寅さん見ては考える

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寅さんの映画がBSで放送されている。


昨日はリリーさんがマドンナの名作「相合傘」。





映画ってのは、もう今では無くなってしまった風景を見せてくれる。



亡くなってしまった人たちにも会える。




貴重な記録芸術、ドキュメンタリーなのだと今さら思う。







このリリーさんシリーズは、ドサ周りの歌手がマドンナということもあって、何回も見ては泣いた。





泣く場所は、時ごとに変わる。







前回は、寅さんがリリーさんにしてあげたい夢を語った場所で大泣きした。


もう一つ、柴又の駅で、傘を持たないリリーさんが、迎えにきてた寅さんを見つけはしゃぐ所。

帰り道、二人の相合傘が揺れる。



ここでもぼとんぼとんと涙が落ちた。






昨日は。


涙が落ちる場所は、もうなかった。



そのかわり、じわんと目が熱くなったのは、ずっと忘れてたシーンだった。




小樽の街で、昔思いを寄せた人の経営する喫茶店を訪ねる、船越英一郎扮するパパさん。


彼はあのころ流行った「蒸発」サラリーマンだ。




何十年ぶりの再会に、でも、それ以上は踏み込めない。


そこで新しい恋や生活は、もうできない。




去っていく彼の後姿を、見送る岩崎加根子扮する元恋人。



片方の唇の端がちょっとあがったような、あきらめのような表情。






人生ってさ、歌や映画みたいにはうまくいかないのよね。



そんな感じ。







こんなシーンにじんとした。





取り戻せないことが「わかる」のが、年を重ねることなんだなあ。




何かを捨てて、何かを初めても、もうその終わりが見える。

行く末が見える。






こっちがダメだったからと、乗り物を変えてみても、行き先は変わらない。




いやいや、そうじゃない、同じということはないのだ、勇気がなくなることが年老いたということだ。




人生、転がる石、ロックンロール。






そんな気もする。







とまあ、寅さんの映画は、こうして毎回いろんなことを思わせてくれる。





それにしても。


あの頃の小樽の街は、ひなびた漁村みたいだったんだなあ。


今ではお洒落なホテルや喫茶店の並ぶ通りが、幻のようだ。




昔が幻なのか、今が幻なのか。




それはわからない。
















































さてさてどうしよ

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台風の土砂降りで母親の病院延期。


オリンピックも終わり。




オリンピック。


不思議だったのは、まわりでこの話題が少なかったこと。


まあ、仕事場だったり、限られた時間や空間だったり、当たり前といえばそうだけど、それにしてもほとんど聞くことがなかった。




唯一。


信号待ちをしていて、後ろの女の子たちが。

「日本てあんがい強いんだね、驚いた」と話してたこと。





そのくらい、街角の話題としても少なかった感じがする。




ネットやテレビでは、わんわんしてたのに、この日常との落差がクールといえばクール。




それにしても、着物で登場した知事が旗をもらうのに、「おもてなしの気持ちで受け取りました!!」と絶叫調で伝えるアナウンサーなんてのは、カンベンだ。




こうして報道のほうが上ずったりすると、不安になる。




節約なんて考えず、ありったけの規模で東京オリンピックを開こう、なんて意見に一役買いそうで怖い。


国威発揚なんて叫びそうで怖い。


(近所の路地裏に立ってる、戦争前の石碑にも同じような言葉が彫ってある)






それぞれがそれぞれ気持ちで、いればいい。


それぞれの気持ちを、認め合える日本であればいい。


これまた当り前のことだけど。







さて。


昨日の父親のやかんの件で。


自動的にガスが止まるコンロ、とか、電気器具とかさまざまな方法をお教えいただきました。


ありがたいことです。





ただ、難点は「新しいこと」に対する拒否というのが大きいということで。


こんなに簡単なのにどうして、と思うことばかり。



それは、父親のような老人の特徴のようです。






なるべく同じようなもので、でも安全快適に。




なかなかにムズカシイものですね。




こちらの知恵が必要なんでしょうねえ。



ううむ。
























































未知との遭遇は続く

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実家に行くと。


母親が笛吹きケトルを買ってきてほしいという。





父親がやかんを火にかけたまま、忘れてしまう。

これはさすがに危険だ。

音の出るやかんならいいだろう。





そんなわけで、スーパーにでかける。




メーカーは二種類。


大きさは四種類。





まあ、こんなものかと選んで買って帰る。





水を入れ、火にかける。




ピーピーとけたたましい音を予想してたら、シューシューと威勢が悪い。



この音。

肝心の父親にいたっては「聞こえない」という。


母親も「うううん」といって首をひねっている。





そうだなあ、高齢者は高い音が聴こえづらいんだよなあ。




でもさ、耳を澄ましてたら大丈夫かも。


なんて楽観的にことを済ませようとするが、今度はフタの開閉に手間取る。



きっちりフタをしないと笛が鳴らないわけで、普通のやかんのようにポンとかぶせるだけじゃダメだ。






かっちんとフタをはめ、今度はそれを開けようすると。




これがなかなか開かない。






私でもうまく開かないのだから、年寄りはアウト。






あーあ。ダメだこりゃ。





汗ふきふき猛暑の中、買ってきたけど、無駄になった。





こういうのって、どんな音がするのか買う時わからないもんなあ。



やっぱりもっと調査してから買うべきだったかもなあ。







てなわけで、この新品笛吹ケトルは、さっさとしまわれてしまいました。




老人のやかんの火の消し忘れ。


つまり、水を沸かしていることそのものを忘れてしまうこと。


それこそ短期記憶がなくなってきていること。



こんなこと、知識としては知ってたけど、いよいよ我が家にもやってきたなあ。






こうして、一つずつ、少しずつ、未知との遭遇が続くのですなあ。







ちょっと学んだこと。




どういう状況でも、まずは笑ってみる。


言葉をぜったいに荒げないようにする。


優しいトーンで話すようにする。






自尊心てのは、いくつになってもある。


誰にもある。




それをおもんばかって、尊重する。





とまあ、私自身も少しずつ成長せねば、と思うわけです。