玄関のドアを開けると、父親の顔が明るい。
お、なんか今日は、良い状態にあるぞ。と思う。
母親のところに行くと。
「救心」が置いてある。
期日前投票に出かけた父親に、飲ませたらしい。
「でねえ、これからスーパー行くっていうから止めたのよ。もう疲れちゃうからって」
そうかそういうことか。
思いやり。なんてほんとは、ちゃんと持ってても、言葉にしたり態度にしたりしないと、見えない。
心配されている。そのことで、人は元気になる。
その後も、父親はルンルンな様子で、よく笑う。
「父さんは母さんに優しくされることが一番なんだからね」と母親に念を押しておく。
言葉。ちゅうのは、そう意味では便利なのだ。
その一言で、しなびかけた気持ちがしゃんと生き返る。
だから、逆もしかり。
その一言で、色あふれた世界が、モノクロに変わる。
「レ・ミゼラブル」初演にかかわっていた頃。
共演者の一人が、突然、憤った顔で言った。
「疲れた顔してる。って人に絶対言っちゃいけない言葉だと思う」
彼女は、ものすごく頑張り屋さんで、何かいろいろな事々を抱えているように見えた。
大人の女性でもあったので、それらをぐっと抱えたまま、でもふと顔に疲れを残したのだと思う。
それを誰かが挨拶みたいに、言ったのだろう。
「疲れた顔してるね」
「疲れた顔してるっていわれたら、もう私は疲れてるんだって思って、ドドドンと落ちちゃう」
その「落ちちゃう」ことが、彼女には許せなかったのだ。
(誰かの一言で落ちちゃう、そんな自分も許せなかったのかもしれない)
それを聞いてから、「疲れてない?」とか「疲れた顔してるね」とかの類は、言わないようにしてきた。
何気ない一言で、こんなに傷つく人もいる。
それくらい、ぎりぎりの気持ちで生きている人もいる。
「父さん、元気だね、やる気だね!」
しなびそうになる父親には、いつも真っ先にこんな挨拶をしている。
「母さん、元気だね、若いね!」
良い言葉は循環する。
良い循環をする。
言葉って、慈雨みたいなもんかもしれない。