「ばらまき」の意味するところ | (仮)アホを自覚し努力を続ける!

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「ばらまき」の意味するところ
(日本経済研究センター 竹内 淳一郎)


 わが国の景気は、春先以降の持ち直しの動きが続いている。予想される景気回復の道程は平坦ではなかろう。本シリーズでは、景気を占う観点から折々のトピックスを取り上げ、時には“異論” を含め、極力平易に解説していきたい。初回は、2010年(平成22年)度予算を取り上げる。

 すったもんだの末、2010年度予算が昨年末、閣議決定された。麻生前首相は、「かつて、半年で4回の予算編成を行った内閣はない」といった趣旨の発言を好んで使った。予算を編成し、国会を通すことに必要な“エネルギー” の大きさを、端的に言い表している。特に今回は、政権奪取後の限られた時間、マニフェストの取り扱い、税収の落ち込み、国債発行抑制など制約条件が多く、その苦労は想像に難くない。藤井財務相の辞任が、そのことを物語っている。

 さて、そうして決定した10年度政府予算ではあるが、識者の評価、マスコミの論調、いずれも総じて手厳しい。曰く、歳出膨張、借金拡大、成長戦略の欠如であり、極めつけは「ばらまき」。筆者も、安定財源を求めずに、「子ども手当」など半ば恒久的な施策を織り込むなど、決して褒められた内容ではないように思う。その上で、「ばらまき」の意味するところを考えてみたい。



政府予算はある意味緊縮的

 総額92.3兆円に上る予算案は、どのベースと比較するかで、評価は異なる。09年度当初予算(88.5兆円)と比べれば、確かに拡張的であろう。ただ、昨年は麻生政権下で、過去最大の補正予算(13.9兆円)が策定されたため、09年度2次補正後ベースの予算は、102.6兆円に達している。これと比較すると、今回の予算は緊縮型となる。中でも、公共投資の削減は過去最大の2割弱に及ぶ徹底ぶりである。実際、政府経済見通しをみると(表)、公的需要は経済成長に対しマイナス0.2%ポイントの下押し要因として働く。

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 もちろん、10年度も補正予算不可避との立場もあろう。そこまで展望すれば、当初ベースでの歳出増に着目し「ばらまき」と評することに理はある。もっとも、10年度予算では、当初段階で使途を定めない2兆円の「別枠」経費が計上されており、「景気が落ち込む場合に備えた予備的な費用」と解説されている。また、国債発行の抑制方針は、市場という相手あってのことでもあり、昨年度のような大型補正は難しいと見るべきではないか。そもそも、政府経済見通しどおり民需主導で1.4%成長が実現すれば、補正の必要すらない。このように整理すると、前年の補正後ベースの予算規模が大きすぎるだけに、誰がやっても翌年は緊縮的にしかならないことが分かる。経済に対し公需は下押しとして働く(いわゆる、フィスカル・ドラッグ)ことになりそうだ。どうやら、量的には「ばらまき」とも言い難く、質に着目する必要があるようだ。子ども手当、公立高校の実質無償化、高速道路の一部無料化、農家の戸別補償などをみれば、「ばらまき」批判もうなずける。ただ、これもすんなり「ばらまき」とも言えない。

 第1に、子ども手当の初年度の国費は1.75兆円であり、09年度の定額給付金2兆円に比べ減少する。高速道路の一部無料化同様、前政権より緊縮的な面もある。第2に、公共投資という一部業界を利する施策と、政府から家計への所得移転を通じ、消費を喚起する施策を比較した場合、「ばらまき」度について、どちらがどうとは言えまい。ましてや、政権公約に掲げられたという意味で国民が支持している施策でもある。また、そもそも税金は国民から拠出されたものであり、家計に戻したからといって、「ばらまき」と評するのもどうか。

 恐らく、「ばらまき」の意味するところは、予算が成長に資する中身になっていないことを表現しているのだろう。有効需要の創出や法人税減税などを通じ、企業部門主導で、成長率を引き上げるべきとの立場からすれば、今回の予算は大いに批判の対象となる。ただ、一方で、米国型の景気展開―消費拡大⇒収益増⇒設備投資増―を標榜する新政権からすれば、「ばらまき」批判は心外であろう。とすれば、「ばらまき」か否かは、結果(=成長率や中身)で判断するのがフェアな扱いとなる。ここまで論じながらではあるが、筆者はこの点、悲観的である。将来不安を抱えるこの国の家計に、多くを期待することは難しい。



二重の賭けとなる壮大な実験

 筆者の見方も一つの立場でしかない。ただ、新政権の「コンクリートから人へ」という目玉施策は、二重の意味で“賭け” の要素をはらんでいることは指摘しておきたい。第1に、時間差である。公共投資の削減を先行させ、政府から家計への所得移転は来年度入り後となる。その空白期に相当する本年前半は、景気にとって“正念場”に当たる。第2は「人」への投資効果の不確からしさである。公共投資の削減は確実に国内総生産(GDP)を減少させる一方で、子ども手当などの施策が消費をどの程度喚起するかについては、正直「やってみなければわからない」。筆者が、“壮大な実験” と呼称するゆえんは、ここにある。

 さて、家計がどこまで踏ん張るか。それ次第で「ばらまき」も「wise spending(賢い<財政>支出)」に変わりうる。初夢としては悪くない。