いて写真をとってみました。

そしたらなんか、これもまたすごくきれい。

日の丸みたいです。


でも、じ~~っと見ていると何かに似ている。


なんだろう?


そうだ、シーズーにそっくり。


毛に埋もれた目で、向こうもこちらをじ~~っと見ているような・・。


春ですね~~~。こんなのんきなことを言って・・。^^


このお花はなんという名前なんでしょうかね。

どなたか教えてくださいな。



           赤い花


皆様ご無沙汰しておりました。


春めいてきましたね~。


三寒四温とはよく言ったもので、

あたたかくなったなと思っても、油断をすると寒さが身に染みる日も。

どうぞみなさんお体に気を付けてくださいね。


ところで今回は5月の旅のご紹介です。


大邱周辺の旅なのですが、今回はホントに

イベントが盛りだくさんです。


韓国ドラマでも紹介された風灯飛ばし。

とても幻想的な光景ですが、

霊山である八公山に抱かれた大邱では

お釈迦様に祈りをこめてぼぼんぼりを夜空に飛ばす

「竿燈祭り」が盛大に行われています。

夜空に祈りを込めて飛び交うぼんぼりはそれはそれは美しいことでしょう。


また大邱の近く清道では昔からの農民の娯楽でもあった

闘牛(ソサウム)が行われました。

その勇壮で迫力ある牛のぶつかり合いは

さぞ血が騒ぐことでしょう。


また日韓がぎくしゃくしているこの頃ですが、

こんなときだからこそ、歴史をたどってみたいもの。

秀吉軍の兵士であった「沙也可将軍」はこの戦いに大義がないと

戦争を放棄して朝鮮の地に定着して穏やかに暮らしました。

後に朝鮮王から「金忠善」の名前をいただき、

今もその子孫が誇りをもって暮らしている村があります。

「沙也可の村」といわれる友鹿里には

日韓親善の「友好館」が築かれています。


そして私のイチオシ!

私の旅でしか味わえない「仕掛け」が

チャメ狩り」です!


チャメ 참외は私の子供のころには日本でもみんなが楽しんだ

夏の果物、まくわ瓜のことです。

日本ではプリンスメロンがいつしか席巻し

あの美しい、かぐわしいまくわ瓜は姿をけしました。


けれど韓国では夏の風物詩であり、

大邱の西、星州というところが70%を生産するという

チャメの産地なのです。

今回の旅ではチャメ農家にお願いして

チャメ狩り」をすることに!!


星の州なんて、なんと美しい名前でしょうか?

きっと緑の畑にチャメが星降るように成っていることでしょう。

チャメ狩りをして、農家さんでお昼をいただこうというご趣向です。^^


そのほか、大邱といえば韓方でも有名です。

大きな市場もあり、お買い物も楽しそう!


元気にきれいになれる韓方茶など探せるといいですね~~!


それからいつもハードスケジュールになるので、

今回は反省して3泊を同じホテルで過ごすことにしました。


大邱は見どころ満載で、移動しなくても充分です。

私は何と言っても5月の韓国が一番好きです。


きっと爽やかで楽しい旅になると思います!


http://www.sanshin-travel.com/tour/detail.php?sid=1646


※写真だけでも見てやってください。大邱の魅力が伝わってきますよ!



チャメ

新年おめでとうございます。


皆様大変ご無沙汰いたしておりました。


昨年は本当にいろいろありました。

そもそも激動の人生を送っている私でしたが、

昨年ばかりはいままであまりご縁のなかった

「停滞」という時期をじっと耐えておりました。


いろいろあった昨年でしたが、この初春から

じっと冬眠していた何かが殻を脱いで

「よっこらしょ!!」と始動し始めたように感じています。


本当に長い長い停滞と、ご無沙汰でしたが、

その間見守ってくださった皆様、

激励やあたたかいお言葉をくださった皆様、

そしてそっと、じっと、私が眠りからさめるのを

待っていてくださった皆様、

本当にありがとうございました。


その皆様のお気持ちは不思議と

ひしひしと感じておりました。


そして、お蔭様で私はとっても幸せでした。


       ***


悲しいことに見舞われて

流石に身動きさえできないような一年でしたが、

人間そんな時もあるのだと思います。


この間、ひたすら「楽な気持ちで信じてれば、

空ける夜がある」と心を安らかに持つよう努めておりました。


「こういう時は焦らず、流れに任せよう」と思っていました。


そしてこの初春から、東の空が白んできたのを感じております。


皆様、ありがとうございました。


      ***


今は、なんとなく人生をリセットしたような気がしています。


いままで自ら「ダンプ」のようだと思っていました。

力任せにガンガン走ろうとしていました。


でもその「頑張り」にももしかしたら依存していたのかなとも思います。


私の翻訳した本に、『はんぶん幸せ、それでじゅうぶん。』

というイラストと詩でつづった本があります。

私の大好きなイ・ギュギョン先生の

「やさしい哲学」のような本ですが、

私は半分で満足しようとせずに、

いつのまにか「もっと、もっと」と強欲になっていたのだと気づきました。


この度の「停滞」はそんな私に戒めを与えてくれたように思います。


振り返れば、私の人生は半分の充実はなんとか達成できたように思います。

だったら、これからは少しゆっくりと楽しみながら

やってゆこうという境地に至りました。


とはいえ、長年突っ走りつづけた私の癖はそうは簡単に治りそうもありませんが、

「ゆっくり、ゆっくり」と言い聞かせながらマイペースで行こうと思います。


    ***

怪我はずいぶんと長いことかかりましたが、

とってもよくなっていて、今日は久しぶりに散歩をしました。

5キロぐらい歩いたかな。

95%まで来たって感じで、あとほんのちょっとです。

本人だけが少し違和感を感じている程度までこぎつけました。


近所に住んでいる、お散歩友達が一緒に付き合ってくれて

久しぶりに懐かしい「いつものコース」をゆっくり歩きました。


今日の東京はとても暖かで風もなく穏やかでした。

とてもすがすがしい気分でした。


人間は強いなと思います。

いつか回復できるのだと思いました。


痛んでいるときは、見ず知らずの方がさりげなく親切にしてくれることが

とてもありがたく感じられました。

なんてみんな優しいのかなと思いました。

「人様ってありがたい。やっぱり性善説を信じる!」と思いました。


そして、街でみかける様々に痛んでいる方に

とても気が付くようになりました。


私もさりげなく何かができるような人になりたいと思いました。



このブログを読んでくださっている方の中には

ご不自由やご病気を抱えているかたもあると思います。


でも、どうぞ心を安らかに

まだご自分の手の中にある沢山の宝をみつめていただきたいと思います。


人間はおもいのほか、強い。

そう思います。


     ***


前を向いていこうと思います。いつも。


懐かしい様々な想い出は、そっと包んで心の片隅に置くことに。

人生はどんどん進んでいるのですから。


久しぶりにブログを書こうとおもったら、

どうやるのか忘れていることがあって、戸惑いました。


うまく写真などアップできるかわかりませんが、トライ!


これから少しずつ思い出しながら

また、ブログを再開します。

稚拙だと思いますが、どうぞお付き合いくださいね。


本年もどうぞよろしくお願いいたします。 m(__)m



新春1

新春2








遺影?



先日の日曜日、6月8日に

うちうちの親しかった人たちで偲ぶ会を開いていただきました。
あんまりしんみりしたって仕方ないので、
生前のぺーちゃんのいろんな話が出て愉快なひと時。

一番びっくりしたのは、亡くなる数日前に

ミュージシャンの恵ちゃんの家に「お泊り」をきめこんでいたのですが、

その時の豪快な飲みっぷりの話と、
すやすや寝込んでからの寝顔を恵ちゃんが写真に撮っていたこと。
まるで子供のような寝顔で笑えました。^^

(そして泣けました)

それとは別に、明日「校了」だという孝ちゃんの家にも押しかけてお昼寝。

その時のいびきを孝ちゃんがまた録音しているという・・・。

孝ちゃんは「お弔いなんで・・」とか言っていましたが、

もうぺーちゃんをネタに大笑いの一日でした。

本当にみんなに愛されていたのを実感。
そして私たちの周りにはなんと素敵な友人たちがいてくれたことか、
ぺーちゃんのおかげで改めて気づかせていただきました。

「いつもニコニコ! とにかくニコニコしてればいーんですから」

そう言っていたペーちゃんの言葉通りの会でした。

「楽しいこと、良いことがあって笑顔になるなら

人間は一生のうちにほんの少しの時間しか笑顔でいることはできない。

むしろ笑顔でいる人のところに幸は舞い込むのだ」

とあるお坊さんが言っていました。

ぺーちゃんにそんな仏教知識があったとはおもえませんが、
きっと「知識」ではなくて、
生来授かった「知恵」のある人だったのだと思います。

本当に楽しい一夜でした。

これからは嘆き悲しむのではなく、
みんなと一緒にニコニコしながら、手を取り合って幸せになれるように
みんなで頑張っていきたいと思いました。

ありがとうございました!!  





二次会


一次会

まさか君のために白菊を活けることになるなんて・・。

今日はぺーちゃんの49日。

今日あたりまで君はこの世をうろうろしているらしいね。
...
ご実家からご丁寧な香典返しが届いたけれど
こんなことしなくていいのに、って思う。

いつまでも「まんま」にしておけないので、
書類の整理やらなにやらをしはじめた。

妙なところでつまずく。

路上パーキングの300円の領収書がでてきた。
そういえばいつも、
一番近くて、一番安いところを探してくれたね。

特に私が足を痛めてからは、
スーパーマーケットの駐車場さえ、一番近いところに停めるのを旨としていた。
少しのことにも倹約を怠らず
「僕たちは運命共同体ですから」とニコニコ笑っていた。

なにか晴れやかな場面をつくってあげたかったなと思う。

しかし実力で、周囲の人たちに認められて
もう一歩で「代表取締役」の椅子もまっていたのにね。
その話はぺーちゃんがいなくなったから
立ち消えになったのだよ。
みんなぺーちゃん「ありき」の話だったからね。

私たちが「赤P」と呼んでいた小さな赤いパソコン。
ちょっと不具合があったからパソコンの得意なぺーちゃんが調整してくれて
私の家にもどってきたまま、
そのままになっていた。

一番ぺーちゃんが晴れやかな時っていつだったのかなと思ったとき、
「そういえば、あの写真があったな」と思い出して探した。

でもこの赤Pに入っているかどうかはわからなくて
久しぶりに立ち上げたら、見つけたよ。

これが一番晴れやかな写真というには申し訳ないね。

2011年8月の麗水エキスポのとき、私は広報大使に任命されて
韓国側のご招待で私たちは開幕前の麗水を訪ねたね。

その時、麗水の空港から出てきた私たちを
一瞬とらえた映像だね。

まさか報道の方たちが待ち構えているとは思わなかったから
不意の一瞬だったよね。

ぺーちゃんはいつものように私の荷物を持ってくれて。
君はいつも私の後ろにいたよね。

でも、本当は方向音痴で頼りない私のことをよくわかっていて、
二人になると、私はいつもぺーちゃんの後をついて歩いていた。

誰も知らないけれどね。
私がダメダメなのは君が一番わかっていたね。

誰だったかな、私の友達が
「クロは北さんに看取ってもらえるからいいよね」なんて言ってた。
それなのに、どうしてくれるんだよ!

まさか君のために49日の今日、
白菊を活けることになるなんて、思ってもみなかったじゃないか。
どうしてくれるんだよ!!

       合掌
 

24日土曜日、二回の入れ替えで行われた「オレカテ」は

おかげさまで好評のうちに幕を閉じました。


これからの日韓をつなぐお仕事に従事なさろうという方々に向けて

それぞれの専門分野の講師陣がお話をするという

八田さん発案の「オレ家庭教師」

略して「オレカテ」は八田さんらしい画期的な企画です。


お客様も「百戦錬磨の強者」ってカンジで

私もいつになく戦々恐々。


しかしお話が始まると、

時間がないのに話したいことはたくさんあるので、

もう超特急でしゃべりましたよ。


これからのみなさんのビジネスシーンに向けて

お互いに禍根を残さないように

民族的な背景の違いを


片や仏教文化、片や儒教文化

また島国という閉塞した国土と民族の入り乱れる大陸

という違いをもとに私なりの解釈で紐解いてみました。


ある意味厳しい話にもなり、誤解される部分もあるかなと危惧していましたが

講演を聞いてのアンケートを拝見すると

みんな満足してくださったうえに

「愛情や情熱を感じた」という意見がたくさん見られて

ホッと安心しました。


やっぱり伝わるんだな~~と胸をなでおろした次第。


早速、この内容を受けて交渉事に生かしたというご意見もあり、

本当によかったなと思いましたよ。


この講演は以前に出した私の拙著

『となりの韓国人~傾向と対策』(講談社)を読んだ八田さんが

民族性の違いならこの本を基に、ということで

私に白羽の矢を立ててくださったのが始まりでした。


2003年の本ですが、文庫にもなっております。


お互いの違いを知って、理解を深め

いらぬ摩擦を避けようという趣旨で上梓した本でした。

むしろ今こそ必要な本かもしれませんん。


いつも3歩早いんですよね~。^^  反省。


会場 引き



「オレカテ」の基礎知識は以下をご参照ください。

http://www.kansyoku-life.com/2014/04/4576.html

    ***

「オレカテ」とは私の友人であり、

韓国料理追及に余念のない、コリアンフードコラムニスト、

八田靖史さんが主宰する会であります。

八田さんは韓国料理関係本はもちろんのこと、

韓国語学習本も数多く出版しています。

ちなみに彼の韓国全土に亘る丹念なフィールドワークは素晴らしく、

これからの韓国文化を日本に紹介する人物としては

第一人者になってゆくこと請け合いです。

さてこの「オレカテ」とははなにかと申せば

八田さんの言うオレの韓流家庭教師」を略した言葉です。

韓国関係の仕事をしている人、

韓国関係の仕事をしようと思っている方々を対象とした非営利の勉強会」

という彼の言葉にあるように、

今後日韓が相互に理解と交流を深めてゆくなかで、

日韓間で仕事をしたいと希望する方々を対象に、

我々一歩先んじた者が少しでも皆様の足しになるようにと

「レクチャーできる講座」として八田さんが設けたものです。

地道なフィールドワークと長期的ビジョンを見据えての発信力は

八田さんならではの素晴らしいものがあり、

まさにネットを駆使しての

日韓のあり方に新提案する八田さんらしい「新天地」であると

私も快哉を叫ぶ者であります。

なんか、演説がながくなってしまいましたが、

要はその「オレカテ」第七回目の講師に私を呼んでいただいたわけです。

もっと平たく言えば5月24日(土)に

新大久保の会場で「韓国人~傾向と対策」と題して

お話をさせていただくので、そのお知らせです。

定員20名、一日に二回の講座なので定員は合計40名。

毎回あっと言う間に席が埋まってしまうそうです。

講座の後は皆さんとの交流会もあります。

5月9日22時から以下で申し込みを受け付けるそうです。

http://form1.fc2.com/form/?id=901803

ですので、ご興味のある方はどうぞ早めにお申込みください。

    ***

さて、私は今回日本人と韓国人の文化的な差異について

お話をさせていただこうと思っています。

30年間様々なシーンで韓国との交流に携わってきて、

本当にいろいろなことがありました。

お互いの違いを知ることは、仕事の上でもお付き合いの上でも

非常に大切なことなのです。

かつて私は日韓交流隆盛の時代を迎えるにあたり

『となりの韓国人~傾向と対策』という本を出版しております。

ビジネスの上でも実務、メンタル面での違いを心得ておかないと

スムースに仕事は運びません。

また、頭でわかっていても

実際の現場で咄嗟に実行できるかというと難しいことも多々あります。

そんな私の30年に及ぶ経験のなかから

選りすぐりのエピソードをお話いたし、

皆さんの今後の参考にしていただきたいと思う次第です。

ビジネスに関係する人も、そうでない人も

「韓国人」と日本人はかくも違うかということを

楽しく聞いていただけたらうれしく思います。


八田さんと2s


いつもご好評をいただいている三進トラベルの韓国ツアーご案内です。

6月は13日から17日の日程で

『全羅北道願いを叶える4日間』と銘打って

この期間茂朱で行われる「ほたる祭り」や

韓国の「白雪姫」ともいえる

ロマンチックな古典文学「春香伝」の舞台となった南原や

パワースポット馬耳山塔寺を訪ねる

「風流とロマン」そして「神秘の旅」です。

ことにパンソリで「春香伝」を堪能できるのは

もう「韓国情緒たっぷり」という感じで楽しみですね。


韓国のほぼ「ど真中」である茂朱(ムジュ)

春香伝や焼き物の里としても知られる南原(ナモン)ではありますが、

ちょっとコアな旅なので皆様の反応はいかがかと思っておりましたが、

すでに沢山のご予約を頂いていると聞いてびっくりです。


三進さんの旅に参加されるお客様は

韓国文化の神髄に触れたいという素敵な方々ばかり。

一人参加の方も多く、むしろこのツアーでみなさん仲良しになるので安心!

私もまた、この旅を通して皆様にお会いできるのが本当に楽しみです。


いつもこのツアーではお食事を充実させることにこだわってきました。

今回も韓定食やカルビ、本場群山でのカンジャンケジャンなど

グルメも盛りだくさんなのですが、

今回私が是非皆様に期待していただきたいのは

「ソガリメウンタン」なのです。



ソガリとは和名を「鱖魚(ケツギョ)」と言います。

この魚は淡水魚で清流にしか生息しない超高級魚です。

昔は漢江にも生息していて川沿いをドライブがてら遡り

ソガリの刺身を満喫したあと、メウンタンにしていただきました。

肉食の魚なので淡水魚独特の泥臭さはなく

まるでスズキのような味わいで美味!!です。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%84%E3%82%AE%E3%83%A7


上記がウィキペディアの「ケツギョ」の項目ですのでご参照ください。


この鱖魚は美味しいのもさることながら、

是非「頭で食べていただきたい」おさかななのです。

これからはソガリの薀蓄です。


    *****

まずソガリは日本には生息していない「幻の名魚」と言われています。
SOGARI 写真




この魚は中国の「養魚経」という書物にも登場し

神仙の劉憑という高貴な方が常食していたという高級魚で

昔から中国人が最も美味なる淡水魚としていたというのです。

それだけに中国の文人たちが詩歌に詠み、

絵画に描き、陶磁器の文様にもしたのですね。


ところがこの鱖魚、日本には生息しなかったために、

徳川時代に漢学者たちが憧れに憧れて

なんとこの魚を剥製にして鑑賞するほどだったというのです。


そんな素晴らしいお魚が韓国にも生息し、

そして今回のツアーではそれを食してしまうというのですから!


これは本当になかなかできない体験だと思います。

だいたい韓国でも河川の汚染が進んでいて

いまでは到底漢江などでは見られなくなりました。

今回は茂朱の自然美あふれるところへ行くからこそ

味わえる逸品なのです。

どうぞご期待くださいね。


以下の写真が代表的な陶磁器に描かれたソガリ(鱖魚)の文様です。

韓国好きの皆さんなら、

「ああ!見たことある」と思われるのではないかしら?




ソガリ図案



皆様


あたたかいお悔みのお言葉を本当にありがとうございました。

ご縁のあった方々にできる限りご連絡をと思いながら

突然のことでままなりませんでした。


ですが、このときほど

ブログやFBの力を感じたことはありませんでした。

各方面の方々から

私へもたくさんのお言葉を頂戴し

本当に慰められました。

ありがとうございます。


北君がマネジャーを生業としてからは

わずか5年の歳月でしたが、

私の目にはようやく彼は天職を見出すことができたのだなと思えました。


独特の感覚で采配をふるっており、

現場ではいつも意気揚々としていました。


これからというときに本人も残念であったろうとは思います。

ですが、お互いに尊重しあい、最善をつくしてきた私としては

悔いることはありません。


最後に自分の心から活躍できる場を見出してくれたことは

せめてもの救いです。


私もいつまでもくよくよしてはいられません。

彼が敷いてくれたレールをより力強いものにすべく

私もこれから頑張ってまいります。


これからもどうぞよろしくお見守りください。

本当にありがとうございました。



蓮の花



久しぶりにアップをしたと思ったら

悲しいお知らせですみません。


年頭にご挨拶のメッセージを掲載してから、

いろいろのことがあって

記事を書けずにいました。


「ま、いいですよ。それはそれで。

いつだっていいんですから」と言っていた北くんでした。


いつも私の気持ちを第一に考えてくれる人でした。


それが本当に急な病であっという間に天に召されてしまいました。


私のマネージャーとして本格的にタッグを組んでからは5年でしたが、

それまでも長い間私をなにかと現場でフォローしてくれる役割を

してくれていました。


私のことは、私以上にわかっている人でした。


なにもかも彼に任せることができたので、

私はどんどん依頼心の塊になってしまうほどでした。

そんな私をまるで子供の面倒でもみるようにしていました。


マネージャーとしては何の修行もしたことがなかったので

見よう見まね、先輩方にたくさん助けていただきました。

そのわりに「自分なりの観点」をもって

私を実験台にしていろいろ試みてもいました。


私もそれでいいと思っていました。

「好きなようにやりたまえ」と鷹揚に構えていました。


私の目からはマネージャーという仕事は

彼の天職のように思えましたし、

彼もやっと自分の進むべき道をみつけて溌剌としていました。


自分なりのやり方で好きなように成長してほしいと思っていましたし、、

きっと私が想像する以上に大きく羽ばたいてくれるような気がしていました。

当分はその踏み石になってやろうと

内心覚悟をしてもいました。

それなのに・・、残念です。


私たちは性格が正反対でした。

お互いに足りないところを持ち合っていたせいでしょうか、

歳はずいぶんちがうのに、私は彼から学ぶこともたくさんありました。

(もちろん彼が私から学ぶことのほうが多かった筈ですが!^^)


ふつうは親しくなると、ぞんざいになるものですが、

私たちはどんどん互いを尊重しあい、

いつも「ありがとう」「気を付けて」「よろしくね」「頼みます」など

麗しい言葉が飛び交っていました。


4月の6日日曜日、

元気に成田空港に迎えに来てくれました。

家までの途中、マーケットで買い物をしてから帰りました。


地方や海外へでかけ、帰ってきたとき、

出迎えてくれている彼の笑顔をみると

いつもホッとしたものです。



「ありがとう、気を付けてね」

「黒田さんもね、ゆっくり休んで、足早くなおしてくださいよ」と。

その時なにかふと妙なニュアンスの間があったのですが、

それが最期になりました。


家のなかはどこかしこにも彼の痕跡でいっぱいです。


PCは得意でした。

家電も好きだったので、買い物や配線もお手のもの。

棚をつけたり、組み立て家具はみんな彼が仕上げてくれたものです。

倹約家でポイントカードの上手な使い方も教えてくれました。


おもえば私に尽くし、私の身の回りを整えて逝ってしまったような人です。


そんな彼の人柄や仕事ぶりを目に留め

彼には新しく素敵なポストがまっているはずでした。

私はこの時をまっていたのです。

本人も希望に燃えていました。


お悔みのメールのなかには、これから開ける人生を

意気揚々と語っていた彼の様子が伝わってきました。


しかし世の中はうごいていて私も

継続しているお仕事をしっかりやってゆかねばなりません。

それこそが彼の願いだと思うのです。


これからは折に触れて

「こういうとき、ぺーちゃんだったらどうしただろうか・・」と

迷ったときなど考えながら暮らしてゆくのだろうなと思います。

彼の「やり方」は知らないうちに私の中にも染みついています。


しかし

「ぺーちゃんがいなくなったら、どうするのか?」という問いへの回答は

私に残してくれませんでしたね。


しばらくは彼の残していったものと心の整理をつけながら

しずかに考えたいと思います。


そして彼が私に願っていた

「いつも元気でニコニコ」をモットーに

早く立ち上がりたいと思っています。


みなさん、生前のご厚情に心から感謝いたします。

いつもニコニコひとなつこい笑顔とともに

彼からの最期の伝言を伝えます。

「みなさん、ありがとうございました。

どうかお元気で!」


    合掌