建築家 アントニン・レーモンド
失われた建築と、生み出された建築。
くぼたです。
建築家アントニン・レーモンドは1919年(大正8年)
旧帝国ホテル設計監理のため、フランク・ロイド・
ライトと共に来日しました。
その後日本に留まり群馬音楽センターなどの、数多く
の作品残し、日本人建築家に大きな影響を与え育てた
外国人建築家です。
一夜にして十万人の日本人が亡くなった東京大空襲。
火に弱い木と紙で造られる日本家屋を焼き払う焼夷弾
の効果を検証する実験のため、ユタ砂漠に東京下町の
木造家屋の続く街並みを再現します。
この際、日本家屋の設計をしたのはレーモンドでした。
日本の建築文化に精通した建築家レーモンドが手を
染めた仕事です。
彼は戦後1947年にダム建設予定地の調査のため再度来日。
その後、新たに事務所を開設し、モダニズムの理念に
基づく秀作を多く残しています。
人を取り巻く環境はその時代に身を置かなければ、理解
出来るものではありません。
何故、どうしてと思える自分は相当、平和ボケしているの
でしょう。
建築家、アントニン・レーモンドの言葉。
建築はsimple、natural、economical、direct、 そしてhonest
(誠実)でなければならない。