今年はこんな一年。終わりよければすべてよし。その① | 清水国明オフィシャルブログ「清水国明のブログ」 Powered by Ameba

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瀬戸内海のど真ん中
岩国と松山の中間あたりに無人島「ありが島」があります。
清水国明が日本一わくわくする無人島キャンプ場を造りました。
これまでの集大成、これからの希望です。
どうぞ遊びに来てください。
http://arigatou.p-kit.com/

一年をザザザッと振り返ります。



1月。

現在の「震災救命協会」を立ち上げるきっかけにもなった

米国FEMAの長官、ボスナ―氏の講演を聞き、

日本の防災体制を根本から見直す必要を痛感しました。




東日本の仮設住宅に暮らす人たちをサポートする

スマートライフケアプロジェクトがスタート。





2月。

長女明実の結婚式。原田伸郎が大阪から来てくれて

「娘幸あれ」という「あのねのね」の曲を

僕に泣きながら歌わせる

という計画にまんまとハマりました。





㈱ワークショップリゾートの社員全員でミーティング。

今後どうしたい、どうなりたいかのアンケートで、

全員一致の3項目が判明。

① お金の心配をしなくていい生活

② 家族や仲間の笑顔

③ 自分の好きなことが出来る時間

だから、この会社で真剣に頑張ろう、という結論に。





3月。

㈱ワークショップリゾートの出資者である

ベンチャーインベストメントアルファーという

九州の匿名組合が、AIJの浅川氏が出資していた

法人だったようで、取材殺到。

まったく関係ないのに年金問題の渦中に

巻き込まれそうでした。





大阪で「あのねのね還暦ライブ」。

ゲストに鶴瓶が来てくれるというので、

三人ではじめた「あのねのね」の原点に還り、

ただ懐かしく振り返るだけではなく、

なにか新しいチャレンジがしたくて

この日に備えて作った新曲「メビウスロード」と、

そのために海外で作ってきた衣装3着を用意。

けれど2人に頑なに拒絶されて結局一人で歌う羽目に。

一度も袖を通さなかった3人の衣装が今もそのままです。

苔がつかない転がる石になりたい思いは共有できるものと、

ちょっと楽観し過ぎでしたか。





被災地の子どもたちを旅行に招待するという

申し出がNPOにあり、関係者の一人として参加。

ボランティアは、「してあげる」と「させてもらう」

の違いを厳密に認識している人ととりかからなければ、

独りよがりや、逆恨みや、とばっちりが発生する、

危険なものでもあると知りました。





4月。

アメリカのカーター元大統領が提唱して始まった

フレンドシップホース。

友人がいる国とは戦争しないという理念で、

世界各国の人がホームスティで交流する活動。

我が家にも台湾、カナダ、アメリカから


4人の女性がホームスティ。

英語の保育園、幼稚園に通っている4歳の

国太郎だけが完璧にコミュニケーション出来ていました。





5月。

富士五湖で唯一の無人島がある河口湖。

その無人島を借りることができたので、

ここを「防災の島」としてサバイバルキャンプをスタート。

魅力的なアウトドアフィールドが増えました。





久しぶりの歌番組「ヘイヘイヘイ」に出演するために

河口湖から東京へ移動中、

ギターを自宅に忘れてきたことに気付くという大失態。

車にはチェーンソーしか乗せていませんでした。





ハワイでのトライアスロンに初出場。

1500メートルの水泳、40キロの自転車、


10キロのランニングと、三つとも苦手な種目でしたが、

目の前を走る水着女性に励まされて

なんとか完走。





6月。

僕のロードレース人生を支えてくれた、

最も尊敬する森脇レーシングの森脇護社長が、

突然血液の病気で入院。

高熱が出て面会謝絶のところを、

社長が是非にも会いたいと言ってくれて、

無菌室での面会。けっこうシビアな状況で、

互いに手を握り合い、泣いてるしかなかったです。

が!見事回復されて退院!

今年一番の吉報でした。





芸能界に入るきっかけをくれた三浦久さんの

長野のライブハウス出演。

三浦さんの「祈り」を歌わせてもらいました。

「愛しているときだけ、人は生きている」という

三浦さんの歌のフレーズが、

今年はずっと頭の隅で鳴っていましたね。





②へ続く。