皆様方。
此度は儂の“直往邁進記”を御覧頂き、誠に感謝致しまする。
本日も細川コレクション展にて開催中である、“南蛮文化と細川家-忠興とガラシャ、異国との出会い-”
について記して参る。
此度はいくつかの展示物をお見せ致そう。
「細川忠興(儂)書状」
これは息子忠利に、“びろーどの羽織”を贈った時の書状じゃ。
“びろーど”とは舶来の毛織物の一種で、漢字で書くと“天鵞絨”となる。語源はポルトガル語じゃ。
この書状の前にも忠利からは舶来の毛織物てつくられた鮮やかな赤い羽織を貰った、その時の事も書かれておる。
因みに、今も儂は“天鵞絨”の色は好みじゃ。
「細川忠利書状」
これは忠利が家臣に宛てた書状じゃが。
よく見て頂きたい、日付の下に“Tadatoxi”と印文がローマ字印があるのがわかるかの?
このローマ字印を使用しておったのは、皆は良く知っておるかもしれぬが大友宗麟殿や官兵衛殿等といったキリシタン大名であった。
我が細川家はキリシタン大名ではなかったが、このローマ字印は当時一つの流行を生み出した。
最先端な物であったが故に、儂、忠利、そして孫の光尚も使用しておった。
また、家臣もこのローマ字印を使用しておった。
「和歌短冊」
この展示を紹介致すと儂の心がぎゅっと締め付けられる。
これは、我妻ガラシャが“源氏物語”を書き写した草稿である。
本能寺の変にて明智光秀殿が謀反を起こされ、丹後味土野に幽閉されておった頃のものじゃと思われる。
父光秀殿を思いながらか、それとも離別した儂を思いながら書いたのか…それはわからん。
が、この愛する者を求める和歌、「切実な思い」は書いてある文字からも伝わってくる。
二年という長き幽閉の時。
さぞや辛かったじゃろう…。
…ガラシャ…。
はっ!
いかんいかん!
暗くなってしもうた!
この他にも、儂が南蛮の食に興味があったことを書かれた書状。
儂が歌を書いた“扇面歌留多”。
儂のローマ字印。
その他まだまだ沢山の展示があるぞ!
この展示は、先日も書いたが来月の十二月二十三日まで公開しておる。
念の為、詳細を記しておこうかの。
第三期〈特集〉
南蛮文化と細川家-忠興とガラシャ、異国との出会い-
会期
2015年10月10日(土)~2015年12月23日(水)
会場
熊本県立美術館 細川コレクション展示室
休館日
毎週月曜日
ただし、月曜日が祝日の場合は開館し、翌日休館
観覧料
一般420円(300円)、大学生250円(190円)
これを機に、儂と玉、そして細川家の事をもっと知って欲しいと思う。
是非とも足を運んでくれ!
良いな?
ではまた。
~玉(ガラシャ)へ~
御主は知っとるか?
南蛮の葡萄酒は儂ら細川家が、日の本で一番最初に飲んだと言われておる。
豊前小倉でも栽培もしておったのじゃぞ?