リーダーシップとは?デフレからの脱却 | (仮)アホを自覚し努力を続ける!

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リーダーシップとは?デフレからの脱却
(連合総研理事長 草野 忠義)


 またぞろ、リーダーシップ論がかまびすしくなってきた。政治の潮流の変わり目や経済の長期低迷、あるいは社会不安が大きくなるといつものことだが、リーダーシップが議論となる傾向がある。

 はるか昔に聞いた話を思い出した。それは昭和の時代に(平成も22年を迎えるとそういう表現も許されると思うが)某省の先輩後輩に当たる関係のA氏とB氏のやり取りである。先輩のA氏(その直後代議士となり、のちに総理大臣に就任)が国会議員に出馬することを聞いた後輩のB氏(この人もいずれ総理大臣に就任)が「貴方のような哲学のない人が政治家になるのは世の中にとって良くない」という主旨の話を面と向かって箴言した、という話である。また、これはそのだいぶ後の時代の話であるが、某新聞記者(政治担当のベテラン記者)から、当時与党のC氏(後に総理大臣に就任)が同僚のD氏を評して「Dさんは政策にもめっぽう強いし、後輩の面倒見も良いし、評判も大変によろしい。しかし彼から総理大臣になったら何をやるのか、ということを聞いたことがない」と言ったという話を、直に聞いたことを思い出した。

 この二つの話は、まさにリーダーシップ、とりわけ政治のリーダーシップ論の真髄をついているのではないだろうか。リーダーに求められるのは最低限でも、第一にしっかりとした「哲学」を持っていることだろう。第二には、リーダーになったら何をやるのかという確固たる「目標」「目的意識」を常に準備していることである。そして第三に、常に「夢」あるいは「ロマン」を持ちながら、一方で現実を冷徹に見据える素養を涵養しておくことを挙げたい。第四には、国民の大多数を理解・納得させる「説明能力」「説得力」を併せ持っていなければならないと思う。最後に敢えて付言すれば、「泣いて馬謖を切る」という意味での「勇気」を備えていなければならないであろう。これを全て有しているような人物はそう簡単には見つからないが、一旦リーダーになった以上は、それに向かって渾身の努力を継続していくことがリーダーとしての義務である。我が国が長期の景気低迷で、国民生活の先行き不安のみならず、現状においても格差の問題や雇用不安で多くの国民が悩み苦しんでいる時こそ、このようなリーダーの輩出が求められており、だからこそリーダーシップ論がかまびすしくなっているのであろう。

 リーダーとは一国のトップのみならず、野党を含めた政党のリーダー、経営責任者、そして労働組合、諸団体のリーダーを指すものと理解していただきたい。世の中の危機を解消し、将来に向けて明るい道筋を示すのがリーダーの責務であることを考えれば、まさに今こそ真のリーダーを皆が待ち焦がれていると考えられる。

 加えて言えば「合成の誤謬(ごびゅう)」を解決するのもリーダーの役割である。行政でいえば、各省庁それぞれにとって良いと思われることも、政府全体としてはどうなのか。経済でいえば、個々の企業にとって良いと思っていることが、経済全体にとってはマイナスではないのか、そこで働く従業員やその家族にどのような影響を与えているのか。などなど様々な分野で「合成の誤謬」と思われる現象が散見される。とりわけ、現在の日本経済にとっての最大の課題は「デフレからの脱却」であることは大方の一致した見方である。このデフレ現象も合成の誤謬がもたらしていると言っても決して過言ではないと考えるのは私一人だろうか。エコノミストと称される人の中には「デフレにも良いデフレと悪いデフレがある」などと高言する人も見受けられるが、果たしてそうか。筆者は決してそうは考えない。デフレ脱却に向けて、今こそ全ての英知が結集されなければならないし、そのためのリーダーの責務は極めて大きいことを強く訴えたい。