成長戦略としての幸福度の課題 | (仮)アホを自覚し努力を続ける!

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成長戦略としての幸福度の課題
(横浜市立大学国際総合科学部教授 白石 小百合)


今なぜ「幸福度」か

 政府は、昨年末に「新成長戦略」を決定した。この「新成長戦略」は、これまでのように単に経済成長率を追求するのではなく、生活者が本質的に求めているのは「幸福度」の向上であるとし、「国民の『幸福度』を表す新たな指標を開発し、その向上に向けた取組を行う」としている。経済成長ではなく国民や住民の幸福度に注目する動きは最近高まっている。例えば、フランス・サルコジ大統領はスティグリッツ米コロンビア大教授らノーベル経済学賞受賞者等を集めた「幸福度に関する測定委員会」を発足させ、その報告書が2009年9月に発表されている。

 幸福度のような経済成長以外の指標が注目される背景には、経済成長率の鈍化や、成長そのものに対する反動があると考えられる。サルコジ大統領の委員会は、フランス経済の行き詰まりに対する不満を減少させようとの政治的な意図があるのではないかといわれていた。日本でも高度成長時代が終わり、公害などが社会問題となり始めた70年代には、「くたばれGNP」ということがいわれ、NNW(国民純福祉)という指標が作られた。現在の日本ではリーマンショック以降の景気低迷、中国等の追い上げ、年金問題や格差拡大など、将来に対する行き詰まり感が漂っている。このような背景が国民の幸福度を表す指標への動きとなっているのかもしれない。


幸福度のパラドクスとは

 幸福度に注目すること自体は、もちろん望ましいことであると思う。個人で考えると、いくらお金があっても不幸なら仕方がないし、お金がなくとも幸福ならそれでよいと考えられるからだ。しかし、幸福度を国家などの社会の尺度とすることは、例えば、次のような問題を引き起こすことにもなる。それは、「幸福のパラドクス」と呼ばれる。「幸福のパラドクス」とは、一か国、一時点で見ると所得と幸福度については相関関係があるものの、時系列で見ると必ずしも相関関係が見られないという現象である。例えば参議院事務局が2008年末に実施した調査では、所得が高い人ほど幸福度は高かった(図1参照)。一方で、幸福度(生活満足度)と一人当たり実質GDPの推移を見ると(図2参照)、バブル経済後の「失われた10年」を含む約30年間で見てもGDPは曲がりなりにも増加しているが、日本人の幸福度は低下傾向にあることがわかる。もし所得が過去に比べて増加しても、幸福度が横ばい、ないしは低下するのであれば、幸福度の向上は政策目標となりうるのであろうか。

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幸福度に影響を与える要因は何か

 このような矛盾を解明するための研究が「幸福の経済学」である(大竹文雄・白石小百合・筒井義郎編著『日本の幸福度』日本評論社、近刊)。所得が増えてもあまり幸福にならないのはなぜか、所得以外の要因で人々の幸福に影響を与えるものはなにか、そしてその影響の大きさはどの程度なのかといったことについて、データをもとに計量経済学的手法を用いて明らかにするのである。その「幸福の経済学」がこれまで明らかにしてきたことには、次のようなことがある。

 まず個人の幸福度に最も影響を与える要因として挙げられるのは所得である。ところが所得と幸福度との関係は、先に見たようなパラドクスが指摘されている。その理由としては、主に二つの仮説が考えられている。一つは、人々が参照している所得は絶対額ではなく、他人と比較した水準であるという可能性である。経済成長により国全体の所得水準が上がると、自分だけではなく周りの人々の所得も上がるため、個々人の幸福度は上がらないのである。もう一つは、人々は満足のレベルを時間とともに引き上げるという可能性である。所得が上昇しても、所得の上昇に適応が生じてしまうため、満足する水準も同時に上昇してしまう。このため、経済が成長しても幸福度はあまり上昇しないことになるのである。所得との関連で、日本でも社会問題となっている格差と幸福度との関係については、所得格差が大きいほど個人の幸福度を低めることが海外の研究からも明らかにされている。例えば中国では1990年から2000年の間に物質的豊かさが高まったのに幸福度は低下している。その要因の一つとして所得格差の拡大が指摘されている。

 一方、少子化との関連で最近注目されているワーク・ライフ・バランスについても各種の研究結果が出されている。そのうちのワーク(働き方)と幸福度との関係については、失業は個人の幸福度を大きく低下させるとされている。これは、失業することで生活の基盤がなくなり、将来的な不安や自尊心の低下、社会での居所がないような不安に駆られるからではないかと考えられている。このことから、政策としては、失業手当の支給を充実することよりも職を確保・創出することの方が有効的であると指摘する研究がある。また、一般的に労働時間が長いほど幸福度は低下するのだが、ある日本の研究によると、超長時間労働者などのワーカホリックの人々は、かえって幸福度が高い可能性がある。幸福度の高い人は生産性が高く、一方で、仕事のストレスが高いと幸福度は低いことから、従業員がハッピーに働けるような仕組みをもつ企業は、生産性も上がるのではないかと指摘されている。

 ワーク・ライフ・バランスのライフ、つまり家族と幸福度との関係については、結婚している人の方が、また、子どもがいる人の方が幸福度は高いことが指摘されている。子どもと就業との両立や夫の家事育児参加は女性の幸福度を高めるとの研究もある。

 政府が効率的に安定的に運営されている国、ボランティア参加率の高い国では幸福度は高い。こうした社会的な要因も幸福度と関係があるようだ。


幸福度政策の課題

 6月にとりまとめが予定されている新成長戦略では、政府は幸福度と政策と結び付けて議論しようとしているが、こうした幸福の経済学の知見を踏まえると、いくつかの課題があることがわかる。第一は、幸福度の決定要因には所得以外の要因があるものの、所得要因も大きいこと、つまり、お金あっての幸せも否定できないことをどう考えるのかということである。第二は、幸福度に影響を与える結婚や子供などの家族要因は個人の価値観や選択にも依存することなので、政府は、家族要因に対して、政策としてどこまで、また、どういう形でかかわるのかということである。第三は、幸福度のデータとしての適切性の問題もある。幸福度の調査は「あなたは幸せだと思っていますか。それとも、不幸だと思っていますか」との問いに対して回答した個人の主観的な気持ちを幸福度のデータとするのだが、個人の主観的な感情を客観的に測れるものなのかについては、研究者の間でも議論がある。一方で複数の客観的指標をもとに「幸福度指標」を作成したとしても、それが果たしてどの程度国民の真の幸せを反映しているかに関しても検討の余地はある。そして最後には、幸福度を高めることを政策目標とした場合、ある政策の結果として幸福度が一旦は上昇したとしても、個々人がすぐにそれに適応してしまうと幸福度は元に戻るかもしれないことを、政策としてどう考えるかである。国民の幸福度に注目することは望ましいだけに、このような課題を抱えた幸福度政策を実現できるかは、注目に値するといえよう。