「地上の星」


風の中のすばる

砂の中の銀河

みんな何処へ行った 見送られることもなく

草原のペガサス

街角のヴィ-ナス

みんな何処へ行った 見守られることもなく

地上にある星はを誰も覚えていない

人は空ばかり見てる

つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を

つばめよ地上の星は地上の星は今 何処にあるのだろう


崖の上のジュピター

水底のシリウス

みんな何処へ行った 見守られることもなく

名だ立るものを追って 輝くものを追って

人は氷ばかり掴む

つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を

つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう


名立たるものを追って 輝くものを追って

人は氷ばかり掴む

風の中のすばる

砂の中の銀河

みんな何処へ行った 見送られることもなく

つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を

つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう


 名もなきヒーローたちを描いたNHKの人気ドキュメンタリー「プロジェクトX~挑戦者たち~」。その主題歌となり、番組とともに強い脚光を浴びた「地上の星」は、音楽界のさまざまな記録を塗り替え、一大センセーションとなった。 

 日本の未来に大きな貢献をしながらも、決してスポットライトを浴びることがなかった無名の英雄たち。中島みゆきはそんな彼らを称え、「地上の星」と呼んでいるのかもしれない。さまざまなプロジェクトに果敢に挑むチャレンジャーの熱い血潮に勇気づけられ、日本もまだ捨てたものじゃないと感じた人は少なくないと思う。

 しかし、この曲の抽象性、多元性は、そのような限定された範疇を越え、僕たちのイマジネーションと交錯しながら、さまざまなヴィジョンを織りなしている。

 天空を定められた軌道で駆ける、惑星たちの壮大な営み・・・。悠久のときを経て、我々人間は、束の間の時間を、「地球」と呼ばれる惑星で生きる。崇高で気高い宇宙の鼓動に,耳を済ませてみよう。それが、きっと「地上の星」の荘厳で壮麗な詩情を感じ取る一助になるだろう。本題に入る前に、僕たちの祖先が、この曲に登場する星星に寄せた太古の記憶をたどってみよう。まずはこの詞から・・・。

   砂の中の銀河

 銀河系は、太陽を含む約二千億個の恒星とガスや塵などの星間物質からなる直径約十五光年の天体である。一光年は九兆四千六百億キロメートル・・・。紛れ散らばる星星は、まるで荒野の砂塵、砂の中の銀河だ。そのスケールを意識化することは到底不可能に思える。

 この銀河の中で、僕たちの暮らしている星は、約四十六億年前に誕生した。地球は今尚、定まった軌跡を、文字通り天文学的な正確さで運行している。僕たちを乗せて・・・。なんという神秘か。

   風の中のすばる 

 「すばる」というのは和名で、一般的には「プレアデス星団」と呼ばれる。それは冬の西の空に見える、おうし座の肩あたりに青白く輝く星星である。肉眼では六つくらいの星の集まりにしか見えないが、風に舞う蛍の群れのように、すばるは光を放つ。風の中のすばる・・・。地球との距離は約四百十光年・・・。

 そして僕たちの住む太陽系はプレアデス星団に付随する星の集まりであり、プレアデスの中心星であるアルシオネの周りを、我々が太陽と呼ぶ惑星は二万六千年の周期で公転している。アルシオネは太陽の太陽に相当する惑星である。

 いくつかの先住民族は天文学的な知識なしに、なぜかこの事実を知っていて、すばるが自分たちの故郷であると考えていた。ほかにも、この星については興味深い伝説や神話が、数多く語り継がれている。

   水底のシリウス

 「シリウス」にも、すばると同じような伝承がたくさん残されている。おおいぬ座の口元に位置する恒星、シリウス・・・。地球からの距離は八・七光年・・・。

 古代エジプト人たちは、この星に深い憧憬を抱いていた。彼らの神話に登場する女性神イシスは、この星のシンボルになっており、また、男性神オシリスの語源は、オ・シリウス(シリウスのためにという意味)からきている。古代日本の民も、その青白く輝く星を「あおぼし」と呼び、強い親しみと郷愁感を抱いていた。

 海底深くに没したといわれる幻の大陸、レムリアとアトランティスにも、強いシリウス信仰があった、古代神話は

伝えている。海底で、いまなお眠っているかもしれない二つの大陸。そして、水底のシリウス・・・。これはただの偶然だろうか。

   街角のヴィーナス

 「ヴィーナス(金星)は、太陽と月に続いて明るく光る星で、最高光度は一等星の数十倍にもなる。金星の輝きは、太古の昔から人々を魅了しつづけ、美や豊穣、快楽のシンボルとされた。太陽系の第二番目に位置する惑星である。

 金星は多くの神話で、その美しい輝きから、その美しい輝きから、美を象徴し、恋愛や快楽を司る女神といわれている。バビロニア神話では女神イアンナ、エジプト神話では愛の女神ハトホル、ギリシャ神話ではキューピッドを引き連れた美と愛の女神アフロディーテ、ローマ神話では、よく知られているヴィーナスとなる。

 美と愛の女神ヴィーナス・・・。街角のヴィーナス・・・。みんな何処へ行った・・・。この詞は、街角から美と愛が消え去った現代社会を、どことなく風刺しているような気がする。

   崖の上のジュピター

 「ジュピター(木星)」は、明るく安定した輝きを持つ、九惑星最大の吉星で、社会情勢と社会的幸運のシンボルとされていた。太陽系の第五番目に位置する惑星である。

 木星は多くの神話で、、全天を支配する神といわれている。バビロニア神話では、神々の統率者マルドック神の化身とされる。エジプト神話ではアモン神、ギリシャ神話では全天の支配者ゼウス、そしてローマ神話においてはジュピターと呼ばれる。

 ジュピターは社会情勢の全てを支配する星。けわしい崖の高みから、社会のすべてを掌握している。まさに、崖の上のジュピターである。 

   草原のペガサス

 「ペガサス」は、英語読み。語源は、ギリシャ神話に登場する翼を持つ天馬「ペガソス」である。ペガソスは、神々や英雄の乗馬として活躍した。ベルセウスがメドゥーサの首を切ったときに、血の中から生まれ、ゼウスのために雷の運搬を手伝ったり、ひずめで大地を蹴って、多くの泉を噴出させたりした。

 英雄ベレロフォンは、この誇り高いペガソスを見事に乗りこなし、怪物キマイラを退治する。その後、ベレフォンはペガソスに乗って天を目指すが、驕り高ぶった彼は、ゼウスの怒りを買って、地に落とされる。しかしペガソスは、そのまま昇天し、星座となった。

 古代ローマにおいて、ペガソスは不死の象徴であり、知性と教養とインスピレーションをも意味している。ペガソスが天に昇り星座になる以前、まだ彼が草原のペガサス(地上の星)であったころ・・・。それはどんな時代であったろうか。


 我々人間は、決して宇宙と切り離された存在ではないのだ、とこれらの神話は語りかけているようだ。大宇宙(マクロコスモス)と、我々の魂(ミクロコスモス)は一体であると、いにしえの賢人も伝えている。

 惑星の周期が我々に影響を与え、我々の魂(心)もまた、集合的な想念によって、惑星に影響を与える・・・。そう考えると、惑星(地球)の破壊は己の破壊でもあるのではないか。僕たちは地球の体の一部であり、我々の魂そのものが小宇宙なのだから。しかし、そのことを認識している(覚えている)日本人は、あまりいない。


   地上にある星を誰も覚えていない

   人は空ばかり見てる


 そう、地上の星を誰も覚えていないのだ。我々の魂を、その尊厳を、誰も覚えていないのだ。人間はいつも、経済的、社会的、心理的に混乱すると、地位や権力や富の追求といったシェルターに安全を求め、すぐ逃げ込んでしまう。

 しかし、それは問題を解決しない。地位や権力や富の蓄積は、つねにそれを失う恐怖と表裏一体だから。それによって僕たちはますます貪欲になり、既得権にしがみつこうとするだろう。名立たるものを追い、輝くものを追い、僕たちが掴んだものは、氷のように冷たい何かだったのかもしれない。


   名立たるものを追って 輝くものを追って

   人は氷ばかり掴む


  相次ぐ環境破壊・・・、汚職事件・・・。戦争・・・。今、地球は瀕死の状態にある。政治的にも、科学的にも、医学的にも、このままいけば、あと数十年でこの星は崩壊する可能性がある、と専門家たちも言っている。しかし僕たちは、この冷酷な現実に感覚を麻痺させられ、起こっていることにあまりに無関心だ。


   つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を

   つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう


 僕たちは、地上の星を、今一度再発見しなければならない時代にきている気がする。

 「個の栄光」ではなく、「全体との調和」の中で見出される真の幸福・・・、これこそ高い空からつばめが教えてくれた「地上の星」だ、と僕は強く確信してるのだ。