F1チャンピオン次年度成績
F1チャンピオンが、栄光のカーナンバー1で、
どのような成績を収めてきたのか!?を、一覧表にしました☆
これは、たけし☆さん からいただいたアイデア(11月2日記事) です♪
◆F1チャンピオンの翌年の成績一覧表
Races = 出走回数、Qualify = 予選最高順位、Final = 決勝最高順位、
PP = ポール・ポジション獲得回数、Win = 優勝回数、
FL = ファステスト・ラップ獲得回数、Points = 総獲得ポイント数、
Rank = ドライバーズ・ワールド・チャンピオンシップ順位
当該年度もチャンピオンとなったドライバー(連続チャンピオン)は赤色、
チャンピオンとなった翌年にはエントリーしなかったドライバーは水色を塗りました。
1952年のJ.M.ファンジオは、クラッシュによる事故で1年間を棒に振りました。
1959年のM.ホーソーンは、同年1月に公道での自動車事故で死亡しました。
1971年のJ.リントは、チャンピオン決定前に他界した唯一のチャンピオンです。
1974年のJ.スチュワートは、チャンピオンのまま引退しました。
1993年のN.マンセルは、CARTに転向しました。
1994年のA.プロストは、チャンピオンのまま引退しました。
1960年のJ.ブラバムから、26年間も連続チャンピオンは、いませんでした。
M.シューマッハは、穿った言い方をすれば、マンセルとプロストの引退、
セナの死亡によって、チャンピオン不在のF1界で、独壇場にいたのでしょうか?
チャンピオンが2位に終わってしまったシーズンは、
壮絶なライバル争いが、あったと言えるのではないでしょうか!?
くんの独断と偏見で分析すれば、セナ・プロ対決のような戦いが、
これまで4度あったように思われます…
それが、4度とも速さと強さの戦いだったように感じます…
1950年代では、速さのアスカリと、強さのファンジオ!
A.アスカリは、1955年のテスト中に事故死しています…
1960年代では、速さのクラークと、強さのヒル!!
J.クラークは、1968年にF2選手権にスポット参戦し、事故死しました…
1970年代では、速さのフィッティパルディ、強さのスチュワート!
ここでは、フィッティパルディを“速さ”とするのは、
ちょっと無理があるかもしれません^^;
そして、象徴的なライバル争い、セナ・プロ時代へと、突入します…
どの時代のライバル争いも、ほとんどが悲しい結末を迎えています…
F1というレースが、ほんとうに過酷である証拠では、ないでしょうか?
さて、2010年のジェンソン・バトン選手の成績は、どうなるのでしょうか?
シーズンオフは、退屈で長いものですが、いろいろと考えて待ちましょうね('-^*)/