幸せな闘い

テーマ:

オリジナル曲を、どなたかにお願いすると。

 

 

そのデモテープを作曲者ご本人が、唄ってくださる場合が多い。

 

 

秦さんもそうだった。

 

そして、昨日、また素晴らしい歌が届いた。

 

 

 

まだ、お名前は言えないのだが、そのエッジのきいた唄い方は、そりゃあ誰だってしびれちゃうよ、思う。

 

 

ただ、秦さんもそうだが、作曲者が歌い手として素晴らしいと、それだけハードルが高くなる気はする。

 

 

 

ご本人が、ご本人の作った歌の一番ふさわしい表現者だと思えてしまうからだ。

 

 

 

でも。きっと。

 

 

それを越える歌っていうのがあるんだと思う。

 

 

他の人が唄ってもそれぞれに素晴らしいと思える歌。

 

誰でもが、一番素晴らしい歌い手になれる歌。

 

 

 

カラオケで、どんな誰かが唄っても、もしかしたら、それが世の中で一番ステキだと思わせるような歌。

 

 

それこそがスタンダード作品なのだろうなあ。

 

 

 

だから。

 

ひるむことなく、いただいた作品を唄おう。

 

 

うきうきと唄おう。

 

 

 

 

 

 

一昨日。

 

Eテレの「ミュージックポートレイト」で、松本さんが「鳥の歌」を最後に挙げてくださった。

 

詞はもちろん松本さんだが、チェルノブイリ博物館での、井上鑑さんと金子飛鳥さんと一緒の映像に、あれからまだ一年もたっていないことを思った。

 

 

博物館の天井。白い光で形作られた輝く世界地図。

 

でも、その所々に見える赤い小さな電球の光。

 

 

それが放射能事故の起きた場所。

 

 

 

「鳥はいつか天の園へ誘われていく」

 

すばらしい言葉やすばらしいメロディーは、時空を超えていく。

 

 

 

歌い手なんていうちっちゃい者を、歌は超えていく。

 

 

 

だから、そのちっちゃい歌い手は、一つの歌に引っ掻き傷くらい残したいと、身もだえする。

 

私らしい歌を残したいと苦しむ。

 

 

 

 

これから、しばらく歌たちとの闘いが続く。

 

 

幸せな闘いが続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗い海を漂うようだ。

テーマ:

歌入れ。

 

今回も冨田恵一さんのスタジオで。

 

 

ご自宅の地下のスタジオなので、ピンポンとドアホンを鳴らす。

 

 

と。

 

必ずワンワンワンと犬が鳴く。

 

 

 

犬は、柴犬のひなちゃんという。

 

 

 

ひなちゃんは、ものすごい人見知り犬だ。

 

 

 

毎日のように通ってくるマネージャーさんにも、毎日新鮮に吠えるという。

 

馴れるということがないらしい。

 

 

毎日、きちんと番犬としての役割りをはたすひなちゃん。

 

 

 

冨田さん一家しか、ひなちゃんは身内とみなさない。

 

それ以外の、たとえば、奥さまのお母さま、そういう身内も侵入者になるらしい。

 

 

 

お母さまの一週間の滞在中も、ひなちゃんはずっと鳴き続けたらしく、こうなると人と犬の根競べのようでもある。

 

 

 

そのひなちゃんは、昨日も当然のようにワンワンと鳴いてのお迎え。

それから、歌入れ作業がはじまる。

 

 

 

なかなか到達できない。

 

行き先が見えなくなる。

 

 

まるで海の航海のようだ。

それも暗い海。

 

 

 

光はどこだ。

 

 

遠い記憶や、言葉の欠片を思い出し、集め、ただただ探す。

光を探す。

 

 

 

途中、雑談をしながらのだいたい二時間。

 

 

 

録音は、深く入り込んでしまうと道がなくなる。

 

これまでの経験で、投げ出す時は決まっている。

 

 

「あとは、おまかせします」

 

 

もう、自分の力ではどうにもならない。

 

自分でやれることは、もうこれ以上ない。

 

 

考えはじめたらきりがない。

 

 

自分で自分にシャッターを下ろす。

 

 

 

 

 

スタジオから、外に出ると、陽が射していた。

 

いい歌になりますよう。

 

 

 

ひなちゃんの鳴き声を背に、天に祈った。

 

 

 

 

 

 

 

これから新曲の「歌入れ」の作業があるってのに。

 

アタマの中には、ずっと「ホームにて」のフレーズが回っている。

 

 

なんてこった。

 

 

この「ホームにて」。

 

この前まで、「世情」とともにずっと唄ってきた。

 

 

 

「世情」の劇的さから比べれば地味な歌だけど、そこはそこ、やはりみゆきさん。

 

やさしい言葉の裏に、いろいろな意味が見え隠れする。

 

 

 

 

ふるさと行きの最終列車に乗れない主人公は、果たしてほんとに乗れないのか、乗らないのか。

 

 

いやいや、この汽車こそ、幻なのかもしれない。

 

 

 

 

 

地方から出てきて、一生懸命都会で生きる者たちの心には、いつも「ふるさと」がある。

 

 

現実の辛さ、厳しさに、いつも心は「ふるさと」へ帰る汽車を夢見る。

 

 

 

最終列車に乗ってしまいたい。

 

 

そう思うことばかりに違いない。

 

 

 

でも、そんなに簡単に乗ってしまうことはできないんだよ。

だから、手のひらには、空色の切符が溜まっていく。

 

 

おそらく幻の「白い煙と乗車券」を、見つめながら、毎晩ホームに佇む夢を見る。

 

 

心は、いつでもホームにある。

 

ふるさとへ向かう、ふるさとへ続くホームにある。

 

 

ふるさと。かあ。

 

 

 

ふるさとって、土地ってだけじゃない。

人ってことなんだろうなあ。

 

 

 

この歌を静かに静かに唄っていると、涙を拭く人を見ることがある。

 

客席の暗がりの中、そっと目に手をあてる人を見る。

 

 

 

その時、ふるさと行きのホームが見える。

 

 

みんなこうして、それぞれの「ふるさと」を持っている。

ふるさと行きの空色の切符を持ったまま生きている。

 

 

 

ずううっと唄ってきて、やっとこんなことが見えてきた。

 

歌って、長い。

 

歌の命は、長く、永遠かもしれない。

 

 

 

 

だから。

 

今日、初めての歌を、今できる限りの想像力で唄おう。

 

ずっと、誰かに寄り添ってもらえるような歌に育つことを夢見て、一生懸命唄おう。