前回の記事の続きです。

できれば、前回記事からよんでくださったほうが、分かりやすいと思います。



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最初に子供が欲しいと思ったのは、

子育てがしたいと思ったからではなかった。


もちろん、子供をもつということは、子供を育てるということなのだが、

他人の子供は苦手だっり、かわいく思えなかったり、

公共の場で騒ぐ子供にイラっとしたりしていたため、

自分は子供を持っても、ちゃんと子育てできるのか、と不安になることもあった。にゃ


その思いは結構長くつきまとい、

不妊治療を開始してからも、その不安が消え去ることはなかった。



だが、いつからか?

私の人生に足りないものがある、と感じ始めた。


1回目の海外駐在のときに、駐在員の妻という立場では働いてはいけない国にいた。

だから、パートすらできない完全なる専業主婦であった。

しかし、初めての海外暮らし。

しかも、英語圏でなく、数すら数えられない未知の言語の国。

最初はなにも考える暇もないほど、生きるのに大変だったし、

いい意味でも悪い意味でも刺激も多すぎたし、

主人の仕事関係の自宅でのパーティー開催も多くて、

慣れないパーティ料理を沢山作るのも、語学の勉強も大変だった。嫌


ちょっと暮らしに慣れてきてからも、

とにかく、子供もいない、仕事もない、ということで

時間だけはたっぷりあって、

本当に、文字通りの引きこもりになり、

気がつけば、家の中で、朝から晩まで同じところに座っていたり、おののく

今思えば、軽いウツ状態だったんじゃないか?と思うような状態になった。うさ。


だから、同じような境遇の友人と、食べ歩き、飲み歩き、

習い事を、両手では足りないほどの数やったりして、とにかく外にでることにした。


だから、決して、暇であったわけではなかった。


子供のいない専業主婦が、いつもなにしてんの?


と、子持ちの主婦に聞かれて、


「え。飲み歩いたり、食べ歩いたり、毎日のように習い事したり、お呼ばれしたり、

自宅でパーティ開いたり・・・とか?もう、いそがしくって。きゃはっ


って、普通に聞いたらぶっ飛ばされそうなことをガチで答えて、子持ち主婦を黙らせていた。にゃ


だけどね。


けっして、ぜんぜん優雅なんてもんじゃなかったんだよ。


パーティったって、主人の仕事関係の人ばかり。

朝の準備からはじまって、夜中にパーティが終わることには、くったくた。困った

つくり笑顔でたのしいことなんてまったくない。うさ。


習い事だって、とにかくひきこもりを避けるために、

外出することが目的だし、昼間でしょ?


同い年くらいの主婦なんて、子育てか仕事してる時間。

だから、現地のおばあちゃんとかに混ざって、

孫の話とか延々と聞かされたり、泣く

言葉がちょっとわからないからって、

先生に軽くみられてあんまりまじめに見てもらえなかったりとかガーン

人種差別的なことも、受けたりとか、怒

嫌なこともたっくさんあった。


まあ、飲み歩き食べ歩きは楽しかったけどね。にゃ

そのくらいのご褒美あってもいいでしょうってくらいいろいろ大変だったよ・・・。ガクリ



とういうわけで、いいことばっかりではなかったけど、とにかく暇ではなかった。

体力的にも、時間的にも、いっぱいいっぱいだった。


なのに、なにか足りない、と思うようになった。


「旦那様の妻」というアイデンティティしかもっていないから

こんなにも、足りない気持ちになるのだと思った。


当初は、仕事というアイデンティティがもうひとつ増えたら

その気持ちは当然おさまると思っていた。

日本に帰って、ちゃんと仕事できたら

この心の中の、足ない感覚は埋まるのだと思っていた。


だから日本に帰ってきてから、即効働き始めた。

本業をはじめたのはもちろんだが、それは急には増えないから、パートもはじめ、

それから海外で習ってきたことを、近所の主婦に教えたりとか、

とにかく、帰国してすぐに、自分のできる仕事を、なんでもやってみた。


またまた、体力的にも時間的にもいっぱいいっぱいになった。


なのに。


やっぱりなにか足りなかった。


もしかして、子育て?


と、ふと思った。


母というアイデンティティ。


苦行にしか見えなかったような、大変な子育て、

それは、大変だからこそ、とても大きいアイデンティティになり得る。

私が、なにか人生に足りないと、感じるのならば、

その大きなアイデンティティがもうひとつあったらどうだろう?


そう、思ったときに、


母になりたい、子育てがしたい、と思うようになった。


そして、その思いがあれば、母になる資格はあるんだ、

私が、ちゃんと子育てできるんだろうか?

という不安なんて誰にでもあって、当たり前。

そう、思えるようになってきた。


この辺から、もう、本当に、私、子供が欲しくて欲しくてたまらなくなってきた。


そして、その思いに追い討ちをかけるのが、

不妊治療の期待と失敗と、高額な支払いである。にゃ


不妊治療は、痛くて辛くて苦しい。

こんな思いをしてるんだから、当然報われるだろうと期待する。*・ω・*


不妊治療ブログを読み漁ってると、

成功してどんどん妊娠していく人を目の当たりにする。

当然、次は私の番だよね、私も、近いうちに同じ道をたどるんだよね、

と期待する。*・ω・*


なのに、失敗する。ガクリ


いや、ちょっとまってよ。次こそは。

てか、今回は、アレがよくなかったんだよ。

今度、ここを改善してみよう。

またまた、期待する。ぷぷ


また、失敗する。ガクリ


またまた検索しまくる。

ああ!なるほど!!このサプリね!!

よし、次回は!!




高額な支払いをする。


何度もする。にゃ


いやーーー。ここまでつぎ込んで、

今やめたら、何にもなかったことになる。

今更やめられないでしょう?


どれだけ、かかろうとも、最終的に子供を手に入れられたら

もう、お金のことなんてチャラになるけど、

今やめたら、今までのお金無駄になるじゃん!?



なんか、今思うとその精神状態は、

ちょっとギャンブルのそれに似てる気がする。うさ。


ちょっと攻略本なんて勉強して、

向上心みたいなものを満たしてくれながらも、

なかなか勝たせてもらえなくて、

お金をつぎ込んで今さら引けなくなったりして・・・・。




そして、手に入らなければ入らないほど、

周りはうまくいってるのに、自分だけうまくいかなければいかないほど、

どんどん、欲しくなってくる。うさ。


ベビーカーを押す妊婦や、

赤ちゃんの写真のみの年賀状に嫉妬しては、

自分も欲しくてたまらないのだ、と再認識して、自分を追い詰める。うさ。



そして、そんなおかしな精神状態に、ふと気がついては、


あれ?私本当に子供がほしいのか?

意地になってるだけじゃね??


こんな辛い治療とかして、お金使って、なにやってんの?

旦那様と二人でも十分楽しいじゃん?


とかって自問し始める。



でも、根本的には、「旦那様と私の遺伝子を持つ人間がほしい、子育てがしたい」という純粋な気持ちがあるのだから、それを確認しては、


ああ、私やっぱり、ちゃんと子供がほしんだ、と思い直して、また、治療にあたる。



そして、繰り返し。泣く



子供がほしい理由なんて、かわいいからに決まってるじゃん!!って言ってさくっと産んだ人たちみたいに言ってみたい。


けれど、高額なお金を払って痛くて、辛くて泣いてばかりの治療をつづけるには、「子供が欲しい理由」ってものを考えないとやってられませんでした・・・・・・。


そして、今も。


最終的に、なにも手に入れられないまま終わったとしても、後悔しないと言えるために、がんばってきた理由というものを考えてみているのです・・・・。








子供が欲しい理由、そんなの本能だよ、って言われてしまえばそれまでなんですけど・・・。

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