水仙の季節になりました
政治と経済を絡めて議論する場面が多いのですが、政治が経済を全面的に左右できるわけでもなければ、経済が政治を全面的に左右できるものでもありません。
しかし、私たちの生活は全面的に経済に依存しています。
しかし、私たちの生活は全面的に経済に依存しています。
このことから言えることは、経済に関することを政治にすべてを委ねられないということです。では政治以外に何を頼ればよいのでしょうか。私は政治以外の多くの部分を学問に頼ることが必要だ思っています。つまり経済学です。
ところが「現代経済学」は極め付きの「役立たず学問」です。そのことは「アベノミクス」が国民に困窮を強いる形で盛大に実証しました。頼るべきものが頼れないものであるという無残な状態なのです。
そんなダメ状態の上塗りをするようなことが次々出てきているのですが、最近も数式の取り扱いに関して「こりゃ、ダメだ」と思うことがありましたのでご紹介します。
その説明のために、あることを例題に初等数学のおさらいをします。
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恒等式 A=B+C+D+E-F があるとする。ただしA~Fはすべて実数の変数とする。因みに恒等式において、変数はいかなる値をとっても右辺と左辺の値は等しくなります。
この式で、Fが値F1である場合のAの値をA1とすると下記の式がたつ。なお B+C+D+E はある値を持っているものとする。
A1=B+C+D+E-F1
いま仮に F>F1 であれば(すなわち元の式のFの値を減らせば) AとA1の関係はどうなるかを示します。
F>F1 であるので F-F1>0 であり F1-F<0 です。
次に A-A1 を求めます。
A-A1=(B+C+D+E-F)-(B+C+D+E-F1)=F1-F<0
関係式 A-A1<0 が得られます。
次に A-A1 を求めます。
A-A1=(B+C+D+E-F)-(B+C+D+E-F1)=F1-F<0
関係式 A-A1<0 が得られます。
AとA1の関係は、A-A1<0 であるので A<A1 となります(すなわち元の式のAの値は増える)。
つまり 式 A=B+C+D+E-F が示されたとき、この式を演繹的に展開すれば「Fを減らせばAが増える」というが言えます。
以上で初等数学を終わります。
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実はのぞみさんという方のブログで下記の式が示され『これは恒等式であり、「○○が減れば△△が増える」等の因果式ではありません。』と述べ、『にもかかわらず三橋先生は「輸入が減ればGDPが増える」と言った。一体どうなのよ』といったニュアンスの記事がアップされました。
GDP =消費+投資+政府支出+輸出-輸入
上式は私が示した A=B+C+D+E-F と記号が違うだけで同じものです。そしてFすなわち輸入を減らせばAすなわちGDPが増えることを上のおさらいで示しました。このことは加減算式と不等式が扱えるなら簡単に演繹できることです。
式「GDP =消費+投資+政府支出+輸出-輸入」をみて「輸入が減ればGDPが増える」は当然導き出されることなのですが、のぞみさんという方のブログを見る限りかなりの人がこのことを否定していました。このことは経済学が「数式」を扱うことに対して、大きな欠落があることを意味します。
いったい大学の経済学部は何を教えているのでしょうか?
加減算式や不等式に対する理解力もさることながら、輸出や輸入が経済に与える影響をどう教えているのか、理屈と実データを数学的方法で検証するところまでやっているのでしょうか、はなはだ疑問です。
どうせ、「自由競争」だとか「比較優位」だとかといったおよそ「役立たず」なことを教えているのでしょう。
加減算式や不等式に対する理解力もさることながら、輸出や輸入が経済に与える影響をどう教えているのか、理屈と実データを数学的方法で検証するところまでやっているのでしょうか、はなはだ疑問です。
どうせ、「自由競争」だとか「比較優位」だとかといったおよそ「役立たず」なことを教えているのでしょう。
蛇足ですが、恒等式は普通は定義とか法則を表すために用います。当然その式から演繹的に求められることは多く存在します。しかし演繹的に求められることを「因果式」などという訳の分からぬ言葉で大学の経済学では教えているのでしょうか? 知りたいものです。