「銀の龍の背に乗って」


あの蒼ざめた空の彼方で 今まさに誰かが傷んでいる

まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている

急げ悲しみ 翼に変われ

急げ傷跡 羅針盤になれ

まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている


雪が迎えに来てくれるまで 震えて待ってるだけっだった昨日

明日 僕は龍の足元へ崖を登り 呼ぶよ「さあ、行こうぜ」 

銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ

銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を


失うものさえ失ってなお 人はまだ誰かの指にすがる

柔らかな皮膚しかない理由は 人が人の傷みを聴くためだ

急げ悲しみ 翼に変われ

急げ傷跡 羅針盤になれ

まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている


わたボコリみたいな翼でも 木の芽みたいな頼りない爪でも

明日 龍の足元へ崖を登り 呼ぶよ「さあ、行こうぜ」

銀の龍の背に乗って 進んで行こう 雨音の渦を

 

銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨空の渦を

銀の龍の背に乗って

銀の龍の背に乗って      


 映画「千と千尋の神隠し」に登場する銭婆は、千尋にこんなことを言っている。

 「一度逢ったことは忘れないものさ。思い出せないだけで・・・」

 神隠しに遭い、精霊界に迷い込んでしまった、まだ十歳の少女千尋が、謎の美少年ハクと力を合わせて、失われた記憶を取り戻していく物語は、多くの日本人に感銘を与えた。

 千尋は、どこにでもいる普通の中学生。しかし、逆境の中で眠っていた生命力をどんどん呼び覚まし、八百万の神

様が疲れを癒しに来る温泉町で、辛い仕事も立派にこなしていく。そして魔女に利用され傷ついた龍と出会い、必至に看病する。千尋は、この龍がハクの本当の姿だと直感で悟る。

 ハクは日本神界に住む川の神様、ニギハヤミコハクヌシだった。千尋のボーイフレンドは、龍神界の白龍だったのだ。千尋が大海原を越え、白龍の背に乗って、動物にされた両親を助けに行くラストは感動的だった。

 人間の目には見えないけど、確かに存在している八百万の神様の世界・・・。僕は中島みゆきの「銀の龍の背に乗って」を聴き、そのような光景が目に浮かんだ。白龍、黒龍、青龍など、龍にもいろいろあるが、銀龍は龍神界の中でも特に特に格式の高い龍、といわれている。

 この曲は、千尋のように魂の奥深くで天翔ける龍の世界を覚えていた龍女(人間に生まれた女性の龍)が、故郷の仲間を思い出した歌といえるかもしれない。


     あの蒼ざめた海の彼方で 今まさに誰かが傷んでいる

     まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている


 この歌詞からは、人間の悲惨な現実を龍宮から身を切られる思いで見守る龍神の姿が連想できる。竜神には美しい女性が多く、海の底にあるといわれる龍宮は、まさに龍神界のユートピア。しかし、その蒼ざめた海の彼方には、多くのソウルメイトが嘆き悲しんでいる。

 浦島伝説に登場する龍宮上の美女、乙姫様は、きっとそんな龍神の一人だろう。この話は、古事記に出てくる豊玉姫がモデルになっている。ワニ(実際は龍)の姿になっているところを夫に見られ、恥じ入り、海へ去ったとされる彼女は、地上(人間界)を救うため、海(水)を自在に操るといわれる潮満玉と潮干玉(玉手箱)を、山幸彦(浦島太郎)に授けたと伝えられている。

 よく絵画の中で見かける、龍が手に握っている宝玉は、この二つの玉を表現しているといわれる。


     失うものを失ってなお 人はまだ誰かの指にすがる

     柔らかな皮膚しかない理由は 人の傷みを聴くためだ

     急げ悲しみ 翼に変われ

     急げ傷跡 羅針盤になれ


 執着心や嫉妬心は強くても、情緒豊かで心優しいのが、龍女の特徴である。龍のヒゲは、人の傷みを聴くセンサーのようなもので、感受性の強さを象徴している。彼女は怒ると手がつけられない、ともいわれており、龍の逆鱗に触れるという言葉は、その性質を良くあらわしている。龍女は繊細で感じやすく、その分、傷つきやすいといわれる。しかし、気位が高く、血気盛んな人も珍しくない。

 そのため、龍神はとても使命感が強い。これが龍神に、結婚を嫌い、独身を貫く者が多い理由である。その恵まれたカリスマ性と美しい容姿から、社会的事業に強い適正があり、大きな使命をもって生まれてくる者も、たくさんいる。


     夢が迎えに来てくれるまで 震えて待っているだけだった昨日

     明日 僕は足元へ崖を登り 呼ぶよ「さあ、行こうぜ」

     銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ

     銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を


 龍は、風を起こして雲を呼び、雨を降らせる豊穣のシンボルである。海神や水神を信仰する神社の多くが、龍神を祀っているのはそのためである。日本人は古くから、龍が螺旋を描いて舞うことで、さまざまな自然現象が起きると考えていた。

 雨雲、満潮、竜巻など、風雨に関する現象の多くは、龍神が司っている。渓谷、河川、神社の注連縄から人間のDNAに至るまで、自然界の多くが、龍を模して創られている。

 白龍のハクは、神隠しに遭ったショックで立てなくなった千尋に、このようなまじないを唱えていた。

 「そなたのうちなる風と水の名において、解放て!」

 とても龍神らしい、素晴らしい祓詞である。この映画の主題歌「いつも何度でも」にも、こんな歌詞があった。

 「はじまりの朝 静かな窓 ゼロになるからだ 充たされてゆけ

  海の彼方には もう探さない 輝くものは いつもここに

  私のなかに 見つけられたから」

 私の中に、見つけられたから・・・。そう、中島みゆきの言う「翼」や「羅針盤」は、きっと僕たちの中にあるのだ。


     急げ悲しみ 翼に変われ

     急げ傷跡 羅針盤になれ


 問題の解決を、社会や他人ではなく自分自身の中に求めるとき、悲しみは翼へ、傷跡は羅針盤へと、変わっていくのではないだろうか。これこそ、銀龍が運んでくれた、心の砂漠を潤す雨雲の渦(メッセージ)なのだ、と僕は思った。