七日七夜【2】 | 風の庵

七日七夜【2】

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 動揺と警戒を見せるデアノラに実に自然にジルベルトは近付いた。その黄金の瞳で正面から見つめてくる。それから目を離せず、視線は絡んだ。

「そなたがデアノラ、だな?」
「だったら、何だと言うのだ?妾は風狼になど用はない」
「私はあるのだ、そなたに用が。そうつんけんするな。気の短い女はモテないぞ」
「余計なお世話だ、風狼」
「ジルベルト、だ。何ならジルでもいい」
「貴様の名などどうでも良いわ!引き裂かれたくなければ去れ!」

 ありったけの敵意と軽蔑を込めて啖呵を切ったデアノラに、一向に堪えた様子のない風狼の青年はクッと笑った。

「引き裂く、か・・・」
「な、何が可笑しいっ!」

 嘲笑のように感じますます顔が熱くなった。余裕を崩さない澄ました顔が気に食わない。

 妾は水狼の長だぞ!

「いや、予想外に威勢が良いと思ってな・・・風狼の長とつがう水狼の長が決まったと言うからどんな奴かと見に来たのだが・・・退屈しなさそうだ」
「何・・・・・?」

 それはまだ正式には誰にも知らされていないことだ。接点もないはずの風狼が一体どうやって。
 デアノラの疑問を読んだかのように笑みを深めると、ジルベルトは―デアノラの庭だというのに―適当な岩に腰かけた。

「水狼がどうかは知らんが、風狼というのは好奇心が強いタチでな。風狼の長が代替わりしてからはや20数年、水狼の次代の長については皆の関心の引くところだ。何せ・・・斑婚の相手だからな」
「ふんっ。それでのこのこと命知らずにも妾の縄張りに足を踏み入れたか。己の頭の相手調べとは、大層ご苦労なことだな」

 デアノラは皮肉げに笑った。結局、こいつらも妾をそのようにしか見ておらんのだ。

「そんなに風狼が嫌いか・・・」

 ジルベルトは苦笑を浮かべるとゆっくりと長い足を組んだ。柔らかい陽射しを受けて光に透けた金髪が眩しいほどに輝き、白い衣装に織り込まれた金糸が金剛石のように煌めく。
 目を奪う輝きにほんの一瞬見惚れ――
 こちらをじっと見つめる金色の眼差しにハッとした。
――失態だ

「風狼と水狼はそう遠い関係でもないだろう。少なくともこれからは。何が気に入らない?」
「恥知らずな風狼風情と違い、誇り高き水狼族に余所者と不用意に馴れ合う愚か者も無礼にも他者の縄張りを侵す者もおらんわ」

 座る男に嫌味を込めて冷淡に言い放った。余裕な態度だったジルベルトが僅かに眉を顰めたのに、してやったりと愉悦感を覚えた。――しかしそれも長続きしなかった。
 ふと、笑みを消した風狼の金色の瞳が微かに剣呑さを帯びた。それに、ゾクッと肌が粟立った。

「口を慎め、水狼の姫よ。いかに長であろうと他族への侮辱は許されない。風狼族にとて誇りはあるのだ。それこそ、水狼の長は礼を知らぬとうつけと吹聴されやもしれんな」
「・・・・・・・・」

 気圧され口を噤んだデアノラであったが、すぐに勢いを取り戻し斜に構えた。言われっぱなしは矜恃が許さない。

「何だ、偉そうな口を利きおって。人様の領分に不法侵入した貴様が良識を説くか。笑わせるな!」
「まあ、その通りだな」
「・・・・・・・・・」

 笑ってあっさり認めた男に肩透かしを食らったような気分になった。
 悪いのは相手のほうだというのに、この妙な敗北感に似た虚しさは何か。

――こやつ、何なのだ・・・

 気に食わない。そもそもがヒトの家で勝手に寛いでるその厚顔無恥さも、仮にも一族の長に向かってこの偉そうな態度も気に食わない。属性が違えども長ともなれば並の妖狼がおいそれと近付ける存在ではなく畏れ敬われる存在だというのに、この男からは欠片もそれを感じない。
 そんなに弱い奴ではないというのは纏う気や魔力の波動で分かる。情報に速いところといい、風狼族長の直近にあるのだろうか。

――風狼族の長

「・・・・・・・・」

 こいつなら、知っているだろうか。風狼族の長のこと。

(いや、どうせ時が来れば嫌でも分かるのだ。わざわざこんな奴に聞くことでは・・・)

「どうした」

 先より近くから低い声が飛んできて反射的に顔を向ければ、すぐ目の前に金色の青年が立っていて、

(こいつ、いつの間にッ・・・・・・!)

 思わず間合いを取ろうと後ろに飛び退き――

「あ、おいッ馬鹿!」

――後ろが泉なのを忘れていた。空を踏んだ足は当然バランスを崩す。

――落ちる!

(・・・落ちたから何が問題と言うわけでもないんだがな)

 溺れる訳がないし、水が彼女にとって危険となることはないから。ひとつ問題があるとすれば無様な姿を風狼なんかに見られるということだけで――

 しかし泉に落ちる直前に腕を強い力で掴まれ、がくっとなったかと思えば今度は勢いよく引かれ――気がつけば、あろうことか、ジルベルトの腕の中に収まっていた。予想外に逞しい体躯に訳もなく気が乱れる。

「―――!」
「そそっかしいな・・・」

 苦笑混じりの声がすぐ上から降ってきた。その言葉に、頭に血が昇る。

「――誰のせいだとっ!っ、余計な真似を・・・!!離せ、無礼者!」

 怒鳴り突き飛ばしたデアノラの激昂に反応し、背後の泉の水がまるで生き物のように隆起した。そしてグンと鎌首もたげるとザアアァァ――と、激しい水音と共に勢いよくジルベルトに向かった。

「っ、と、危ないな・・・」

 しかし彼がその攻撃を食らうことはなかった。
 大蛇のような水の塊は彼を目前にして見えない壁に阻まれたかのように動きを止めていた。ジルベルトは僅かな水滴すら浴びていない。彼の、肩までの綺麗な金髪は穏やかな風に靡いていた。

「止めた・・・?」

 デアノラの魔力と、互角・・・いや、今や水は押し返されようとしていた。力が圧されている。

「素直にありがとうとは言えないのか」

 呆れたように呟くとジルベルトはデアノラを仰いだ。唖然としているデアノラの闘志が弱まると同時にジルベルトの力が勝り透明な大蛇は、一陣の強い風により泉へと押し返された。当の本人は指一歩を動かさず、顔色も全く変えない。

――ここまで自在に風を

「貴様、何者だ」
「そう警戒してくれるな。私はそなたの敵になりたい訳ではない。そなたに近付きたいだけだ」

 少しも信じていない青銀の髪の姫の表情に苦笑を浮かべる。

「何者かと聞いた。答えぬか。何を企んでいる?妾は容易く弄されぬぞ」

 力づくで追い払うことは困難だと、そう感じた。厄介だ。
 デアノラは不機嫌に柳眉を顰めた。

「だから、風狼族のジルベルトだと言っているだろう。いい加減名前を呼ぶ気はないのか」
「何故妾が貴様の名など。・・・風狼族長の側近か」
「・・・何故そう思う」
「その力量、長に次ぐ地位でなければおかしい」
「成る程、見る目はまともらしい」

 ジルベルトの呟きを聞き逃さなかったデアノラはカッとなった。

「どういう意味だ!」

 しかしジルベルトは何ということはないように告げた。

「そのままの意味だ。噂によるとデアノラという名の水狼は変わり者らしいからな。風狼族長の妻となる女だろう。どのようなものか見ておく必要がある。手に終えなければそれなりの扱いを心得ておかねばならないだろう」

 本人を前にして平気で言える気が知れない。

「・・・風狼の長の差し金か」

 忌々しげに吐き捨てたデアノラにジルベルトは肩を竦めた。

「まあ、そんなところだ」
デアノラは眉を顰めた。人間ぽい仕草が鼻につく。

 この男、何を隠している?何を企んでいる?

 警戒に満ちた眼差しの少女に、困ったように笑うと風狼族の青年は「どうも失敗したようだ」と呟いた。

 何が。やはり何か企みがあって近付いたのか。
 デアノラは全身が目のごとく構えた。

「・・・そなたは風狼族の長のことを知らないのか?」
「・・・・悪いか」
「いや、そういう意味で言ったのではない。そう睨むな・・・知らん男に娶られるのは不快ではないのか」
「・・・・だったら、何だと言うのだ?不快だと言えば貴様が妾の身代わりになるとでも言うのか?」
「いや、流石にそれは無理だ。・・・やはり嫌、なのだな」

 少し淋しそうに呟いた青年に訳がわからずそっぽを向いた。何故この男が落胆せねばならない。

「妾の意思など何の意味もない」
「そんなことはない」
「貴様、阿呆か?妾が長になるのは妾が女だからだ。斑子を産む腹だからだ。風狼の長とてそうだ。妾を娶るのはただの儀式だ。儀式で義務、それ以外に何の理由がある!」

 何故格下に、他族に長たる己がこんなことを言っているのか、言葉を発すると同時に後悔が押し寄せた。
 しかし本当はどこかで希望していたのかもしれない。この金色の瞳は分かってくれるかもしれないと――

「・・・ある」
「何?」
「それ以外にも意味は、理由はある」

 真摯な金の眼差しが射抜く。

「あるものか。華言など聞きとうないわ」
「いいや、違う」
「ならば示してみよ!できるものならばな!虚言であればその時は貴様を氷漬けにしてくれる」

 せせら笑ったデアノラにジルベルトはゆったりと口角を上げた。

「いいだろう。だが氷漬けにはならんよ・・・私に7日そなたの時間をくれぬか」
「7日・・・?」

 まさか、本気か。

「7日でそなたに理由を示す。斑娶りは少なくとも後7日は行われない。それは保証できる。7日目にそなた自らの意思でそれを選ぶよう、私は力を尽くす」
「で、できるものか、そんなこと――」
「簡単なことだ。そなたが風狼の長を愛すれば良い」「愛す・・・!?」
「義務を超えるには愛が必要だ、そうであろう?愛するには理解が必要だ。理解には知識が必要だ。私が教えてやる」

 青天の霹靂とも言うべき発想だ。が、

「く、下らぬ・・・!妾はそのようなことに付き合っておれるほど暇ではないわ!」

 確かに風狼の長がどんな奴なのか気にはなるが・・・相手はデアノラよりだいぶ歳上なはずなのだ。その差が風狼の長との距離のように感じた。それに、例え想いを抱いたとしても一方通行の愛など悲しいだけ―――
 背を向けようとした時、挑むような言葉が飛んできた。

「怖いのか」
「なっ―――」
「明日、また同じ時間に来る。ここに待っていろ」
「待て!」

 勝手に言い置くとジルベルトは風を呼んだ。ゴオォッと旋風が巻き起こり、巻き上がる葉や埃に反射的に目を瞑った。風が止んで目を開けた時には風狼の姿はなかった。

「何なのだ、あやつは・・・」


――夜、薬油で丁寧に肌の手入れをしていたデアノラの元に兄の1人であるクレマスがやって来た。腹違いの兄であるクレマスは社交的と言い難いデアノラを構う数少ない人物でもあった。彼がデアノラの慎ましい家に顔を出すのは珍しい。

「いよいよ明日だな、デアノラ」
「うむう・・・」
「緊張してんのか?」
「いや・・・ただ、妾に皆を纏めることなどできるのかと」
「弱気とはお前らしくもねえな。大丈夫だ。強い者に従うのが妖狼の性質、お前は強い狼だ、自信出せよ」
「・・・・・・・・・」

 それだけではないのも、知っている。デアノラはアクが強すぎて昔からあまり群れに馴染めていなかった。そんな協調性のない者がリーダーになって真に信頼と尊敬を勝ち取れるかというと怪しい。

「斑娶りなんたぁ、面倒にぶち当たったのはお前にゃ災難だったな。ところでお前風狼の長、知らねえだろ」
「あ?ああ・・・」

 昼間のジルベルトと名乗った風狼が急に思い起こされた。

「アクラがそんなこったろうっつってたぜ。お前は変なとこで神経質だからな、気にするだろうって。だからわざわざオレが可愛い妹のために睡眠時間削って教えてやりに来たんだぜ。ついでに他の長のも名前くれーは覚えとけ」

 デアノラは苦笑した。クレマスは寝るのが3度の食事並に好きだ。夜寝付くのも早い。

「今の風の長はもう22年目か。オレから見ても中々のいい男だぜ。お前のお相手の名前はだな、ジルベルトだ」

 耳を、疑った。



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