昨日のフェニックス~シアトルのフライトで本を読んでいて浮かんできたことを、FBに書いた。その余韻が今日も続く。
昨日書いたのは、
なぜ体を動かすのかは様々な観点から語られている。
どう体を動かすのかも様々な方法がある。
でもどんなエクササイズやトレーニングをするにしても、バランスが大切。
今の慌ただしく過ぎていく社会生活の中で、都会に行けば行くほど(東京に近づけば近づくほど)、強い刺激を欲する人が多いことを感じる。
A-yogaを実践しているホットヨガスタジオでも、導入プログラムを体験した方から、物足りない、もっと動きたいという声をよく聞く。
そしてビジネスサイドとしては、その声に応えようとプログラムを提案する。本音を言うと私的にはそこには非常に違和感を感じる。
もっと動かないと満足しない自分はどこから派生しているのだろうか?と自分の内面に聞いたことはあるだろうか。
あなたの体の声が聞こえていますか?
なぜもっとを求める自分がいるのか、、、
一見弱そうに見える刺激が、実は強いエネルギーと自己の内面と外面のバランスを取るために大切ということを考えたことはないだろうか?
常時強い刺激を求める人ほど、心と体のバランスを崩している人が多い。
陰陽で語れば、陽のエネルギーばかりが高まり、陰が低くなり、陰陽のバランスを崩している。
それは肉体的だけでなく、精神的にも疾病の要因となりえる。
アスリートも同じ。
陰陽のバランスをどうトレーニングを通して整えていくか。
筋肉を刺激するだけでなく、ほかの細胞や組織をどう刺激するのか。
関節の締め付け、筋肉の過緊張も陽を高める
緊張と弛緩のバランス
活動と休養のバランス
収縮と伸張のバランス
光と闇
光と影
私達の体が回復の為の働きができるようにすることが大切。
まだまだ私も未熟で考えることばかり。
ただ一つだけ言えることは、自分の内で何かが芽を出した瞬間を逃さない感覚を常に持っていたいということ。
様々な経験から、その欠片が土壌に舞い降り、何かが肚に落ちて、その土壌から芽がピョコンと飛び出た感覚は、そこに大きなヒントがあるのだと思っている。
月末のA-yoga for Trainers in 京都 (福岡は3月)、そして2月末のJATOでのセミナーは、そんな運動の側面をみなさんと共有できればいいのかな、と思っている。
私だから伝えられること、それは何か、、、
日々悩み考える
資料を作っては立ち止まり、何パターンも資料を作る
終わりなき道
完璧は一生ない、、、
でもやってみたらきっと何かが生まれるのだと思う。
そこに失敗はない、うまくいかない方法を学んだだけである。
みんなに満足してもらえる自信などこれっぽっちもない。
でも私の思いや経験を誠実に共有して、共感できることがあれば、少しだけ私の未熟さも救われるのだろうなと思う。
肚で感じること
なぜか知らないけど
体が勝手に動いている
言葉が浮かんでくる
何かをしたいと感じている
これだ!と思うことに
理由などいらない
だってこれだ!
と感じた何かがそこにはあるのだから
理由なんて後から適当につければいい
人生なんてきっとそんなもの
思ったようにやっちゃってください!
そう自分にゴーサイン出す人生
(周りに迷惑をかけすぎない程度に、苦笑)
フェニックス~シアトルのフライトにて
というものだった。
今日、いとこと話をしていて、「邦ちゃんは、この先何を目指しているの?」と、聞かれた。
「ん?何も目指していない、、、」が私の答え。
今までも何かを目指してきたことは一度もない、と思う。
ただ目の前にある事、自分が感じることにまっすぐにきただけ。
昨日の夜、情熱大陸の片づけコンサルタントの近藤真理恵さん(こんまりさん)の回をみた。「ときめくものだけを残す」という彼女のアドバイス。
まさしく人生すべてがそうだよね、、、って思う。
私の場合は「わくわく」ですが、、、。
何かを考えたときに「わくわく」するか。
つまり「わくわく」しなければ、どんなに条件が良くても「ごめんなさい」をすることができるか、それに尽きる気がする。
で、私は「ごめんなさい」するか、仕事としてそれは必要と思うなら、入り口はワクワクが「ワ」(新しいことを始めるので、わくわく感は0(ゼロ)ではないので、「ワ」程度はある)くらいであれば、「ワクワク」になるように自分の工夫と取り組みを変えることをする。
何かを始めれば何かが終わる瞬間が必ず来る。
その終わりを決めるのも、やはり心奥深くで感じる心からの何かがそれを教えてくれる。
「もうここともサヨウナラだな、、、」
「もう手放す時が来た」
そんなことも心が教えてくれる。
そこに立った時の自分の感覚が変わってくる。
色が変わったり
そこから返ってくる何かが変わったり
少しずつ見えている色があせてきたり
言葉にしたら何だろう、、、ワクワク感がなくなるという単純なものではなく、心の奥底に生まれる「一抹の寂しさ」なのかなぁ。
「サヨウナラ」を告げている自分の心の動きが感じられるというか、、、。
人生は「ワクワク」と「きゅーーんとする一抹の寂しさ」の繰り返しなのだと思う。
あ、また資料つくりから逃げるためにブログを書いてしまった、、、。
今夜中に資料パート1をあげるために、あと3時間ほど頑張ります、、、。