伊藤若冲の晩年の絵に涙。。。死ぬ前に見た地平。 | HSP2.0・育成者、支援者、サポート者のための〜非認知能力アップ実現のためのポリヴェーガル理論理解

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敏感、繊細、感受性の高いHSP(highly sensitive person)が、生まれ持った感性と強みを仕事に活かして生きていくことをサポート。
日本で最初にHSPとポリヴェーガル理論を結びつけ、生きづらさは自律神経系のケアで解消できることを説いている。

クミシュラン皆川公美子です。

現在サントリー美術館で開催されている

「若冲と蕪村」に行ってきました。


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正徳6年(1716)は、尾形光琳(おがたこうりん)が亡くなり、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)と与謝蕪村(よさぶそん)というふたりの天才絵師が誕生した、江戸時代の画壇にとってひとつの画期となりました。
伊藤若冲(享年85、1800年没)は、京都にある青物問屋の長男として生まれ、23歳の時に家業を継ぎますが、30代中頃には参禅して「若冲居士(こじ)」の号を与えられ、40歳で隠居して絵を描くことに本格的に専念します。
一方、与謝蕪村(享年68、1783年没)は、大坂の農家に生まれ、20歳頃に江戸へ出て俳諧を学びます。27歳の時、俳諧の師匠の逝去を機に、北関東や東北地方をおよそ10年間遊歴します。その後40歳頃から京都へうつり俳諧と絵画のふたつの分野で活躍しました。
若冲は彩色鮮やかな花鳥図や動物を描いた水墨画を得意とし、蕪村は中国の文人画の技法による山水図や、簡単な筆遣いで俳句と絵が響き合う俳画を得意としていました。一見すると関連がないようですが、ふたりとも長崎から入ってきた中国・朝鮮絵画などを参考にしています。
本展覧会は、伊藤若冲と与謝蕪村の生誕300年を記念して開催するもので、若冲と蕪村の代表作品はもちろん、新出作品を紹介するとともに、同時代の関連作品を加えて展示し、人物、山水、花鳥などの共通するモチーフによって対比させながら、彼らが生きた18世紀の京都の活気あふれる様相の最も輝かしい一断面をご覧いただきます。(サントリー美術館HPより)


私は伊藤若冲さんの絵が大好きです。


こんな絵とか、



こんな絵が有名なのではないでしょうか。

庭で買っているニワトリの細部を1日でも眺めていたそうです。
嵐の大野君もこの若冲が好きだと言っていましたね。
同じ画家として、彼の描く絵の精緻さに
舌を巻いているというニュアンスでした。


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田村由香理さん主催の【大人のギャザリング】アートナビゲートツアーです。

解説は土岐綾子さん。

歴史をひもときながら、画家たちの生きた世界、
そのときの町の様子、等分かりやすく解説してくださいます。


『若冲は、青物問屋の主として裕福な暮らしをしていたので、
生活のために絵を売るということをしなくてもよかった。
この版画の贅沢さを見てください・・・
自分のやりたいことを採算度外視でやったんだけど、
手が込み過ぎて続かなかったってくらい妥協なく色を重ねていました。

対して蕪村は、貧しい暮らしでした。
江戸時代、吉宗の時代ですが、中国絵画を参考にしながら
自分の画風を模索していました。
その後、芭蕉にあこがれて、日本各地を旅して帰ってくる。
彼の生涯のモチーフは「道」なんですね。
若冲に比べて枯れた感じ、かな』




この絵の前で立ち尽くしました。
象とクジラ図。

そのころ1800年代、鎖国中とはいえ長崎にはいろいろな舶来ものが入ってきていました。

象も入って来ていて、若冲も見たのかもしれないそうな。

けどね、ワタシはこの絵を見た瞬間、

若冲が「見たものを描いたのではない」と悟りました。

若冲は頭の中にインスピレーションとしてこの絵のモチーフが
飛び込んできたのだろうと思います。
そして、その頭のなかの絵を写し取るイメージで
取りつかれたように描いたのにちがいない。




(白い象というのは聖なるモチーフで、
お釈迦様を身ごもるときにご母堂が白い象の夢を見た、そうです。)

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若冲は、火事で家財を失う前とあとで
大きく違う人生を歩んだことでしょう。

小さいころから才能にあふれ、絵を描きまくっていたけど、
それを「売る」ということに結び付けなくても良かった前半。
絵を売りそれをお金にかえるということも出てきている、後半。
そしてより自分を究め
自分の中身にフォーカスし続け、
家から離れずに、
マクロとミクロの世界を往復し続けました。

それは
本当に、
厳しい自分との闘いだっただろうなあと思います。
好きなものを好きに描く、ということはそのままに、

そこで自分をいかに追い詰め昇華させたものを描く、
ということは、

両立することもあるし、
しないこともある。


その両立を追いかけ、追いかける作業は
まさに自分の奥深く奥深く降りていく作業。

自分に向き合う、ということは、本当に精神力のいる作業です。

いろいろなタイプの

多重人格者?というほどタイプの違う絵をいくつもいくつも描いて、

人生の山をいくつも昇って降りて

登って降りて、

その果てに、

死ぬ1~2年前に、象とクジラ図を描きました。



そのインスピレーションを体感したときの、
若冲の驚きが
体感として私にもびびん!と降りて来て、

私も本当にびっくりしました。
来たことにびっくりしたのではなくて、
若冲がびっくりしたときの体感が「びっくり!」という体感だったのです。


ホンモノの絵の前にたつと、
時々こういうことが起こるので、

ホンモノの絵にこだわることはやめられません。


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ミッドタウンの桜は4分咲?くらい。



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ご一緒させていただいたみなさま、ありがとうございました。
田村由香理さん、土岐綾子さん、
楽しかったです♡