師走二十七日
此度も清正一代記を書する。
皆々は佐賀県の宝塔山親正寺は知っておるか?
此度は其の寺に纏わる話を致す。
まだ儂が若かりし頃の話、名護屋におられる秀吉様の本陣へかけつけて行く途中の出来事。
(馬役・庄林隼人)
都渡城にさしかかった所で、さっきまで勢よく走り続けていた愛馬が突如として、膝を折って動かなくなってしもうた。
儂は不思議に思い、あたりを見回わすと、近くの大岩壁に「南無妙法蓮」と御題目が………。
気になった儂は其処に住まう者に尋ねた。
時は遡る事応永32年西暦1425年の事、日蓮宗の祖師日蓮様の覇気を受け継いだまだ若冠20歳の血気盛んの僧"日親殿"は都を飛び出し、日蓮宗鎮西大本山である肥前国小城郡松尾山光勝寺に立ち寄ったのじゃ。
此の日が589年前の今日。
其の熱心な日親殿は、若気の至りであったか、他宗門をそしり、周りから嫌われる様になった。
日親殿に対する憎悪は日に日に膨れ上がり、周りから命を狙われ続けたが、奇蹟的に命だけは助かった。
やっとの思いで辿り着いた日親殿は、儂が見つけたものと同じ大岩壁に大勇猛心を起こして"南無妙法蓮華経"と題目を彫っていた所"蓮"と云う字を掘っている最中、日親殿の命をねらう刺客達が迫って来る事を察知し落ちていったそうな…………………。
儂も日親殿と同じく日蓮宗の仏教徒である故、その事の次第を聞いて甚く感激し、持っていた槍先で一心不乱にあとをつけ足したのじゃ。
其れ以後、其処に住まう達はこれを"書きかけの題目"や"槍先の題目"とか呼び、儂の馬に因み、この寺を「膝折坂の宝塔山」とも呼んでいるのじゃ。
此の英僧の話は今も鮮明に覚えている。
近くの者は是非に足を運んで頂きたい。
此度、写真協力してもろうた家臣達に感謝致す!
最後は、本日共に出陣致した官兵衛様と写ったものを貼り、筆を置く。
此れにて仕舞い。
披見、大儀であった。
履
道
応
乾
◎加藤肥後守清正