建設現場の前に立つ中島みゆきがいる。雑誌に掲載されたその写真の場所は、建設途中のBunkamuraである。3年という時間と200億円の費用を投じて、1989年9月3日、音楽、演劇、映像、美術という異種文化を網羅したBunkamuraが東京・渋谷に誕生した。

 複合文化施設らしく、ロゴマークには赤、緑、青、黄の4つの色が使用されている。赤はオーチャードホールの座席の色、青はル・シネマの座席の色、黄はザ・ミュージアムの壁の色である。

 中島みゆきは、シアターコクーンををつくる段階から、企画・制作にアイディアを出していた。総座席数747席、舞台から1階最後列席までの距離、24メートル、舞台から奈落の底までの距離、2メートル20センチ。

 舞台には、PCC(集音マイク)が設置された床から数ミリ浮いているマイクで、間接音を拾うことで臨場感を出すのが目的である。数ミリ浮いているのは、演者の足音がが入らないようにしているからだ。

 PAブースは、観客と同じ音を聴いて音響調節できるように、ガラス張りの個室ではなく、オープン状態でつくられている。ライティングシステムは、デジタル調光器で240基のライトをコンピューター制御できる。

 このホールで中島みゆきは「夜会」という「言葉の実験劇場」を続けている。回を重ねるごとに、言葉の密度を増し、ストーリーや舞台構成も凝ったものとなった。年末の渋谷は、街全体が中島みゆきの魔法にかかったように、特殊な空気と光に包まれている気がする。

 「夜会」を知らない人に「夜会」が何であるかを説明するのは、非常にむずかしい。たとえば

何々のようなと表現できないからだ。今まで誰もできなかった表現世界を描き出している。幸運にも、僕たちは、運がよければ、未知なるその一瞬一瞬に立ち会うことができるのだ。奇跡の瞬間である。

 そして10年目の奇跡がやってきた。そして僕はこの奇跡の瞬間に、幸運にも立ち会うことができた。1998年11月23日から12月25日まで、25公演が組まれた。リハーサルは10月5日からはじまり、10月中旬にはコクーンの稽古場を使った舞台稽古もスタートした。舞台装置には過去最高の4億円が投じられた。サブタイトルは「海嘯」、津波を意味する。

 僕は、何度来ても緊張するコクーンのシートに腰をおろし、ぼんやりと照明の入ったステージを見つめた。まだ客電は落ちていない。

 上手からタキシード姿のウエイターが、シャンペングラスをトレ―に載せて登場してきた。舞台には黒い幕が降りていて、下手に向かって裾が少しずつ上がっているので、幕の向こう側が見えるようになっている。それでもステージセットの半分以上がこの幕によって隠されている。

 ウエイターは、下手を通り、幕の向こう側に配置された黒いテーブルにグラスを置いていく。別のウエイターは、キャンドルライトをテーブルにセットする。下手から現れたウエイターは、進行表のようなものを手に、パーティー準備の最終チェックをしている。

 黒い幕は、パーティー会場の表側と裏側を区切る役目をしていたのだ。つまり客席からは、パーティーの舞台裏からパーティー会場を見るというポジションになる。

 演奏がはじまると客電がしだいに落ち、パーティーがはじまる。「夢を叶えて」がコーラスで入り、正装した男女が会場に溢れる。中島みゆきが右奥から登場し、裏側でコックと何やら打ち合わせをしながら、ハンドマイクで「夢を叶えて」を歌う。

 夢を叶えて違う明日に行こうとする前向きなⅠコーラス目に対し、2コーラス目では、夢を叶えるまでにいくつ失い奪うものがあるかというドロリとした生臭い部分が歌われている。パーティー会場で無理につくる笑顔と、裏でスタッフに指示を出す中島みゆきの厳しい表情との対比が、そのまま「夢を叶えて」のⅠ,2コーラスのシンメトリーになっている。


 下手に立った中島みゆきは、「夢の代わりに」を静かに歌う。左からのライトを受けて、彼女の影が床に長く伸びる。歌詞は、命や権力、愛さえも引き換えに、一生に一度だけ夢が叶うとなっている。

 パーティー会場に戻ったみゆきは、招待客の中に男性の視線を感じ、ふと振り向く。少しためらいながらも近づこうとすると、真紅のタイトドレスに身を包んだ女性がみゆきの動きに気づき、男性に寄り添い、みゆきを遮断してしまう。何かを思い出して悲しくなったのか涙ぐむみゆき。社交の場では感情を表に出さないのをよく知った秘書風の女性スタッフが心配してみゆきに駆け寄るが、なんでもないと制しているようだ。

 コーラスが「夢の代わりに」から「夢を叶えて」を続けて歌う。

 やがてパーティー終了の時間が来たのか、客がひとりまたひとりと帰っていく。みゆき達スタッフは、丁寧にお辞儀をして見送る。帰り際にワインボトルをつかんで逃げるように去る客や、先ほどの意地悪な女性などを見る限り、あまり品の良くない招待客が集まったようだ。

 ウエーターが後片付けをはじめると、みゆきは女性スタッフからベージュのトレンチコートと黒いバッグを受け取る。


 一旦ライトが落ちた後場面転換し、ステージにモスグリーンの照明が点るが薄暗い。みゆきは「I am」を歌いながら下手から上手方向へと歩いていく。風が強いのか、コートの裾が揺れ、みゆきは襟に手をやる。

 客席をにらむようにして、自分のもうひとつの名前を誰も知らないと歌う。時間がすべてを許すなら、あらゆる罪は時間に保護されて償われることがない、しかし時が罪を隠しても、海は見逃さないと歌われる。

 下手に歩いていくみゆきをふたりの警備員が待構えている。夜遅くにひとりで歩いている女性を不審に思ったのか、何か話しかけてくるが、みゆきは、うるさそうに手をひらひらさせるだけだ。おそらく警備員は職務質問で名前などをみゆきに尋ねたのだろう。それが丁度、「I am」のわたしの名前はどこにもないというフレーズと重なっている。

 みゆきと警備員が下手に消え、しばらくするとオレンジ色のライトにぼんやり照らされて、舞台下手に2基のエレベーターがせりあがってくる。みゆきがエレベーターのボタンを押すと、疲れきっているのか壁に手をつき、顔を伏せた姿勢で動かなくなる。

 右側のエレベーターの扉が開き、自分の体を引きずるように乗り込む。今にも倒れそうに壁にもたれると、左のエレベーターがゆっくり奈落へと沈んでいく。エレベーターが上昇していくシーンを舞台で表現するのは非常に困難だが、こうやって片方を舞台の床下へ引き込ませると、もう片方が昇っているように見える。エレベーターを2基並べた理由はそこにある。